表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/57

9-10

 土曜日、研究日で名古屋に向かった。


 入り口を抜け、ロビーを入ったところで兄弟子の三雲(みくも)から声をかけられた。


 兄弟子といっても三十以上の年上だ。


 彩名と三雲の師匠は関東在住で、彼には弟子がその二人しかおらず、同門の彼は、ほとんど身内と言っていい存在だった。子供がいないこともあって、彩名のことを娘のように可愛がってくれている。すでに引退していたが、今は愛知に住んでいることもあって、研究会のある日は将棋会館にたびたび姿を見せていた。


「高月くん、先週君に聞かれた件なんだけど」

「三雲さん、おはようございます。先週って……何のことでしたっけ?」

「醉象だよ」


 そういえば、立ち話で話題にしたんだ。


 そのときは詳しいことは知らないと言われたが、調べてくれたのか。


「まあ、そもそも将棋の歴史があいまいだから、はっきりしたことはわからないんだけどね」


 囲碁は奈良時代あたりから、かなり詳細な記録が残されていて、源氏物語などにも描かれているが、将棋はなぜか記録がほとんど現存していない。そこは将棋指しとして、数少ない不満だった。が、今回の体験で、その理由がぼんやりわかった気がする。


 おそらくは、賭け事の道具としてだけ、長きにわたって利用されていたのではないだろうか。現代で言えば麻雀のような、そんな立ち位置だ。


「それでくだんの駒だけど、どうやら室町時代の後期に廃止されたらしいよ」

「え。室町……の後期ですか?それって十六世紀中頃ですよね?」

「さすが現役女子高生、よくわかるね」

「実は四ヶ月ほどその時代で暮らしてたんですよお」


 喉元までそう出かけて、どうにか耐えたとき、三雲から続けられた言葉に意識が集中した。


「廃止を命じたのは後奈良天皇ということになっているみたいだね。少なくとも記録にはそう残っているんだって。ただ、それも眉つばらしくてね。というのも天皇自ら将棋のルールを決めるというのもおかしな話で――」


 あのときだ!


 あのとき、綾が進言したことを覚えていてくれたのだ。


 歴史に関与したのではないかという、罪悪感と高揚感が入り交じったような不思議な感覚に襲われた。


 丁重に礼を述べ、一階の売店に向かう。


 研究会まではまだ時間がある。将棋の歴史についての書籍を探し、図書のコーナーを歩いていたときだ。


 心臓がどくんと脈打った。


 何だろう。今、とてつもなく気になる文字が――。


 一冊の本に手が伸びる。『名人の歴史。大橋宗桂からの系譜』とあった。


 将棋に名人位ができたのは確か江戸時代。


 当時は世襲制で、大橋宗桂は、実力制に移行するまで、何度も襲名された名前だ。


 初代についてのプロフィールを見た。


 生年、1555年3月。


 それは彩名がいた年の翌年。


 父、大橋宗也。


 すなわち、小春の恋人の名。


 彼女と出会ったとき、すでにおなかには宗桂がいたのか。二人は、その後、無事に結婚したのだ。そして生まれた子に将棋を教えた。


 綾に代役を願い出たときの彼女の真剣な眼差しを思い出し、そのときの心中を思って涙が出そうになった。


 売店には一般の客が数人いる。慌ててハンカチを取り出し、目元を押さえていると、初老の男性と、その孫とおぼしき小学生くらいの男の子が歩いてくるのが見えた。


「ねえ、君。将棋の名人制の礎を作ったのは、何と、このわたしなんだよっ」

「ええっ、そうなんですか?!それはすごいことです!サイン下さいっ」


 などとは、絶対にならないな。


 こんな世迷い言を真面目に聞いてくれるのは、夕海くらいだ。


「名人位に愛された女っちゅうことやん。うち、剣道やめて本気で彩名のマネージャーやろうかな」


 彼女がそばにいたなら、そんな冗談を言って笑わせてくれるだろうか。


 もっとも、名人を目指すより前に、まず、プロになる必要があるのだが。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ