第2話 第1章 結晶花3
夕食が終わると、まことはメルヴィルに呼ばれた。書斎に行くと言う。そういえば、言葉の勉強を見てくれると、言っていたな、と思い出すが、どうも用事はそれではないらしい。初めて入る書斎は、書斎と言うより小図書館だった。ドーム上の天井がある円形の部屋には、ざっと見て20段はありそうな本棚に囲まれ、随所にハシゴがかけてあった。
「うわ……すごい本の量ですね」
「父と、あとはマクガイアがたくさん集めてくるんだ。見てはいけないものはこの部屋には置いていないから、自由に見て構わないぞ」
「そう言われましても、ですね」
「……そういえば、マコトはまだあまり字は読めないのか」
どうやら忘れていたらしい。無理も無い、昼間にあんなことがあったのだ。自分自身、書斎と言われるまで、メルヴィルも勉強を見てくれると言っていたことはすっかり忘れていた。
「さて、君を連れてきた理由だが……結晶花のことについて調べようと思ってな。だいたいのことは覚えているが、何か忘れている気がするんだ」
「私、背表紙を探すのもお役に立てないと思うのですが」
「いや、いい。そういうことではない。あのハーブは結晶花ではないのだろうが、どうも引っかかる。君もあの飴を食べて調子が良くなったと言っただろう?質問に答えてくれればいい」
そう言うと、まことの返事も待たずずらっと並ぶ本を一通り眺めると、ハシゴに向かってしまった。やることのないまことは、真ん中に置かれているソファに座った。元の世界だったら本でも読んで聞かれるのを待っていただろうが、ここにある本は読めそうに無い。
「マコト、さっそくだ。あの飴、どんな味だったんだ」
「うーん、なんだかミントみたいな香りと、柑橘の味で、さっぱりした感じでしたよ」
「ミント?フェアリーミントとは違うものか」
「ああ、えーっと スースーする感じの香りです」
「……そうか」
手に取った本を、ハシゴの中ほどに腰掛けてパラパラとめくりまことに話しかけてきたが、そのページにあった情報はお目当てのものではなかったらしい。パタッと本を閉じると、戻してハシゴを降りる。今度は下の段から薄めの本を取り出した。
「マコト、色んなものが眩しいと言っていたが、目が痛かったりはしないか」
「いえ、そういう感じではなくて。輪郭がくっきりして見える感じです」
「ふむ……」
また本を閉じて戻す。心なしか生き生きとして本を探している様子だ。夕方は少し疲れていたようだったけど、どういうことだろう。
「マコト! 元気が出ると言っていたが、それは今も変わりないか」
「そうですね、気分はいいです」
「なるほど、ではこちらか……」
閉じた本を片手に持ちながら別の本を取りにかかる。それもハシゴの上で。すばらしいバランス感覚だとは思うが、危なっかしい。思わずまことは立ち上がって、メルヴィルの下に向かった。
「あのー、良ければ要らない本、預かりましょうか」
「ん?……ああ、ありがとう」
そうしてメルヴィルはハシゴの上から、先ほど閉じた本を渡してくる。もう目線は次の本に行っていて、その不安定な姿勢のまま読み始めている。細い足を器用にハシゴにからませてバランスを取っているその姿がどうも俗っぽくて、ちょっと笑えてしまう。ジャックなら行儀が悪いと嗜めたかもしれないが、まことはそんなことはしない。むしろ、ずぼらな妹を見ているようで楽しかった。
そこからは、メルヴィルが無言で読んだ本を渡してくるのを受け取っては、ソファ横のテーブルに置いていった。たまに、質問が飛んでくるのに答えながら、延々とそれを繰り返してどれだけ経っただろうか。黙々と積んだ本は、まことが大きさに合わせて並び替えながら積んでいたがもう限界だ。
「メルヴィル様、ちょっと休憩しませんか」
「……」
「メルヴィル様?」
しばらく本を渡してこないから、メルヴィルに背を向けてわからないなりに本棚を眺めていたのだが、どうやら集中して呼んでいるらしい。聞こえていない。
(うーん、一番高くにいるし、どうしようかな)
なんとか手を伸ばせば、足元には届きそうだ。だけど、主人の足なんてつついていいんだろうか?普通に考えればだめな気がしたが、今のまことは不思議な気分だった。
拾ってもらった邸の主人ではなく、読書にふける妹をお世話する姉の気分だったのだ。別に元の世界に妹がいたわけではないが、後輩には何かと世話を焼いたものだった。
そ~っと、ハシゴに近付く。悪戯を仕掛けるような、高揚感があったのは否定できない。
(そ~っと、優しく)
「メルヴィル様、メルヴィル様」
スカートの裾を掠めるように、ちょん、と足首をつついた。
「……!」
よっぽどびっくりしたのか、持っていた本を取り落としそうになり、慌てて手にとろうとした、そのとき。案の定、メルヴィルの足元は滑った。真下にいたまことはびっくりしながらも手を広げて、受け止める姿勢を取るが――
「うわわっ」
「ぐっ――」
派手な音をたてて一緒に床に崩れ落ちた。メルヴィルを華奢だとばかり思っていたが、さすがに小さな子どもとは違い、受け止めきることはできなかった。幸い自分はどこも怪我はしていない。少ししたたかに打ち付けたお尻が鈍痛を訴えるが、そこは持ち前のクッション性で、大したことはない痛みだった。自分の上にうずくまっている主人は、大丈夫だろうか。胸元に顔をうずめたまま動かない様子に心配になる。
「あの、メルヴィル様?突然つついて、すみませ――」
また、あの香りがする。
花のような、果物のような香り。それに少し、ミントのような香りも混じっている。メルヴィルは、たまにこの香りをさせることがある、と言っていた。いったい、どういうタイミングでそうなるのだろうか。この香りをかぐと、前はボーっとしたのだが今日はそんなことはないのも不思議だ。
驚いた。これか、と思う文面を見つけて読んでいると、突然脚に違和感があった。思わず本を取り落として、ソレを追いかけてしまった。しまった、と思ったときにはもう、やわらかい感触に包まれていた。頼りない体格だと思っていたが、触れてみると、包み込むような安心感がある。これは――
(!!ボクは、マコトの――)
冷静に考えている場合じゃない。仮の従者とはいえ客人の女性を下敷きにしているではないか!あまりに柔らかな感触にまどろんでしまったが、なんて失態をおかしているんだ!
「すまない、マコト。怪我はないか」
「あ、大丈夫みたいですね。急に起き上がって、フラッとしたりしないですか」
体を起こすと、ボクに下敷きにされたマコトは何でもなさそうに笑って体を起こした。怪我はないようだが、もう少し怒ったりしてもいいんじゃないか
「突然つついてすみません。気づくまで待てば良かったですね」
「いや、いいんだ……その、すまなかった」
「良いんですよ、メルヴィル様はお怪我ないみたいで、良かったです」
さら、と優しい感触が頭を撫でた。なんで―――
「そんなに落ち込まないでください。ハシゴの真下に居た私が悪いんですから」
そう言ってボクの頭から手を離すと、スカートを払って立ち上がった。そしてボクに手を差し出す。
「少し、休憩しませんか。ほら、もうあんなに本を積んでしまったんです」
促されてテーブルを見ると、微妙なバランスで詰まれた本の塔があった。気づかぬうちにあんなにたくさん渡していたとは。申し訳ない気持ちでマコトを見ると、マコトはにっこり笑っていた。
「ああ、そうだな」
昨日とは逆だ。マコトの手をとって立ち上がると、マコトの目が自分より上にあることにふと気づいた。ずっとそうだったはずなのに、今初めてそのことに気が付いた気分だった。
マコトはメルヴィルをソファに座らせると、テーブルの上の本を手に取った。
「こんなにたくさん読んでるのに、見つからないですか」
「いや、結晶花の情報を見ると、確かにマコトの言っていることも当てはまるんだ。しかしあれだけの濃度を食べて君が平気な顔をしているのを見ると、結晶花にしては……」
「弱い、ですか」
「……」
少し煮詰まっている様子だ。今日はもうだいぶ時間も遅いし、休んだ方がいいのではないか。時計がないから時間はわからないが、少し眠気も感じる。
「今日はもうお開きにしませんか。ミアさんも、心配かもしれませんが……お昼ごろは、平気そうな様子でしたし」
「……」
ミアの名前が出ると、メルヴィルがじっとまことを見た。視線に気づいたまことは待ってみるが、言葉は出てこない。
(あのあと、何かあったのかな……?)
(なんて、説明したらいいんだ。熱がありそうだった……?いや、熱はなかった。心ここにあらず、も違う……あの目はボクだけを見ていた)
「……」
「ジャックと君が来る前、ミアと二人で話したんだ」
「はい」
「……」
やっと話し出したものの、その後が繋がってこない。これだけ熱心に調べるのだから、何かあったのかもしれないとは思うが、それはまことにはわかりようもないことだった。
「……もう、今日は寝ましょう。私、眠くなっちゃいました」
「……そうだな、もうだいぶ遅い時間だろう」
「本、このままにしますか? それとも、戻しますか」
「戻そう。ボクが戻しておくから、マコトは先に休め」
気遣ってくれているのだろうが、眠いのはきっとお互い様だと思った。それに、こんな量を一人でハシゴに上って戻すのは時間がたっぷり要るだろう。
「いえ、一緒に片付けましょう。場所は私はわかりませんから、近くまで運んで、渡しますね」
何か言われる前に、テーブルにたっぷり積まれた本を、一山よっこいしょ、と持ち上げる。ずっしりと腕にかかってくる紙の重さは、事務員の仕事で慣れっこだった。
「ささ、早く片付けてしまいましょう。この本はどこの棚ですか?」
「……わかったよ。こっちだ」
二人で片付ければあっという間だった。が、さすがに疲れた。お尻も打ってしまったし、腰をいたわってあげる必要がありそうだ。今日はあのふかふかのベッドで、ストレッチをしてから寝るのも、いいかもしれないな……と思って腰をさする。
「さて、出ましょうか」
「ああ。部屋まで送ろう」
「いえいえそんな! お部屋、反対方向じゃないですか、この広いお邸で!」
「……」
建物の中とは言え、使用人がいる塔に行くには渡り廊下も通らなければならないし、まだ使用人二日目のまことでも、主人に送らせることが非常識であることくらいは想像がつく。しかし、まっとうなことを言ったつもりなのにメルヴィルは不機嫌そうに口を噤んでしまった。
「でしたら、私がお部屋までお送りします! そうです、むしろそれが自然ではないですか」
「何でそうなる」
(それは、こっちのセリフの気がするんだけどな……)
「とにかく、そうと決まれば出発です」
「ボクはまだ了承してないぞ」
なぜか粘るメルヴィルを促して、なんとか扉の外に出ると、ちょうどばったりマクガイアと出会った。賑やかに出てきた二人を見て、マクガイアは楽しそうに笑った。
「おや、お二人とも仲がよろしいようで」
「マクガイア」
こんな遅くにどうしたのだろうか?まだ仕事の燕尾服のままだから、書斎に本を楽しみにきたというわけでもなさそうだ。
「どうしたんですか、こんな時間に」
「どうということもないのですが、満月の夜には見回りがてら、邸の散歩をするのが日課なのですよ」
「……それ、まだ続けていたのか」
「年寄りは、一度始めたら延々とやり続けるものですからな。ところでお二人はこんな時間まで読書ですか。もう日付が変わってしまいますよ」
遅い時間だろうとは思っていたが、日付が変わるほどとは驚いた。こんなところでじゃれている場合ではなかったかもしれない。自分の睡眠時間の確保もさることながら、成長期だろうメルヴィルに良くない。
「うわ、もうそんな時間だったのですね。ほら、私が送りますから早く寝ましょう」
「ボクが送ると言っただろう」
「私は了承していませんよ。ほら早く」
「ボクの真似をするな」
何でこんなにメルヴィルは私を送ることにこだわるのだろう?もういっそお互い諦めて別々に部屋に戻ったら、早く寝られるのではないか
「はっはっは。いつの間にか、本当に仲がよろしいようで。 メルヴィル様、マコト様は私がお送りしますから、お部屋にお戻りください。もう本当に遅い時間ですから」
「マクガイアが、そう言うなら……」
しぶしぶ、と言った様子でメルヴィルが一歩ひいた。マクガイアさんの言うことは素直に聞くのね……
「では、また明日、起しにこい」
「はい、ジャックさんとお伺いします」
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
踵を帰し、メルヴィルは自室へと戻っていく。角を曲がり消えていくのを見届け、まこととマクガイアも歩き出した。
「すみません、せっかくのお散歩中に」
「いえいえ、日付が変わるころには、いつも散歩を終えて戻ることにしていますから、お気になさらず。それに、もしメルヴィル様が本当にマコト様を送っていたら、逆方向ですから。あまり賢いとは思えませんなあ」
「本当に」
マクガイアの言っていたとおり、渡り廊下に出ると満月がきれいだった。そういえば、ミントや栄養ドリンクは伝わらないのに、月はなぜ通じるのだろう。それに、詳細に覚えているわけではないが、模様も大きさもそっくりの光の球が、見慣れない星々の中に浮かんでいる。
「あの、マクガイアさん、ミント、って知っていますか」
「いえ……存じませんが」
「そう、ですよね。 実は、元いた所にはミントも、月もあるんです」
「そうですか」
月夜は明るく、マクガイアの表情もくっきりと照らしていて、刻まれた皺をやわらかく動かして、静かにこちらを見ていた。
「月には、不思議な魔力があると、古い言葉を知る人々の中では言い伝えられています」
「奇遇ですね、私の……魔法なんかない私の居たところでも、月には魔力がある、と言われていました」
「……きっと、マコト様の月も、優しく、美しいのでしょうね」
「はい。街の明かりが多くて、夜が明るかったからこちらほど冴えた感じでは、ありませんでしたけど」
それ以上言葉はなく、マクガイアはまた歩き出した。ぼーっとそのまま月を眺めていたまことは、一拍遅れて、月に照らされてくっきりと伸びる、マクガイアの青い影を追いかけた。




