第2話 第2章 乙女の熱情
放課後になり、ミアとメルヴィルは校舎の裏手に来ていた。ちょうど夕日が差し込まない場所で、薄青い影に包まれたそこは、お互いの表情は少しわかりづらい。
「それで、ミア。用事とは何だ」
「忙しいのに呼び出しちゃってごめんね。でも、どうしても早く伝えたくて」
暗いが、ミアがいつもどおり笑っているのだろうということはわかる。胸の前で片手をきゅ、と握っているのは、緊張からか。
「あのね、メロちゃん、私、」
いつもと変わらない口調、変わらない声色で
ぎゅ、と抱きしめられた。
「っどうした」
「……ずっと、こうしたかった」
鼻腔に慣れない、少女特有の甘い香りが広がる。幼さの残る少女の体は柔らかく、細い腕がメルヴィルを頼りなく締め付けた。自由なままの両手をどこに持ったらいいかわからず、目的無く宙に浮かせた。
「……急に、どうしたんだ、ミア」
メルヴィルは冷静に声をかけるが、少女から応答はない。すう、と息をする音が聞こえるだけだ。
「おい、話があるんじゃなかったのか」
「……わかんない、かな。女の子にこんな風にされてるのに」
「何が言いたい。いいから、一度離せ」
何がおかしいのかミアは幼子のようにくすくすと笑っている。あわせて小さく揺れる細い体に、一瞬躊躇して触れる。こんなにやわらかい体の、どこにそんな力があるのかわからないが、メルヴィルが肩をつかんで体を離そうとするのに、余計にきつく抱きついてくる。
「……もう、このままでいい。話をしてくれ」
埒が明かないな、と思った。それにきつく抱きついてくるとはいえ、その力はやはり十代の少女のもので、苦しいわけではない。普段から親しくしている学友に触れられたからと、何かまずいことはないはずだったが、少しこそばゆい心地で背中がそわそわするのは、この際無視だ。
「ふふ、ありがとう。うれしい……メロちゃん、内緒にしてね」
ここに来てやっと体を離したミアの表情を見てハッとした。暗くて見づらいはずなのに、青い瞳がうるうるとしているのがやけに目立ち、頬が上気している。昨日の去り際のミアを思い出す。違うのは、その口端が笑みを描いていることだった。昨日の、何かを言いたくて言えない、大きなものを飲み込んだようなせつない顔とは、対照的だ。
「マコトさん……」
最近出会った女性の名前が出てくるとは思わなかった。ミアの体の温かさにぼんやりしかけていた頭を、従者の姿がこの暗い校舎裏に引き戻した。
「マコトが、どうした」
「とってもいい人だけど……離れてほしいの」
ミアの声は急に冷たくなった。相変わらず笑顔だが、声は妙に平坦だ。ぬるくなっていた空気が冷えるのを、きっとお互いが感じていた。強い声で問いただしそうになってしまうのを、腹でぐっと抑えて問いかける。
「なぜ、君がそんなことを言うんだ」
「今は、ちゃんと理由は言えないけど……あの人、どこからきたの?」
「っ」
(言えない……父からも口止めされている)
「ああ、メイドの遠縁だ。働き先を探していたようだから、父が斡旋した」
「メイドさんの遠縁……おかしいね?だってあの人」
もったいぶるように口を閉ざしたミアの、その言葉の先が、メルヴィルの脳裏から囁きかけてくる。
「魔力……全くないよ?」
「……」
知っていた。道端の石から雨粒の一つまで少なからず魔力を持つこの世界で、まことは「ない」。全員が気づけるわけではない。自分も出会った当初にわかったわけではなかった。
「ミア、お前がなぜそれを」
「否定、しないんだね?」
自分でも驚くくらい低い声が出た。腹で抑えようも無い、疑念と不信感がざわざわと背後で騒いでいる。普通なら、怯んでしまうような冷たい表情と圧倒的な威圧感を放つメルヴィルに、ミアは動じなかった。
「メロちゃん、知っててなんで、一緒にいるの」
「ボクの質問に答えろ、ミア」
彼女に触れて、魔法をかけてみた者しかわかるはずのない、「秘密」を
「ミア、彼女に何をしたんだ」
なぜ、学校で数回しか会っていない少女が知っている。
「なんにもしてないよ。教えてくれた人がいたの。でも驚いたな、何でメロちゃんも、マコトさんが「ない」ことを知ってるのかな?」
「……君に教える必要は無い。君に彼女のことを言ったのは誰だ」
「…… 」
見間違いだろうか。ミアは口を動かしているように見えたのに、あたりは静寂のまま。耳に何の音も響いてこない。
「あれ? おかしいな、 ……」
「ミア……?」
ミアは細い首に自分の手をあてて、ぱくぱくと口を動かしている。少しの間そうしていたが、やがて両手を頭にやり、激しく左右に振った。
「どう、して……なんで、なんで」
「おい、しっかりしろ、ミア……?」
顔を上げた表情は、困惑に満ちていた。大きく口を動かして、叫ぶ素振りをしたと思うと、揺れる大きな瞳を力なく閉じ、全身から力が抜けた。
「……おい!」
崩れ落ちる体を、すんでのところで滑り込み支える。ぐったりとするミアは、意識を飛ばしていた。何とか膝裏と背中に手を回して、持ち上げ、壁に寄りかからせる形で座らせた。
「仕方ない」
ポケットから笛を取り出し、ふうっと吹く。
(あまり、これを多用したくはないのだが……ミアを置いていくわけにもいかない)
少ししてから、との命を受けて控え室でまことと一緒に待機していたジャックのもとに、主人の笛の音が届いた。宙に文字を描いていたジャックは、それらを打ち消して扉の方を見る。
「……お呼びがかかりました」
「え、何か聞こえましたか?」
「マコト様には、聞こえないでしょう。 私のみに、お呼びの合図がわかるものなのです」
「……(あれ、前、マクガイアさんもそんなこと)」
素早く立ち上がりまことを促すと、二人は控え室を出た。やはり早足のジャックに追いつくには、少し走らなければいけなかったが、何とか付いていく。もうほとんどの生徒が帰ってしまったのだろう、夕日が差し込む廊下は静かに輝いている。一階の渡り廊下から外に出て、校舎の裏に回る。夕日の影に回ると、急な暗さに目がくらむ。闇とも思えるそこに、目的の人物は居た。
「すまない、また呼びつけた」
「お気になさらず、といつも言っております。それで、一体」
「ミアが……とりあえず運ぶ」
ぐったりとするミアの様子に気づいたマコトは思わず駆け寄った。静かに場所を開けるメルヴィルの横にしゃがみこむ。
「昼は、元気そうな様子だったのに」
「マコト様、お話は後に。失礼します」
ジャックは軽々とミアを抱き上げた。生徒のいない廊下を四人で足早に歩く。もう夕日はほとんど差し込まなくなっており、校舎内は明かりが灯り始めた。
「メルヴィル様、ミアさん、どうしてこんな」
「いや、ボクもわからない。話していたら、急に意識を失った」
話すメルヴィルは真っ直ぐ廊下の先を見て、まこととも、ジャックとも目を合わせない。難しい顔をする主人の横顔を、まことは注意深く見る。
「何をお話したのか、聞いてもいいですか」
勤めて穏やかに話しかける。耳に入っているのかいないのか、しばらく返事はなく、静かに歩く。石の床を踏む硬い靴底の音が静かに響いた。
「……邸に戻ったら、話す」
ぽつりと、低い声でメルヴィルが答えた。やはり、まことの方を見ることは無かった。
「わかりました」
まことも静かに返す。それ以上会話はなく、程なくして先日教師を運び込んだ医務室に到着した。ジャックの前に回り、まことが扉を開けると医務室には担当の教師がいた。生徒を抱いて入ってきた従者の姿に目を丸くしたが、すぐに困ったように優しく笑った。
「おや、またジャックさんですか。先日もいらっしゃいましたね」
「先日も、ありがとうございました。ミアさん、急に体調を悪くしたようで」
「……どれ、顔色は悪くないね。そちらのベッドを使うといい」
教師は椅子から立ち上がってミアの様子を見ると、整えられた窓際のベッドに案内した。横にあった椅子に白衣をはらって腰掛けると、三人に話しかけた。
「……今は、ただ眠っているようだが。倒れたときに一緒に居たのは、誰かな」
「ボクです。話をしていたら、意識を飛ばしました」
「それで、頭を打ったりは」
「ボクが支えたました。怪我はしていないでしょう」
「そうか、それは良かった」
それから何か道具を使って熱を測ったり、何かを書類に記入していたりしたが、一通りの作業を終えると三人に声をかけた。
「メルヴィルさんが支えてくれたおかげで、怪我もない。親御さんに連絡しておくから、君たちはもう帰っていいですよ」
「……お願いします。では、私はシュタットを呼んでまいりますから、お二人で校門まで来ていただけますか」
「頼んだ」
窓の外はもう暗い。扉を出ると、規則正しく並んでいる明かりがメルヴィルとまことをぼんやりと照らす。メルヴィルの伏せた目が、オレンジの光をたたえている。
「行きましょう、メルヴィル様」
まことが声をかけるが、メルヴィルは歩き出さない。先に歩き出しかけたまことが振り返ると、メルヴィルは下を向いていた。
「……マコト、何も聞かないのか」
「聞いたじゃないですか。そしたらお邸に戻ってからだ、って言ったのはメルヴィル様ですよ」
「それは、そうだが」
言いよどむメルヴィルを、まことは静かに見ている。いつも自信満々だったメルヴィルとは一変して、動かない人形のようだった。
「早く行きましょう。お邸に戻ったら聞きますから」
「……ああ」
もちろんまこと自身も聞きたいことはあったが、また意気消沈している様子のメルヴィルに、今問いただす気にはなれない。今はとりあえずこのお人形さんをお家に連れ帰らなければ。
邸に帰ると、少し遅くなった三人を心配してか、マクガイアがエントランスで待っていた。
「本日は、いかがでしたか」
何も言わない三人を見て、マクガイアが静かに口を開いたが、メルヴィルは何も答えず歩き出した。その様子を目で追ったマクガイアは、残った二人を見て、微笑した。
「……お疲れのようですね。お二人も」
「メルヴィル様が、心配です。それに、マコト様も……」
「私は、なんともありませんよ」
先ほどまではメルヴィルばかりが気になっていたが、ジャックも相当しおれていた。何でそんな申し訳なさそうな顔をされるのかわからないまことは、心で溜息を吐いた。
(何で、勝手に悩んでるのかな?私が、わからないことも、確かにあるんだろうけどさ)
「また、後で書斎に行くんでしたよね? それまで、ちょっと休憩してください。私も、一息つきたいです」
「そう、ですね……申し訳ありません、マコト様。また、後ほど」
「はい」
行儀よく一礼すると、ジャックは使用人の部屋がある棟に向かっていった。残されたまことは、今度こそ少し溜息を吐いた。その様子を見ていたマクガイアは、まことに近付く。
「マコト様、お気遣いいただき、ありがとうございます」
「へ?なんでマクガイアさんがお礼なんか……」
「あの二人を昔から見ておりますから」
そう言って優しく笑うマクガイアは、まことに祖父を思い出させた。
「なんだか、お二人のおじいちゃんみたいですね?」
「ほほ、それは畏れ多い……私は、ただの従者ですから」
言葉で謙遜するマクガイアは、嬉しそうに顎鬚を撫でる。
「しかし、そうですね。二人の身内として、マコト様には感謝しております」
「それは、なぜですか? お世話になっているのは私です」
「お二人は、きっとマコト様のことを姉のように思っていますでしょう。先ほども、マコト様は別に本当は疲れていないのでしょう?」
「……そんなことありませんよ。昼間、ジャックさんからスパルタで言葉の勉強を見てもらってますから」
「おお、それは、それは……あれで、ジャックも教えたがりのところがありますから。きっと楽しいのでしょう」
「そうでしょうか」
「ええ、きっと。それに、メルヴィル様も、マコト様とお話になるのは楽しそうですよ」
「メルヴィル様、いつも私のことからかってくるんです……」
「ほほ」
広いエントランスに、ささやかな笑い声が響く。
「おっと、お疲れのマコト様をお引止めしてしまいました」
「いえ、お話できて、楽しかったです」
「夜はまた書斎でご用時があるとの事でしたね? 少しお休みください」
「そうします、それでは」
マクガイアと別れ、自分も部屋へと向かう。戻る途中、昨日マクガイアと通った渡り廊下で空を見る。まだほぼまん丸の月は、ちょうど顔を出したところだった。そういえば、マクガイアも昨日古い言葉を知る人は、と言っていた。たしか、月に魔力がある、って言ってたっけ。たしかに月は夜空で一番存在感があるし、見ていると気持ちが落ち着くものだったが、やはり魔力がどうかはわからない。
「ジャックさんは、少しは魔力があるはずだって言ってたけど、そんなことないと思うな」
自室の砂時計すら自分でセットできないのに、と思いながら再び歩きはじめたまことはひとりごちた。




