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2-3

 忍びで京の街を散策する約束を取り付けた翌日、早速その権利を行使した。


 牛車から見た町の民たちと似たような衣服に身を包み、髪を三つ編みにして、彩名は改めて室町の京都の土を踏んだ。


 水無瀬の家は相国寺の西にあった。現代も同じ名前で御所の北側に存在している寺だ。


 屋敷を出て、今出川を東に進み、鴨川の手前、京極通りを右に折れる。


 一時間ほど歩く間、注意深く観察したが、どこにも電柱や電線は見つけられない。


 途中、鴨川にも下りたが、現代のコンクリートの護岸とはほど遠い簡素な堤防。


 見えている景色が、映画のセットでも演出でもないことは、やはり疑いようがない。


 自暴自棄になるのは簡単だった。


 だが、人は、与えられた境遇で、あがくように設計された生き物のようだ。


 腹をくくるしかない。


 水面を見ながら覚悟を新たにしていると、伏見が綾の着物に触れた。


「そろそろ、戻られませんか?」

「どこか行きたいところでもあるの?」

「ここ以外でしたらどこでも」


 どこか怯えているように見えたのは、どうやら、綾が幼い頃、川に突然飛び込んだことがあるからのようだ。


「賑わっているところ、見てみたいかな」


 そう言うと、心底ほっとした表情を見せた。


 それから彼女が向かったのは三条通だった。現代もそうだが、京都の目抜き通りの一つだ。


「ここは何のお店?」

「石灰屋にございますね」

「石灰って、白い粉?」

「左様にございます。屋敷の壁に使います」

「ああ、なるほど。こっちは本屋?」

「唐本屋でしょうか。周防の大内殿に縁の者でしょう」


 しばらく行くと、竹細工の店があった。暖簾の先、引き戸が全開になっていて、商品が並べられている。


「あの飾り物、可愛い。見てもいい?」


 真っ先に目に留まったのは、細い竹で桜の形をあしらった、繊細なアクセサリーだった。通りに面した陳列棚の中央、台座に置かれ、他とは明らかに一線を画した扱いだ。


 店に足を踏み入れると、中年の女が二人を値踏みするように近づいてきた。


「これ、おいくらですか?」

「それは売り物じゃない。御所に出入りする名匠に、頼み込んで作ってもらったんだよ」


 用途は巾着飾りらしいが、どうやら、集客用の見せ物ということらしい。


 手に入らないと知ると、さらにほしくなるこのシステムの名前は、いったい何だっけと真剣に考えていると、店の奥から男の声がした。


「何が御所だ。そんな値打ちを語るようなもん、うちの店にあるわけねえだろ」


 見ると、女の亭主らしき男が、踏み台を椅子代わりに座り、手にしていた紙に、真顔で見入っていた。


「お前さん、死にたいみたいだね」


 妻は、くるりと背中を向け、女とは思えない凄みのある声を出したかと思うと、男の前へと進み、彼が手にしていた物を奪い取って、店の中へと放り投げた。


「おい、何しやがるんだっ」

「博打ばっかりして、ろくに仕事もしないごくつぶしが、何を偉そうにっ」


 夫婦げんかというには、殺意すら感じられる勢いだ。言われたほうも、目をつり上げて立ち上がる。


「してるだろうがっ。あれを解けば、米がもらえるんだよっ、この唐変木っ」


 そう言って、綾の前に落ちた紙を指さした。


 解けば米がもらえる?


 こんな時代に、懸賞でもあるのかと拾い上げ、目にしたものに呼吸が止まった。


 そこに書かれていたのは――見まがうことなき、詰め将棋だったのだ。


 いったい、どういうことなのか、尋ねようと顔を上げると、伏見が不気味な笑みをたたえて、二人のそばに近寄り、妻の肩に手をかけていた。


「まあまあ、おかみさん。こんな立派なお店を切り盛りされているお方なのですから。気をお鎮め下さいな」


 仲裁の言葉を口にしていたが、詳しく聞かせろという雰囲気が溢れている。


 そういえば、他の女房たちと話す内容も、誰かの醜聞やら失敗談の割合がやたら高かったような――。閉ざされた特殊空間が過ぎるせいで、他人の不幸に対する感度が現代人よりはるかに高いのかもしれない。


 妻は恥じ入ったように、顔を赤くした。


「客人の前で、みっともないところ見せちまったね。あっちでお茶でもごちそうするよ」


 そう言うと、夫をひとにらみして、伏見を連れ、店の奥へと姿を消した。


 まだ何か言いたげに、口を尖らせていた彼のそばへと寄る。


「これでお米がもらえるんですか?」


 紙を差し出すと、相手は乱暴にそれを受け取った。


「知らねえのか。最近、都で大きな顔をしているお武家の、確か松永って人が、将棋好きらしくてな。ときどき、こうやって、町の民に詰み探しの問題を出しているのさ。上の絵が簡単なほうで、賞品は米が一升。下の難しいほうを解けば、五合の徳利で、灘の高級酒がもらえることになってる」

「詰み探し、ですか。これまでにもあったんですね。お米はもらえたんですか?」

「嫌味か。このお遊びが始まって、かれこれ一年以上、もう五、六回、出題されてるが、これまで、正解を出した人間は一人もいねえよ。この界隈にも将棋好きは多いが、みんな、答えのない問題を出してるって噂してる」

「そうですか。あの、ものは相談なんですけど――答えと引き換えに、あそこの竹細工を頂くことはできませんかね」


 ダメと聞かされたときから、どうやって手に入れるか、ずっと手段を考えていたころだった。


「はっ?お前みたいな小娘に、解けるはずねえだろっ」

「まあ、そうなんですけど。できたら、のお話です」


 余裕のある言い様に、相手も何か感じ取ったらしい。


「ふん、そうだな。できたら、くれてやってもいいが」

「おかみさんに了承を得なくてもいいんですか?」

「女房が怖くて、博打をやってられるかよ。それに、米を手に入れられたら、文句も言うまい」

「なるほど、米のほうでいいんですね」


 そう言うと、彼は口を閉ざし、何かの期待の光を目に宿して、ゆっくりと立ち上がった。


「まさか……。酒のほうがわかるって言うんじゃないだろうな」


 そう言って、のどを鳴らした。


「どちらでも、お好きなほうを」

「おいおい、ふざけるなよ。まさか両方わかるってのか?馬鹿も休み休みに言いやがれっ」


 内容は罵倒だったが、口角がすっかり上がっていた。拾った宝くじが、当たりかもしれないとわかったときのような、浮足立った声調だ。


「聞くだけは、聞いてやる。さあ、やってみろ」


 うれしそうに男が差し出した問題用紙を、そっと押し返した。


「必要なのは、それではなく、将棋盤です。もう解けてますから」

「何……だってっ?いい加減なこと言うなっ。そんな時間、なかったはずだぞっ」

「上は十一手詰めですね。下は九手詰め。ですが、圧倒的に下が難しいです。その問題を作った人は、中々の上級者なんでしょうね」


 詰めるまでの手数(てすう)と、難易度は比例しない。ただ、少手数で高度な問題を作るのには、かなりの練度が必要だ。


 感心する彩名を、男は鬼でも見たかのように、怯えた表情で見ていたが、すぐに店の奥へと駆け出し、息を切らせて戻ってきたときには、薄っぺらい将棋盤と、小袋を手にしていた。


 彩名が、問題を盤面に再現しただけで、紙と見比べていた亭主は、感嘆の声を上げた。


「合ってやがるっ」

「ではいいですか?初手はまずこうです――」


 正解を教えると、彼は低い天井を突き破るのかと思うほどに、飛び上がって喜び、報償である巾着飾りを、勢い良く綾に手渡した。


「本当にこんな物でいいのか?」

「では、ありがたくちょうだいしますね」


 店先が騒がしいことに気づいたのだろう、怪訝そうな細君が伏見とともに姿を見せる。綾が手にしていた物に気づくと、般若のような顔になった。


「お前さん、いったい何があったのか、教えてもらうか」


 それまでより、二段階低い声調だった。


「米と酒、両方取ったんだぞっ」


 問題用紙を手に、必死に訴える夫。二人の温度差で、周囲の空気に気流が生まれる。


 亭主がもう行けと手を振るのが見えた。伏見の手を引き、逃げるように店を出てしばらく、誰かがぶたれる音と、男の悲鳴が聞こえた。


「いったい何があったのです?」

「旦那さんがいい人だっただけよ」


 それから手にした獲物を彼女に差し出した。


「綾様……?これはいったい」

「きっとお前に似合うと思って。これまでお世話になったお礼」


 知らずにそんな言葉が口をついていた。


 もちろん、これまで一方的に頼ってばかりだったのは確かだが、それとは別に、綾の心にあった感謝の代弁でもあった気がした。


 彼女は黙ってそれを受け取り、巾着の紐に括り付けたあと、小動物を愛でるようにそっと撫でた。


 それから会話が途切れ、それが二人きりであることをことさら意識させる。


 横目に見る従者の表情からは、プレゼントを喜んでいるのかどうか、読み取れない。


 何か話題をとあせったとき、少し前に気になった、ある疑問が頭に浮かんだ。


 綾は確かに特異な性質なのだろう。本人が知っていて当然と思える質問にも、伏見は不審がることなく答えてくれる。


 だが、いくら変人だからとはいえ、今の彩名とは人格がかなり違うはずだ。


 彼女はいったいそのことをどうとらえているのだろう。


 これまで、そのことを話題にしなかったのは、ただ怖かったからだ。


 今、それを確かめてみるか。


 それと決めた瞬間、ごくりと喉が鳴ってしまった。


「お、お前は、わたしのことをいったいどう考えているの?」


 ダメだ。これでは何を聞きたいのか、相手に伝わらない。


 そう思った瞬間だった。


 立ちくらみがした。


 どうにか足を踏ん張り、目線を上げたとき、周囲に見えていたはずの町並みが、霞の中に消えていた。まるで梅雨の曇り空が地上と一体化したように。


 それから、すぐそばにいるはずの伏見の意識が、希薄になる。


「え……。何、これ。待って、置いていかないで。わたし、こんなところに一人じゃいられないっ」


 そう叫ぼうとして、声が出ない。


 ぼんやりと見えている、その背中を必死に追いかける。


 やがて、彼女が放った言葉は、遠くに聞こえた。


「以前にもあった気がします。綾様がそうでなくなったことが」


 何それ、どういう意味?


「どんな選択をされたとしても、私にとって、あなたはたった一人の主君です」


 意味もわからず、泣きそうになりながら、どうにかその細い腕を掴んだ瞬間、再び強いめまいに襲われ、直後に足元に重力を感じた。


 おそるおそる顔を上げると、そこはさっきまでいた人通りの多い三条通りで、彼女はすぐ隣にいた。目を大きく見開き、その手首を力いっぱい握る綾を、驚いたような表情で見ながら。


「いったいどうされたのです?そんな慌てたご様子で」

「え……っと、今、何て言った?」

「何かを話されかけたのは綾様ではありませんか」


 そう言って、不思議そうに小首を傾げた。


 理由はまるで説明できなかったが、あのふわふわした伏見は、今目の前にいる彼女とは、別の人格なのだと、そう感じた。


 あるいは、深層意識のようなものだったのかも。


 非科学的だが、そもそも過去転生をしていること自体がファンタジーなのだ。


「何だか、お前がいなくなってしまう気がして、怖くなったの」


 そう言って手を離すと、彼女はわずかに口元を緩め、「そんなことには決してなりませんから」と、何ごともなかったかのように、先を歩き出した。



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