夏恋コーラ
老舗和菓子屋の夏は、戦場みたいに忙しい。
私は社員として、毎年その暑さの中にいた。
あんこを煮て、白玉を茹で、甘味処に出す小倉アイスを仕込む。
火を使う調理場は蒸し風呂のようで、額から流れる汗が止まらない。
そんな夏、社長が短期バイトを募集すると、店は急に明るくなる。
その中に、伊藤さんがいた。
同じ短期バイトの中でも、ひときわ明るくて、よく通る声で笑う女性だった。
昼休み、私はいつものように冷蔵庫からコーラを取り出した。
キャップを開ける。
「ポンっ!」
その音が食堂に響くと、彼女が振り向いた。
私がコーラを一気に飲み干すと、彼女は目を丸くして言った。
「すごーい!」
それが、最初の会話だった。
「コーラ、一気飲みできるの、すごいですね!」
「調理場、暑いからね」
「私は炭酸、一気に飲めないんだよね」
そんな、どうでもいいような話だった。
でも次の日も、その次の日も、
彼女は私の隣に座った。
「コーラ飲みすぎ注意だぞっ!」
そう言って笑う彼女は、看護師を目指して短大に通っていた。
「体に気をつけてよ」
ただそれだけの言葉が、妙に嬉しかった。
ある日、彼女にコーラの飲みすぎを叱られた。
「何このペットボトルの山!」
「一日二本だよ」
「うそだー。四本飲んでるって聞いたもん」
全部ばれていた。
彼女は呆れながら、私に烏龍茶を渡した。
「糖分すごいんだから、お茶にしなよ」
どうしてそんなに私を気にかけるのか、分からなかった。
でもその頃には、私はもう彼女を好きになっていた。
仕事終わり、出口で初めて見た彼女の私服姿が、思った以上に可愛かった。
その笑顔を見ただけで、疲れた体が軽くなる気がした。
ある日の仕事中、階段ですれ違った時だった。
「ねえ」
「なに?」
「私さ、今月でバイト終わりなんだ」
「そうなんだ…」
「学校始まるからさ」
「そうなんだ…」
彼女は少し頬をふくらませた。
「なんだよ!それだけかよ!」
その時、奥から呼ばれる声がした。
「伊藤さーん!」
「はーい!」
彼女は笑って、
「またね」
と言い残して走っていった。
蝉の声が少しずつ減り、夏の終わりが近づいていた。
私の飲み物も、コーラから烏龍茶に変わっていた。
そのことを彼女に伝えたくて食堂を探したが、その日、彼女はいなかった。
次の日も、その次の日も来なかった。
理由は聞けなかった。
聞くのが、怖かった。
三日後、ようやく仕事終わりに彼女と会えた。
出口には短期バイトの仲間たちが集まっていて、彼女はその輪の中にいた。
近づけないまま、視線だけが合う。
私は大きな声で言った。
「お疲れ様!」
彼女も笑って返した。
「さようなら!」
そして、被せるように叫んだ。
「コーラ飲みすぎるなよ!」
私は答えた。
「もう烏龍茶だよ!」
彼女は笑って言った。
「よろしい!」
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「アイツ、今日来てるのかな?」
伊藤さんがぽつりと言うと、隣でお弁当を広げていたユキが笑いながら言った。
「冷蔵庫にコーラがあれば、来てるんじゃない?」
その一言で、伊藤さんはハッとした。
昼休みが終わるぎりぎりまで残り、最後の一人が食堂を出ていくのを待つ。
そっと冷蔵庫を開ける。
「あった…!」
思わず声が漏れた。
一本だけ残っていたコーラを見つめながら、慌てて書くものを探す。
「メモ、メモ……あった!」
そのまま駆け足で仕事場へ戻った。
けれど、気持ちだけは、まだ食堂に置いたままだった。
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次の日、短期バイトの人たちは誰も来なかった。
昨日で、みんな終わりだったらしい。
昼休み返上で働いていた私は、何も知らされていなかった。
あとで、彼女も最後の昼休みに私を探していたと聞いた。
けれど、忙しさの中で、私たちは最後まで会えなかった。
忙しさの中で、私たちは最後まで会えなかった。
残暑の午後。
汗だくになった私は、久しぶりにコーラを飲もうと思った。
冷蔵庫を開ける。
なんだこれ?
コーラに、ポストイットが貼ってあった。
『コーラ飲み過ぎるなよ!わかった?』
「アイツ」と、私は心の中で思いながら「はい」とつぶやき、コーラを一気に飲み干した。
何故か今日は、少し炭酸が喉にきつく感じた。
お読みいただきまして、ありがとうございました。




