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記憶の遺跡  作者: 智信
第一部
9/25

第09話 帰還

 遺跡の入口を出た時、空はもう暮れかけていた。

 入った時は昼過ぎだったはずだ。

 中にいた時間の感覚がない。

 壁の光る石が変わらず灯り続ける遺跡の中では、時の流れが掴めなかった。


 外の空気が、やけに生々しかった。

 風が肌を撫でる。

 虫が鳴いている。

 草の匂い。

 遺跡の中の澄んだ空気とは違う、雑多で騒がしい、生きている世界の空気だ。


「……戻ってきた」


 フィノが呟いた。

 当たり前のことなのに、どこか実感がこもっていた。


「野営の準備をするわ。ここを離れるわけにはいかないでしょう」


 セラが遺跡の入口を見回しながら言った。


「ああ。この遺跡は地図に載っていない。一度離れたら、二度と見つけられないかもしれない」


 フィノの勘で辿り着いた場所だ。

 道順を覚えたとセラは言っていたが、あの時フィノが導いた獣道を、もう一度正確に辿れる保証はない。


「ギルドに報告すべきじゃないの」


 セラが聞いた。

 リーダーとして当然の判断だ。

 未知の遺跡の発見は、冒険者ギルドに報告する義務がある。


「報告すべきだとは思う。だが、最寄りの支部まで数日かかる。往復している間に遺跡が消えたら……」


「消える?」


「地図になかった遺跡だ。明日もここにあるとは限らない」


 セラが黙った。

 僕の言葉の重さを計っている目だった。

 「それに」と僕は続けた。


「仮にギルドに報告しても、フィノの導きなしでは他の誰もここに辿り着けないだろう。この場所は、普通の方法では見つけられない」


「……まず自分たちで調査を続ける、ってこと?」


「そうだ。少なくとも、あの封印の扉の先に何があるのかを確認するまでは」


 セラは遺跡の門を見上げ、長い息を吐いた。


「わかったわ。ただし、ギルドへの報告は後回しにするだけよ。隠すつもりはないわ」


「もちろんだ」


 入口から少し離れた木立の中に、野営地を作った。

 ガルドが薪を集め、僕が火を起こし、フィノが魔法で水を出し、セラが簡単な食事を作った。

 何度もこなしてきた手順だ。

 遺跡の中であれだけ異常なものを見た後でも、野営の段取りはいつも通りだった。

 それが少し、ありがたかった。


 皆での食事を終えた頃、僕は手帳を広げた。

 今日見たもの、聞いたこと、感じたことを整理する。

 記録士の仕事だ。

 遺跡の中では断片的にしか書けなかった。

 ここで、すべてを繋げる。


 手帳の前半。

 養父の文字。

 古代文字の書き写しと解読メモ。

 手帳の後半。

 僕の文字。

 碑文の記録、スケッチ、仮説。

 ページをめくりながら、養父の字と自分の字が交互に現れるのを見た。

 あの人の探究の続きを、僕がしている。

 意図したわけではない。

 けれど、結果としてそうなっている。


(……エルドさん、あなたもこうして、焚き火のそばで手帳を開いていたんだろうか)


 あの人が遺跡を巡っていたのかどうかは知らない。

 図書館の中で文献と格闘していただけかもしれない。

 だが、あの几帳面な文字を見ていると、この手帳を書いている時のあの人は、きっと今の僕と同じ顔をしていたと思う。


 今日得た情報を並べた。


 泉の碑文。「この水だけが、あの頃のまま」。

 聖典の懺悔。「彼女の眠りを守れ。我らの罪を、いつか裁いてくれるように」。

 宝玉の碑文。「この宝玉を持つ者が、王国の主」。

 ロザリオの銘。「お嬢様から頂いた、私の宝物」。

 燭台の碑文。「毎日、この火の前で祈っていた。誰かの幸せを」。

 封印の碑文。「懺悔を理解する者だけが、この先へ進める」。

 そして、番人の声。「命令に従った。それが罪だった」。


 断片を繋ぎ合わせる。


 この遺跡には、かつて王国があった。

 王がいて、聖女がいて、人々がいた。

 聖女はおそらく「お嬢様」と呼ばれ、従者に仕えられていた。

 人々は聖女を敬い、泉を愛し、祈りを捧げていた。

 やがて何かが起きた。

 人々は罪を犯した。

 聖女は眠りについた。

 王の名は消された。

 そして、命令に従った誰かが、その罪を呪詛として背負い続けている。


(……何が起きたんだ。この王国で)


 全体像はまだ見えない。

 しかし、碑文と聖典が語る物語には、一本の筋が通り始めている。


「レイン」


 セラの声で手帳から顔を上げた。


 セラは焚き火の向かいで、盾の留め具を点検していた。

 手を動かしながら、視線はこちらに向けている。


「あの呪詛……番人について、整理しておきたいの」


「ああ」


「物理攻撃が通じなかった。ガルドの剣が効かないなら、私の剣も同じよ。結界は一時的に退けられたけど、あれを維持し続けるのは無理。精々、数分が限界」


 セラの分析は正確だった。

 戦闘のプロとしての冷静さだ。


「フィノの魔法は?」


「試してない。でも、物理が通じないなら魔法を当てるしかないわね。フィノ、どう思う?」


 フィノは焚き火越しに遺跡の方角を見つめていた。

 炎の明かりに照らされた横顔が、こちらを向いた。


「……わかんない。でも、あの番人はあたしたちを殺そうとしてたわけじゃないと思う」


「殺そうとしていなかった?」


 セラが眉を上げた。


「だって、追ってこなかったでしょ。あの広間から出たら、それ以上は来なかった。本当に殺す気なら、通路まで追ってくるよ」


 確かに、とセラが頷いた。

 僕も同じことを考えていた。

 あの番人は封印の広間から一歩も出なかった。

 侵入者を排除するのではなく、封印に近づけないようにしていた。


「番人は封印を守っているだけだ。僕たちを殺すことが目的じゃない。なら、戦って倒す以外の方法があるかもしれない」


「たとえば?」


「聖典だ。扉の碑文は『懺悔を理解する者だけが通れる』と書いてあった。番人も同じだとしたら、懺悔を理解していることを示せば、道を開けてくれるかもしれない」


「……随分と楽観的ね」


「楽観じゃない。仮説だ」


「あんたの仮説は大抵、自分が危ない目に遭う前提なのよ」


 否定はしなかった。


 少し離れた場所で、ガルドが剣の手入れをしていた。

 砥石を刃に当てる規則的な音が、焚き火の爆ぜる音に混じっている。

 あの番人の声を聞いた時の、凍りついた表情を思い出す。

 「命令に従った。それが罪だった」。あの言葉が、ガルドの何かに触れた。

 元兵士。

 命令に従って戦っていた男。

 その過去に何があったのか、僕は知らない。

 ガルドは語らないし、僕も聞かない。

 それがこのパーティの距離感だ。

 だが、あの番人と再び向き合う時、ガルドにとってそれが何を意味するのか。

 考えずにはいられなかった。


 フィノが焚き火に小枝をくべた。


「ねぇ、レイン」


「何だ」


「あの番人さ、苦しそうだった」


「……ああ」


「ずっとあそこにいるんだよね。ずっと、あの罪を抱えて。何千年も」


 フィノは炎を見つめていた。

 揺れる光が目の中で踊っている。


「かわいそうだな、って思った」


 僕は何も言えなかった。

 かわいそう。

 その一言が、妙に胸に刺さった。

 あの番人は僕たちを襲った存在だ。

 物理攻撃が通じない、危険な呪詛だ。

 けれどフィノは、その苦しみの方を見ている。


(……そうだな。かわいそうだ)


 僕は手帳を閉じ、焚き火を見た。


「セラ」


「何よ」


「明日、もう一度あの番人と向き合いたい」


 セラが手を止めた。


「……倒すためじゃなく?」


「ああ。話をするために」


「呪詛と話ができるの」


「わからない。だが、あの番人にはフィノが聞いた声がある。言葉がある。言葉があるなら、通じるかもしれない」


 長い沈黙があった。

 焚き火が爆ぜた。

 ガルドの砥石の音が止まっていることに気づいた。


 セラが嘆息した。


「……わかったわよ。ただし、前と同じ条件。私が危険と判断したら即撤退。異論は?」


「ない」


「冒険者はあきらめない、ってやつ?」


「ああ」


 フィノが小さく笑った。

 ガルドが砥石の音を再開した。

 夜が深まっていく。

 遺跡の方角から、風が微かに吹いていた。

 花の匂いはしない。

 ただ、石の冷たさだけが、風に混じって届いた。

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