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屋敷を離れ、牛車に乗り込んだ瞬間、緊張が一挙に解けた。
義理の姉の話も聞きたかったが、伏見に体を預けると、それ以上目を開けていることはできなかった。
翌日は一日寝て過ごした。
脳が全ての糖分を使い果たして、動けなかったのだ。
敗れて失うものへの恐怖心ではなく、醉象の失敗で頭に血が上り、最後は純粋に勝負に負けたくないという意地が手を動かしていた。
体力が回復するのに丸二日かかり、どうにか動き回れるようになったのは、寺で賭場が開帳される前日だった。
伏見とは、対局の日以来、ほとんど話をしていない。
彼女にすれば、二人の勝負は互角で、どうにか勝てたようにしか見えなかっただろう。
実際、将棋に詳しい貴族たちの評価も、薄氷の勝利だと、義兄から聞かされていた。
彼女にとっては、負ければ文字通り人生が終わることになる運命の日を前に、不安が募ってしまったのかもしれない。
まさか醉象のせいだと、言い訳することもできなかった。
対局後の雑談で、醉象は主に殿上人の将棋で使われていると大納言から教えられた。
理由は何となくわかる。今回の対局は例外としても、あの駒を正しく使えば、勝負の決着に相応の時間がかかるはずだ。
宴が仕事の貴族たちが、会話を楽しみながら優雅に遊ぶのにはぴったりなのだろう。ただ、生きるために働く庶民が、手の空いた時間に行う娯楽としては不向きだ。
現代に醉象が受け継がれていないことを考えると、どちらが多数派なのかは明らかだった。
寺で実施されているという賭け事の主役は労働者階級のはずで、すなわち、そこでの将棋に醉象はないに違いない。
無論、仮に使われていたとしても、同じ失敗はしないが。




