「君を愛するつもりはない」からの「真実の愛」ですか。通用すると思います?
結婚式の直後、夫に「君を愛するつもりはない」と言われてしまった。
「私には愛する女性がいるが、彼女は平民なので妻にはできない。だから持参金なしで貧乏貴族の君を娶ってやったのだ」と。
なるほど、持参金不要だったのはそういうわけか。
「愛することはできないが、社交の場への同席や屋敷の管理など、伯爵夫人としての仕事さえしてくれれば、あとは自由にしてもらって構わない」
「自分は物分かりがいい」とでも言いたげだが、社交の場への同席や屋敷の管理が、どれほど大変な仕事かおわかりでないようで。
ついでに「君は私と結婚できて幸せだろうが、私は実は結婚を望んでいなかったのだ」という態度も気に入らない。私だって、父の命令で結婚せざるを得なかっただけだ。別に望んで嫁に来たわけじゃない。
「不満か?」
そりゃ不満ですとも。自分の夫が、想像力皆無で傲慢極まりない男なのだから。
しかし、これも貴族の結婚。
もし私が離婚して家に帰れば、親が苦労してまとめ上げた持参金なしの結婚を足蹴にした親不孝者になって、食い扶持を減らすために修道院に入れられてしまう。
となれば、「変な期待を抱いて奮闘してから失望するよりは、最初に失望しておいてよかった」と思うしかない。
「不満はございません」
「よし。では必要ない限り私には関わってくれるな。私は別邸で暮らし、この本邸は君に任せる。私がいないからと言って手は抜くなよ。いつ私や客が来てもいいように整えておくように」
「承知いたしました」
「やることさえやっていれば、恋人をもつのも許す」
こうやって、私と夫の夫婦関係は、結婚初日にして破綻したのである。
◆
ロマンス小説などでは、「君を愛するつもりはない」と突き放された妻が、献身的な努力を続け、夫を尊重して接する。
そして最終的には夫が妻を愛するようになって、妻も「愛さないって言ったはずなのに」と戸惑いながらも夫の愛を受け入れ、めでたくハッピーエンドを迎えるらしい。
率直に言って、「は?」である。
一方的に「君を愛するつもりはない」と宣言されて、それでも夫に親切にしてやろうと思える思考が、まず理解できない。
何らかのきっかけで夫の心が自分に向いたとて、妻のことをよく知らぬうちに「愛するつもりはない」などと断言するような夫にほだされる理由も、想像すらできない。
よほどのお人よしか、幼いころから熱狂的に夫のことを好きだったりしなければ、難しいのではないだろうか。
私はお人よしではないし夫とは初対面なので、ロマンス小説のヒロインにはなれなさそうだ。
だが現実的に、持参金なしで娶っていただいた以上は、女主人としての仕事はせねばなるまい。
夫の父はすでになく、夫が伯爵家の当主。夫の母は病弱で、領内の温泉保養地にて療養中。夫は愛人と別邸で過ごし、本邸にはほとんど関わらない。
とはいえ客人が来た場合に使うのは本邸であるから、誰かが本邸の面倒を見なくてはならない。
つまり私は、「何もしなくていいお飾りの妻」ではなく、愛情はもらえないが本邸の管理者としてきっちり働かされる妻なのである。
「母を早くに亡くして、父を補佐してきた経験が生きるわ」
結婚の翌日には広い屋敷を一通り見て回り、それぞれの部署で働く使用人たちから話を聞き、様子をうかがう。
無理をしていないか。困っていることがないか。改善案や希望をもっているのか。あるいは、誠実に仕事に向き合っているか。信用できそうか。
使用人たちは名門の伯爵家で働いているだけあってそれなりに能力があるようだが、総じてやる気が低い。頑張りを認めてくれる主人がいないからだろう。
「優秀な使用人のためにも、働きやすくて、働きたくなる環境にしなくては」
時代遅れになっていた使用人たちのお仕着せを変えることから始まり、外壁や屋根は補修し、古くて低すぎるキッチン台など使いにくい設備を入れ替え、部屋の用途を変えたり壁を抜いたりして、動線を整える。
人が溢れている部署からは異動させ、あるいは丁寧に事情を説明したうえで紹介状を書いて退職してもらう。そして足りないところには人を入れる。
もちろん今いる使用人も含めて十分な待遇を用意し、かつ勤続年数やスキルや貢献度で給金に差が出るようにして。
さらに社交シーズンに間に合うよう王都のタウンハウスに移り、同じことをもう一度行う。
「奥様って頼りになるお方よね」
「屋敷が屋敷らしくなったわ」
それはよかったが、こちらはとにかく目が回りそうだ。
◆
「奥様、いかがでしょうか」
メイドが鏡の中の私に問いかける。
「頬紅だけ、もう少し多くつけてくれる?血色良く見えるように」
「かしこまりました」
「はい、大変結構。エレンは腕がいいわね」
「ありがとうございます。けれど腕が良く見えるのは、やはり奥様がお美しいからだと思います」
「口も上手だこと」
社交シーズンが開幕し、今日は夫と夜会に出る。夫に会うのは「君を愛するつもりはない」以来である。
「お待たせいたしました」
「愛人のジュリアが離れがたいと言って泣くので、予定より出発が遅れる」と手紙を送ってきた夫は、今しがたタウンハウスに到着して、様変わりした屋敷の中をきょろきょろと見回していた。
彼は、私を振り返って目を見開いた。
「なにか?」
「随分金をかけたようだと思ってな。屋敷もその装いも」
「必要経費ですわ。旦那様にはこちらを」
私は夫にカフスボタンを手渡す。
「付け替えろと?なぜだ。このカフスボタンはジュリアがくれたものだ。まさか妬いているのか」
まさか。そもそも夫に会うのが初夜以来である私が、どうやって夫のカフスボタンが愛人からのプレゼントだと知るというのだ。
「愛のこもったプレゼントは素敵ですが、今日の夜会の主催者は東洋磁器の収集家です。このカフスボタンひとつで話題が弾みますから」
伯爵領の鉱山が枯渇しかかっており、夫が新たな産業を興そうと必死になっていることはわかっている。その糸口を掴むために、社交に力を入れていることも。
夫を手助けするのは癪だが、夫が倒れてしまえば、私も使用人たちも共倒れだ。
さてはて、予想通りに夜会の主催者は夫のカフスボタンと私のネックレスに目を留め、話しかけてきた。夫は商談の糸口を掴み、ほくほく顔で帰りの馬車に乗る。
「その気遣いを、ジュリアにも伝授してやってくれないか。彼女は平民の出で、そういうことには気が回らないんだ」
馬鹿か。
なぜ私が、気の回らない夫の愛人の世話まで焼いてやらにゃならんのだ。夫の世話を焼くことすら、嫌々だというのに。
「お断りします。旦那様は彼女の貴族らしくないところを愛していらっしゃるのでしょうし」
「…それもそうだな」
いや、馬鹿でよかった。余計な仕事を命じられないで済んだ。
同じタウンハウスの、夫とは別の寝室に戻り、屋敷の中でもう少し手を入れなければいけない部分の仕様書に目を通しているうちに寝てしまい、私は机で朝を迎えた。
◆
「妻よ、そのネックレスは先週と同じではないのか」
馬鹿なのにめざといな、夫よ。
「そうです」
「いいのか、それで」
「先週の夜会とこの夜会は出席者の重複が少ないので、問題ありません。新しい宝石を買うよりも、屋敷の手入れや使用人の待遇改善を優先したいので」
高価な宝石ひとつで、使用人たちの部屋の家具くらいは整えてあげられる。
「ジュリアとは考え方が違うのだな」という呟きは、「ウェストリンジー伯爵夫妻のご入場です」という声にかき消された。
夫の旧友への挨拶が一通り終わり、飲み物を取りに行くという夫を見送りながら息をつく。連日の夜会と仕事で、眠い。
と、「イーディス」と懐かしい声がして、振り返る。
幼馴染のダニエル。
幼いころは彼と結婚するのだと思っていた。「やることさえやっていれば、恋人をもつのも許す」と夫に言われたとき、最初に浮かんだのも、彼の顔だった。
「ウェストリンジー伯爵夫人とお呼びください、フォード子爵」
「…ウェストリンジー伯爵夫人、お疲れのように見えますがいかがお過ごしですか」
「実際には疲れていない女性にそのような発言は、失礼ですよ」
「…心配なのです」
「御心配には及びません。ところで子爵、他の方に挨拶しなくてよろしいのですか」
彼と長話するのはよくない。けれど彼は距離をつめてきた。
「イーディス、なんであんな奴に操を立てる。愛人のところに入り浸って、君をないがしろにして、『妻には、恋人をもってもいいと言ってやった』と自慢げに言いふらすような奴だぞ」
やり返せないのは癪だ。
けれどこの社会は男性よりも女性の不倫に厳しい。節操のない伯爵夫人だと噂が立てば、伯爵家やそれに連なる人を守る力も弱まってしまう。
「俺と…」
彼にとられそうになった腕を、すっと引く。
「夫と同じところまで降りていくつもりはないのです、子爵」
彼は私の目を見て、私の気持ちを理解した。そして拳を握りしめて、別れの挨拶をしてくれた。
「本当に、さようなら」と。
結婚するときに、覚悟は決めていた。だから夫から愛されようが愛されまいが、私とダニエルの気持ちが同じだろうが、これが正解だ。
「妻よ、フォード子爵とはどういう関係だ」
帰りの馬車の中で、夫がそう聞く。
「幼馴染です」
「ただの幼馴染と、キスほどに熱い視線を交わすのか」
「おっしゃっている意味がわかりません」
「…ただの幼馴染には見えなかったという意味だ」
「どう見えようが、ただの幼馴染です」
どんなに彼のことが恋しくても、これからもきっと。
「…そうか」
なぜ夫は嬉しそうなのだろう。
◆
それから夫は「一緒に食事しよう」とか「何か欲しいものはないか。王都にいる間に一緒に買い物に行こう」とか言うようになった。
挙句に「領地に帰ったら本邸で暮らす」とまで言い始めて、本当に別邸から移ってきてしまった。
「『私は別邸で暮らし、この本邸は君に任せる』とおっしゃったはずでは」
「撤回する」
夫は私の前に跪いた。
「君を愛するつもりはないという言葉も、撤回する。君が私の真実の愛の相手だ。愛してる」
夫が何を期待しているかはわかる。私が感動でむせび泣き、彼の胸に飛び込む姿を想像しているのだろう。
本当に馬鹿。
「お気持ちを受け取ることはできかねます」
「怒っているのはわかる。謝るから。ジュリアにもちゃんと別れの手紙を送った」
だからなんだ。
「謝っていただいても、ジュリアと別れていただいても、軽蔑は消えませんので」
「け、軽蔑…!?イーディスは私を軽蔑しているのか?」
「ええ」
むしろどうやったら軽蔑せずにいられるのか、教えてほしい。
相手の立場にも気持ちにも思いを馳せず、自分の都合だけを言いっぱなしにしたかと思えば、今度は節操なく「愛してる」だなんて。
愛人を冷たく追い出し、手のひらを返したようにプレゼントを贈ってきて、一人で「真実の愛に目覚め、生まれ変わった自分」を気取って。
私を下に見て、自分の気持ちひとつで扱いを変えて振り回そうとする夫を、どうしたら軽蔑せずにいられる?
「私に…夫に愛されたくないのか!?」
愛がほしくないわけじゃない。
けれど、自分本位な愛ならいらない。
「旦那様からの愛は、いりません」
怒り狂って「離婚だ」と喚き散らすかと思ったが、夫は顔をあげた。
「どうやったら、やり直せる?どうしたら、君に愛してもらえる?」
「どうやっても無理です」
これから先、どれほど時間をともに過ごそうとも、きっと。
もし彼を許せたとしても、愛するつもりはない。
「どうして…!本当に君を愛するようになったのに…!」
「愛しているからといって、愛されるわけではないでしょう」
それに愛して愛されているからといって、結ばれるわけでもない。
それが、この世界の愛。
「現実を見てください」
目を見開いて、見ろ。自分の愚かな言葉で傷つけた相手を。
◆
夫は私に謝り続けたが、結局は諦めて、また別の愛人をつくって別邸で暮らすようになった。
「真実の愛」も、所詮はその程度。
一方私は伯爵夫人としての役割を果たし続け、夫が傍流からもらってきた子どもの教育にも精を出した。
息子を「君を愛するつもりはない」なんて言わない男に育て、気立ての良い娘を嫁にもらい、私を「おばあしゃま」と呼んでくれる血のつながらない孫もできた。
そして今、私は「本邸で死にたい」と言い出した夫が臥せっている部屋にいる。
ここ数日、老いた夫は何も飲まず、何も食べていない。そしてうわごとのように私の名を呼ぶことが増えた。
最期が近づいているのだ。
「イーディス…」
「大奥様、どうか最後にお言葉を」と医師が私に促す。
「愛してくれ、イーディス…」
これだけ生きてきて、まだ夢を見ているのか。ご苦労なことだ。
私は彼の耳に口を近づける。
「あなたを愛するつもりはないわ。諦めて死になさい」
彼は一瞬だけ目を見開いた。そして呼吸が乱れ、止まった。
「お逝きになられました」
司祭が祈りを捧げ、部屋にいる全員が首を垂れる。
こう言う人もいるだろう。
「結婚直後のたった一言を根に持って、死の間際にまでそんなことを言うのか」と。
けれどその「たった一言」は、夫の人間性の発露であった。去り行く人間に告げた一言が、私の人間性の発露であるのと同じように。
あるいは「許してやれ」と言う人もいるだろうか。
そう言う人には、「夫を許していないわけではない」と返そう。
けれど、愛してもいない。
一生かけても、私は夫を愛するつもりにはなれなかった。
それが事実で、ただそれだけなのだと。




