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LILA-崩壊の彼方-  作者: セイ・タカ
崩壊の日
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1/15

0.プロローグ

プロローグ:崩壊の日




臨時ニュース - 20xx年x月x日


『こちらは緊急ニュースです。ただいま各地で未確認飛行物体が確認され……』


『繰り返します。各都市において未確認飛行物体が出現し……』


それはまるで、悪い冗談のようだった。


最初にニュースが流れたとき、誰もが映画かフェイクニュースの一部だと思った。


だが、空に広がった漆黒の影は本物だった。


その日の朝、青空だったはずの都市上空に、巨大な戦艦がいくつも浮かんでいた。


それは不気味なまでに静かで、動く気配すらない。


誰もが息を呑み、カメラを向け、SNSに投稿し、そして……その数時間後、世界は崩壊した。


轟音とともに、火の雨が降り注いだ。


高層ビルは一瞬で崩れ落ち、街は炎に包まれた。


逃げ惑う人々の悲鳴、響き渡る警報、混乱と絶望の渦の中--。


「現在、政府は緊急事態を宣言……くそっ、何が起きてるんだ!?」


テレビの画面が揺れる。


リポーターの背後で何かが倒れる音がし、次の瞬間、画面が砂嵐に切り替わった。


そして、それはまだ序章にすぎなかった。


『……緊急速報です。現在、全米各地で原因不明の暴動が発生しており、政府は国家非常事態を宣言しました。軍は事態の鎮圧に向けて出動……』


『……複数の目撃情報によると、暴徒は常識では考えられない動きをしており、市民を襲っているとの報告が……』


『……ワシントンD.C.では軍と暴徒の大規模な衝突が発生し……』


・ニューヨーク、マンハッタン・


薄暗い部屋の中、リラはソファにもたれながらテレビ画面を見つめていた。


リラ・ウォーカー、十七歳。


黒髪を短く切りそろえ、化粧もアクセサリーも身につけない。時計さえ手首にまとわりつくのが煩わしく、時間を確かめるのは、連絡手段として仕方なく持っているスマートフォンだけだった。もっとも、その画面も買った時のままだ。壁紙もアプリも、初期設定からほとんど変わっていない。


ハイスクールでは、特別目立つ生徒ではなかった。成績は良くも悪くもなく、運動だけは何をやらせても人並み以上にこなしたが、部活動に入って記録を競いたいとは思わなかった。友人と呼べる相手も、恋人もいない。嫌われているわけではない。ただ、誰かの輪に加わっても、いつも薄い膜一枚を隔てているような感覚が残った。


父親は政府の研究機関に勤めていた。何を研究しているのかは、家族にも明かされていない。父がほとんど家に帰らない代わりに、アッパーイーストサイドの家は十七歳の少女が暮らすには広すぎるほどだった。


その広い家で、リラはたいてい本を読んで過ごした。特に好きな作家や分野があるわけではない。図書館や書店で目についた本を適当に手に取り、小説、歴史、科学、旅行記と、脈絡なく読み散らかす。それは趣味というより、誰にも邪魔されず時間をやり過ごすための習慣だった。


〈今日は、特に何もない日……。〉


いつも通りの朝。


アラームが鳴り、めんどくさそうに手を伸ばし、スマホのスヌーズを押す。


陽の光がカーテン越しに差し込み、窓の外では小鳥がさえずっている。


部屋には、着古したパーカーが無造作に放り出され、机の上には未完成の宿題と、内容も厚さもばらばらな本が積まれていた。


「……まあ、明日やればいいか。」


テレビのニュースはつけっぱなしになっていた。


けれど、リラは特に気にすることもなく、リモコンを取ってチャンネルを変える。


「現在、各地で未確認飛行物体が確認され……」


「この現象について専門家はーー」


「未確認飛行物体?また陰謀論系の話?」


大して興味もなく、チャンネルを流し見しながら、冷蔵庫を開けた。


コーヒーを淹れて、適当にトーストを焼く。


いつも通りの朝。


いつも通りの、何も変わらない日常。


けれど、胸の奥には朝から小さなざらつきがあった。


理由は分からない。言葉にもできない。ただ、何かが普段と違っている。


幼い頃から、ときどきそうした感覚に襲われた。


まだ同年代の子どもたちと遊んでいた頃、彼女だけが遊びを突然やめ、誰もいない道路や、静かな空を見つめることがあった。


「どうしたの?」


そう聞かれても、うまく説明できなかった。


どうしてみんなは気づかないのだろう。


何度もそう思った。だが、自分に感じられるものが他人にも同じように存在するとは限らないのだと知ってから、口に出すことをやめた。思春期特有の思い込みだと片づけるには、その感覚は時折、あまりにも正確だった。


今朝の違和感も、それと似ていた。


---それが、最後になるなんて思いもしなかった。


『繰り返します。ただいま、各都市で未確認飛行物体が確認され……』


『……何だ、あれ……?』


画面の中で、ニュースキャスターの声が震えた。


その瞬間---リラの部屋の窓が、揺れた。


「……地震?」


いや、違う。


違和感を覚え、カーテンを開ける。


見るよりも先に、そこに何かがいると分かっていた。


--そこには、黒い影があった。


空いっぱいに広がる巨大な物体。


雲すらも遮る圧倒的な質量。


まるで都市全体を覆い尽くすように、それは沈黙したまま空に浮かんでいた。


「……嘘でしょ。」


『緊急速報!未確認飛行物体が各都市に出現!これは……いや……まさか……』


『……攻撃!?うわっ……!!』


ドンッッッ!!!


画面がノイズに切り替わると同時に、轟音と衝撃波が街を襲った。


バランスを崩し、テーブルの上のマグカップが床に落ちる。


「何……?これ……?」


嫌な予感がする——。


ふと、ポケットのスマホが震えた。


[ママ]


「……ママ?」


不安を覚えながら通話ボタンを押す。


『リラ!すぐに家を出なさい!』


「え、何?」


『軍が制御できてない!外に出ちゃダメよ!でも、そこにいたら危ない!』


「落ち着いてよ、ママ!何が起こってるの?」


『説明してる時間がないの!すぐに逃げなさい!』


『リラ、聞いてるの!?』


「うん……!でも……どこに逃げれば……?」


『地下鉄はダメ、空港もダメ!どこも封鎖されてる……!』


「ママ…!ママは今何処にいるの!?」


『68thよ…。いい?どこか安全な場所に隠れなさい!それと——』


突然、通話が切れた。


「……ママ?」


慌ててかけ直す。


——ツー、ツー、ツー……


繋がらない。


鼓動が速くなる。震える指でメッセージを打とうとするが、手がうまく動かない。


同時に、外から轟音が響いた。


スマートフォンの連絡先を開いても、すぐに名前が浮かぶのは母と父だけだった。学校の誰かに無事を尋ねようとは思わなかった。こんな時でさえ、そのことを寂しいとも不自然だとも感じない自分が、リラには少しだけ可笑しかった。


反射的に窓の外を見た——。


爆発。


遠くのビルが炎に包まれ、煙が天に昇っていく。


「……嘘でしょ?」


ニューヨークが——燃えている。


・崩壊の始まり・


「はぁ……はぁ……っ!」


家を飛び出し息を切らしながら、燃え上がる街を駆けていた。


スニーカーが砕けたガラスを踏み、ジーンズの裾が瓦礫に擦れる。普段から動きやすさだけで選んでいた服装が、初めて役に立った。鍛えているつもりはなかったが、リラの身体は軽かった。倒れた標識を跳び越え、横転した車の隙間へ滑り込み、人の波が崩れるより一瞬早く進路を変える。


なぜそちらへ動くべきなのか、考えている暇はない。


それでも身体は、危険が訪れるわずか前に反応していた。


街が、壊れていく。


ビルが崩れ、道路がひび割れ、燃えた車が黒煙を上げる。


頭上ではエイリアンの巨大な戦艦が光を放ち、エネルギー弾が雨のように降り注いでいた。


ドォォォンッ!!


彼女のすぐ横で、ガラス張りのショッピングモールが一瞬にして崩れ落ちた。


衝撃波で吹き飛ばされ、リラは地面に転がる。


「……っ!」


耳がキーンと鳴る。


砂ぼこりが舞い、視界が歪む。


『助けて……!』


ふと顔を上げると、目の前で一人の女性が倒れていた。


足が瓦礫に挟まれ、動けなくなっている。


「あっ……!」


すぐに駆け寄ろうとした。


だが---


ズドォォン!!!


女性の背後に落ちた爆撃が、彼女を塵に変えた。


「……嘘……」


そこには、何も残っていなかった。


スマホを握りしめたまま立ち尽くしていた。


——その時。


ガラスが割れる音がした。


息を呑み、ゆっくりと振り向いた。


そこには——。


血まみれの男が立っていた。


眼球は充血し、皮膚は爛れている。口元には生々しい肉片がへばりつき、荒い息を吐いている。


まるで——ゾンビ。


違う。


もっと異質な何か。


「……嘘……。」


男は一瞬こちらを見たかと思うと、次の瞬間——。


「ギャアアアアア!!」


狂ったように叫び、突進してきた。


・崩壊と逃亡・


「……やばい。」


逃げなきゃ。


足がすくむ。しかし、動かなければ死ぬ。


外は地獄だった。


炎上する街。逃げ惑う人々。異形と化した存在が、次々と人を襲っている。


「これ……本当に現実なの……?」


そんなことを考えている余裕はなかった。


迷わず駆け出した。


・ 戦場と絶望 ・


「撃てぇぇぇ!!」


銃声と爆発音が鳴り響く。


戦車の砲撃が火を噴き、ヘリが対空ミサイルを放つ。


地上の兵士たちは、建物の影や車の後ろに身を隠しながら、エイリアンの戦闘兵器に向けて全力で応戦していた。


≪ズドォォンッ!!≫


ビルの上から砲弾が飛び、戦艦の下部に直撃。


一瞬、空中に火花が散る。


兵士たちは叫んだ。


『効いてるぞ!続けろ!!』


しかしーー


≪ギィィィィィィ……!≫


黒い戦艦の側面が開き、無数のドローン型兵器が飛び出した。


それはまるで蜂の群れのように動き、人間の陣地へ猛攻を開始する。


『くそっ、数が多すぎる!』


一機のドローンが突撃し、戦車の装甲を貫通。


爆発が起こり、数人の兵士が吹き飛ばされた。


『退避しろ!全員、退避しろ!!』


だが、すでに逃げ場などなかった。


エイリアンの地上部隊、降下


≪ギギ……キィィ……≫


空から、異形の兵士たちが降りてくる。


身長は人間より一回り大きく、硬質な外骨格に覆われ、赤く光る眼を持つ。


その手には、青白い光を放つエネルギーブレード。


『やばい……!』


兵士が銃を構え、引き金を引いた。


しかし---


シュンッ……!


エイリアン兵は目にも止まらぬ速さで接近し、一瞬で兵士の胸を貫いた。


『……っ!』


彼は何が起きたのかも分からないまま、崩れ落ちた。


『……こんなの、勝てるわけがねぇ……』


兵士たちは次々と倒れ、陣形は崩壊。


司令部の無線が絶望的な言葉を吐き出す。


『こちら本部……もう……もう持たない……』


『……戦線崩壊……防衛不能……』


『……生存者は、直ちに撤退せよ……!』


崩壊した街の隙間を縫うように走り続けていた。


燃える建物。


響き渡る警報と悲鳴。


遠くで何かが爆発する音が聞こえた。


「……くっ……」


息を切らしながら、崩れた交差点にたどり着く。


その先には、地獄が広がっていた。


軍が、戦っていた。


戦車が炎に包まれ、ヘリが煙を上げて落ちていく。


ビルの陰から兵士たちが現れ、必死に応戦していたが……それは明らかに押されていた。


瓦礫の影に身を隠し、戦場を見つめる。


彼女の目の前で、人間たちは次々と倒れていった。


だが、それ以上に恐ろしかったのはーー


"あれ" は、倒れない。


黒い影が動いた。


巨大な機械のような何かが、光を放ち、兵士たちの陣地を吹き飛ばした。


その周囲には、異形の者たちがうごめいている。


エイリアン兵か、それとも……いや、違う。


元・人間。


肌の色が変わり、体が異常に膨張したそれらが、軍に向かって突進していた。


感染が広がっている。


「……嘘でしょ……」


そして次の瞬間、耳元で聞こえたのは、兵士の叫びだった。


『退避しろ!!もう持たない!!』


『……戦線崩壊……政府は撤退を決定……』


『生存者は……直ちに避難を……』


終わった。


震える手でスマホを握りしめる。


「……逃げなきゃ。」


再び走り出した。


-戦場は、地獄だった。


軍は必死に応戦していたが、エイリアンの圧倒的な戦力に押し潰されていく。


弾丸が効かない兵士たち。


戦車を無力化するドローン。


指揮官の声も、次第に悲鳴へと変わっていく。


「……もう、ダメだ……」


そう呟いた兵士の隣で、仲間が突然倒れた。


「おい、大丈夫か!?」


彼は、その兵士の肩を掴んだ。


-異様に、熱い。


「は……はぁ……」


倒れた兵士は、苦しそうに喉を押さえた。


汗が吹き出し、皮膚は青黒く変色していく。


「おい、おい……なんだよ、これ……?」


仲間たちが後ずさる。


「……あ、あぁ……」


彼の手が、異様に膨張した。


指が伸び、爪が鋭く変形し、目が充血していく。


「た、助けてくれ……」


「おい、何が……?」


次の瞬間---


「ギャアアアアアアアア!!!」


兵士は、もう人間ではなかった。


顔が裂け、異常なまでに膨れ上がった筋肉が軍服を引き裂く。


目の前で、仲間が"何か"に変わっていく。


「こ、これ……なんだよ……!!」


「離れろ!!撃て!!撃てぇ!!」


引き金が引かれ、変異した兵士に向けて銃弾が浴びせられる。


だが---


「グゥゥゥゥ……」


それは、一歩ずつ、ゆっくりと兵士たちに迫る。


「効いてねぇ……!?ふざけるな!!」


銃弾を受けても止まらない。


皮膚は硬化し、体が異様に歪んでいく。


それはもはや人間とは別の何かになりつつあった。


「……撤退だ!!」


司令官が叫ぶ。


だが ―


「ガァァァアアアアア!!!」


―すでに、遅かった。


ウイルスは、もう拡散していた。


次々と兵士たちが崩れ落ち、体を震わせる。


人間が、人間でなくなっていく瞬間を、誰もが目の当たりにした。


「……こんなの、ありえない……」


ある兵士が、震えながら呟く。


そして次の瞬間 …


「グギャアアアアアア!!!」


クリーチャーとなった"元兵士"が、襲いかかった。


「グギャアアアアアア!!!」


クリーチャーへと変異した兵士が、かつての仲間に襲いかかる。


「やめろ……!お前……仲間だろ……!!」


叫びも虚しく、鋭く変異した腕が兵士の首を引き裂いた。


返り血が飛ぶ。


それは血ではなく、ドス黒く変色した液体だった。


「やばい……!やばい!!」


周囲の兵士たちが後退する。


―だが、それは始まりに過ぎなかった。


「は……はぁ……っ」


一人の兵士が、地面に膝をつく。


身体が震えている。


「おい……大丈夫か?」


隣にいた兵士が駆け寄る。


その瞬間 ―


「グァァァァッ!!!」


牙が生えた口が開き、彼の喉元に食らいついた。


「う……ぁ……!」


兵士の目が見開かれ、力なく崩れ落ちる。


そして…


彼の皮膚が、ゆっくりと黒ずんでいった。


「……嘘だろ……?」


「ダメだ……もう手遅れだ……!!」


ウイルスは、すでに兵士たちの中に広がっていた。


それは爆発的に増殖し、次々と人間をクリーチャーへと変えていく。


「ギャアアアアア!!!」


叫び声が響くたびに、新たな異形が生まれる。


もはや、戦場ではなかった。


― 感染拡大の中心地 ―


兵士 vs エイリアンの戦場が、一瞬で「人間 vs クリーチャー」の地獄へと変貌した。


「ダメだ!!もうダメだ!!」


生き残った兵士たちは、一斉に逃げ出した。


政府の指令も、通信も、もはや意味を成さない。


「このままじゃ、都市ごと終わる!!」


ある兵士が、必死に叫んだ。


…その通りだった。


感染は、すでに制御不能。


そして、それが進行する先には…


"リラが向かっている駅" があった。


ニューヨークの街は、もはや人間のものではなかった。


軍が展開し、異形の化け物と交戦していた。しかし、圧倒的に不利。


戦車が爆発し、兵士が次々と食われていく。


- 地下駅構内


「落ち着け!!みんな冷静になれ!!」


駅の中には、避難してきた人々が溢れていた。


数百人はいるだろうか。


軍の敗北を知る者も、まだ何が起きているのか理解していない者もいた。


皆、ただ「ここなら安全だ」と信じたかった。


だが……


『……ウイルス感染……』


『……制御不能……』


『……市内全域に拡散……』


- その言葉が、駅構内に響いた瞬間。


静寂が、訪れた。


「……どういうことだ?」


誰かが呟く。


その問いに、誰も答えられなかった。


…だが、その疑問はすぐに"現実"として突きつけられる。


「……う、ぐっ……」


人混みの中で、一人の男が膝をついた。


「おい……おい、大丈夫か!?」


周りの人々が駆け寄る。


それは致命的な"選択"だった。


「は、はぁ……はぁ……」


男の呼吸は荒く、汗が額を流れ落ちる。


皮膚は青黒く変色し、腕には異様な血管が浮かび上がっていた。


「こ、これ……なんだ……?」


誰もが息をのむ。


そして……


「ギャアアアアアア!!!」


- 男が"変わった"。


歪む顔。


裂ける口。


腕が異常なまでに伸び、爪が鋭く変異する。


彼は人間ではなくなった。


「う、嘘だろ……」


避難者たちは一歩、また一歩と後ずさる。


だが…


「グギャアアアアア!!!」


次の瞬間、"それ" は近くにいた女の首に喰らいついた。


「ひ、ひぃ……!!!」


鮮血が舞う。


女性は抵抗する間もなく、崩れ落ちた。


だが、それだけでは終わらなかった。


「……あ、あぁ……」


その体が、ゆっくりと動き出す。


「……嘘……でしょ……?」


まわりの避難者が、震えながら見つめる。


彼女の目が、赤く光った。


そして…


次々と、悲鳴が響いた。


感染は、一瞬だった。


わずか数分で、駅の中は地獄へと変わった。


「やめろおおおおおおお!!!」


銃を持った男が、無差別に発砲する。


「俺は絶対に感染しねぇ!!来るなあああああ!!!」


だが …


「グギャアアアアアア!!!」


それが、最後の叫びだった。


「はぁっ……はぁっ……!」


地上の道路は、衝突した車と逃げ惑う人々に塞がれていた。

母の警告が頭をよぎる。それでも、ほかに進める道は残されていなかった。


崩れた街を駆け抜け、ついに地下鉄の入口へと滑り込んだ。


荒れた階段を踏み外しそうになりながら、地下へと駆け下りる。


背後では、なおも爆発音と叫びが響いていた。


構内の空気は、重く淀んでいた。


酸素すらも不安と恐怖に汚染されたような感覚。


人々はただ呆然と立ち尽くし、誰もが「ここだけは安全だ」と信じ込もうとしていた。


だが——


『……ウイルス感染……市内全域に拡散……』


緊急放送が鳴り響いた瞬間、空気が一変した。


悲鳴。逃げ惑う足音。何人かが倒れ、そして——変わった。


叫び声が次々と響く。


地下鉄という密閉された空間が、あっという間に地獄へと化していく。


混乱の向こう側、ちらりと見えた“その後ろ姿”。


見覚えのある、髪型。


どんなに距離があっても、間違えようのないシルエット。


「……ママ……?」


思わず立ち上がり、駆け出した。


何度も人をかき分け、転びそうになりながら、その背中を追いかける。


やっとの思いで距離を詰めたとき――


振り向いた、その顔。


それは。


人間では、なかった。


血走った目。


青黒く変色した皮膚。


膨張した腕、裂けた口元。


それでもリラには、わかってしまった。


その奥に、“ママ”がいたことを。


身体が凍りついた。


視界が歪んだ。


心が、崩れかける。


でも、それでも。


「ママ!!」


しかし、母は振り向かなかった。


違う。


振り向けなかった。


彼女の体は、すでに人間のものではなかった。


「リ……ラ……。」


母の口が、微かに動いた。


しかし、その目はもはや理性の残るものではなかった。


「……やめて……!!」


泣き叫んだ。


そこにいたのは、一体の"異形"だった。


長く伸びた指先。


異様に膨れた腕。


口元は裂け、何かを求めるようにゆっくりと蠢いている。


だが、それよりも恐ろしかったのは。


その目。


赤く光る、二つの瞳。


それは―


「……マ……マ……?」


リラの声が、かすれた。


目の前の"それ"が、一歩、また一歩と近づいてくる。


「うそ……でしょ……」


彼女の背筋が、凍りつく。


そこにいるのは、かつての母親の姿だった。


もう、言葉は届かない。


「……っ!!」


息を詰まらせ、無意識に後ずさる。


「ガァァァァッ!!!」


その瞬間、"それ"はリラへと飛びかかってきた。


「っ!!」


咄嗟に腕を上げる。


だが、力の差は歴然だった。


ドンッ!!!


リラの体が吹き飛び、背中から壁に叩きつけられる。


「ぐ……!」


肺から空気が押し出され、呼吸が乱れる。


視界が揺れる。


頭がぼやける。


…このままじゃ、殺される。


力が、入らない。


目の前が、暗くなっていく。


「……いや……」


嫌だ。


ここで、終わるなんて。


「……助けて……」


誰に向けた言葉かもわからない。


ただ、心の底から絞り出した願いだった。


「ッ……!!」


その瞬間。


リラの体に、"何か"が駆け巡った。


熱。


体の奥から燃え上がるような感覚。


目を開けると、視界の端で空気が震えているのがわかった。


―これは、何?


「……っ!!」


体が勝手に動いた。


咄嗟に腕を振り上げる。


ドンッ!!!


次の瞬間、"それ"は吹き飛んでいた。


「……え?」


自分の手を見つめる。


指先から、"何か"が弾けるような感覚。


何が起こったのかはわからなかった。


だが……


目の前の"それ"は、遠くの壁に叩きつけられ、動かなくなっていた。


リラの意識が、一気に揺らぐ。


「……ママ……」


ゆっくりと崩れ落ちた。


…意識が、暗闇に沈んでいく。


その日、人類の世界は崩壊した…。


― プロローグ完 ―


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