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第07話 王家の秘宝

「この宝玉を持つ者が、王国の主」

――秘宝の台座に刻まれた碑文

 庭園の中央の道を進むと、通路の造りが一変した。

 壁の石材が変わっている。

 白い石から、深い灰色の石へ。

 装飾も控えめになり、花の意匠は消え、代わりに直線的な紋様が壁を走っている。

 厳格さを感じる空間だった。


「雰囲気が変わったわね」


 セラが周囲を見回しながら言った。


「聖堂のあたりは祈りの場所だった。ここからは……」


「権力の場所?」


「かもしれない」


 通路の両側に、等間隔でくぼみが穿たれていた。

 中には、かつて何かが置かれていた痕跡がある。

 台座だけが残り、その上は空だった。

 この遺跡に入ってから初めて見る「失われたもの」だった。

 花は咲き、水は輝き、書物すら残っていたのに、ここだけは何かが持ち去られている。


(……誰かが、何かを運び出した?)


 いつの時代のことだろう。

 かつてここに住んでいた人間が持ち出したのか。

 それとも、僕たちより先にこの遺跡を見つけた者がいたのか。

 もしそうなら、ギルドに報告が上がっているはずだが、そんな記録は見たことがない。

 手帳に疑問を書き留め、先を急いだ。


 通路の途中、右手に重厚な扉があった。

 聖堂の扉より一回り大きく、表面に金属の装飾が施されている。

 錆びていない。

 この遺跡では金属も朽ちないらしい。

 ガルドが両手で扉を押した。

 重い音を立てて、ゆっくりと開く。


 部屋の中は暗かった。

 壁に嵌め込まれた光る石はあるが、他の場所より数が少ない。

 意図的に薄暗くしてある印象だった。

 セラが盾を構えたまま、先に足を踏み入れる。

 しばらく沈黙した後、小さく頷いた。


「……大丈夫。入って」


 目が慣れてくると、部屋の全容が見えてきた。

 広さは聖堂と同じくらいだが、天井は低い。

 圧迫感がある。

 壁際に石の棚が並び、棚の上にはいくつかの品が置かれていた。

 金属の器、宝石を嵌めた冠、細工の施された短剣。

 宝物庫だ。


「……すごいな」


 思わず声が漏れた。

 記録士として何十もの遺跡を見てきたが、これほど保存状態の良い宝物庫は初めてだった。

 普通は盗掘され、朽ち果て、原形を留めていることなどない。

 ここでは埃すら積もっていない。

 時が止まっているかのようだ。


「触るなよ」


 セラが先に釘を刺した。

 泉での一件を覚えているのだろう。


「わかってる」


 僕は部屋の中をゆっくりと見て回った。

 品々を手帳にスケッチしていく。

 冠の意匠、器の紋様、短剣の柄の装飾。

 どれも見たことのない様式だ。

 既知のどの文明とも一致しない。

 ガルドが短剣の一本を目で追っていた。

 武器を扱う人間として、その造りが気になるのだろう。

 だが手は出さない。

 視線だけが、刃の造りを追っている。

 棚の品々は見事だったが、部屋の中央にあるものが一番目を引いた。


 石の台座。

 聖堂のものよりひとつ低く、幅が広い。

 その上に、一つの宝玉が置かれていた。

 拳ほどの大きさの球体。

 透明な石の中に、青い光が閉じ込められている。

 泉の水底で見たのと似た色だが、こちらの方がずっと鮮烈だ。

 光は脈打つように明滅を繰り返している。

 薄暗い部屋の中で、宝玉だけが静かに、しかし力強く輝いていた。


 台座の側面に碑文が刻まれている。

 手帳を開いた。


(……「この宝玉を」……「持つ者が」……「王国の」……「主」……)


「この宝玉を持つ者が、王国の主」。


 僕は呟いた。


「王権の象徴か」


 声に出すと、言葉の重さが実感として伝わってきた。

 僕は台座の周囲を確かめた。

 碑文はこの一文だけだった。


「セラ、気づいたか。この部屋のどこにも名前がない」


「名前?」


「王の名前だ。これだけの宝物庫を持つ王国なら、創設者の名や歴代の王の名がどこかに刻まれているはずだ。冠にも、器にも、台座にも。だけど、何もない。王国の名すらない」


 セラが棚の品々を見回した。

 確かめるように。


「……本当ね。碑文はあるのに、固有名詞がひとつもない」


「泉の碑文もそうだった。聖典もそうだ。『我ら』『彼女』『王国』。すべて代名詞で書かれている」


 僕は手帳に書いた。


『王の名なし。王国名なし。固有名詞の意図的な排除。歴史から名前ごと消された可能性』


 ペンを走らせながら、養父のことを思った。

 養父が追い続けた「失われた王国」。

 どの年代記にも載っていない文明。

 養父はこの王国の存在を確信していたが、名前すら突き止められなかった。

 名前が残っていないのではなく、名前そのものが消されたのだとしたら、探しようがなかったのは当然だ。


「歴史から消された王国……」


「消されたのか。消えたのか」


 ガルドだった。

 壁にもたれて腕を組んだまま、宝玉を見ている。


「どう違う」


 セラが聞いた。


「消されたなら、誰かの意志だ。消えたなら、ただの結果だ。意味が違う」


 短い言葉だったが、核心を突いていた。

 この王国の名前が失われたのは、自然な風化によるものなのか。

 それとも、誰かが意図的に消したのか。

 碑文に固有名詞がないのは、書いた人間が名前を書かなかったからだ。

 書けなかったのか。

 書く必要がなかったのか。

 あるいは――書くことを禁じられたのか。


 答えはまだ出ない。

 だが、この問いと仮説は手帳に残しておく。

 いつか、答えに届く日のために。


 フィノが宝玉の前に立っていた。

 光に照らされた顔が、青白く浮かんでいる。


「フィノ、何か感じるか」


「……重い。泉や聖典とは違う。もっと硬い感じ。執着とか、嫉妬とか、そういう類のもの」


 フィノの感覚は、場所や物に残った感情を拾う。

 泉では悲しみと懐かしさ。

 聖典では後悔。

 そしてこの宝玉に残っているのは、もっと冷たく、硬質な感情らしい。


 僕は台座の碑文をスケッチし終え、宝玉に手を伸ばした。

 触れるつもりはなかった。

 大きさと距離を確かめたかっただけだ。

 泉の時のことは覚えている。

 指先が宝玉に近づいた、その瞬間。


 視界が、白く弾けた。


 一瞬だった。

 広い空間。

 今いる宝物庫よりもずっと明るい。

 正面に、大きな椅子がある。

 玉座だ。

 誰かがその前に膝をつき、座面に額を押し当てていた。

 肩幅の広い、重い衣を纏った人物。

 顔は見えない。

 そして。

 その人物の肩が、微かに震えていた。

 泣いているのか、怒りなのか、それすらもわからない。

 ただ、震えていた。


 視界が戻った。

 宝物庫の薄暗い部屋。

 手は宝玉に触れていない。

 指先が、わずかに届かない距離で止まっていた。


「レイン?」


 フィノの声が聞こえた。


「……今、何か見えた」


「見えた?」


「玉座の前に誰かが膝をついていた。顔は見えなかった」


 セラとガルドが振り返った。

 僕は手を下ろし、深く息を吐いた。

 心臓が速い。

 額に汗が浮いている。

 泉では匂いと感情。

 聖典では文字に込められた悲しみ。

 そしてこの宝玉では、映像。

 遺跡が見せるものが、奥へ進むほど変わってきている。


「その人、泣いてた?」


 フィノが聞いた。


「わからない。でも、肩が震えていた」


 フィノは宝玉を見つめ、ゆっくりと小さく頷いた。

 何かを確かめるように。


 僕は手帳に記録した。


 宝玉に手を近づけた時の幻視。

 玉座。

 後ろ姿。

 震える肩。

 できるだけ正確に、見たままを書き留める。

 この王国には王がいた。

 名前を消された王が。

 玉座に座り、肩を震わせていた王が。

 聖典に綴られた懺悔は、この王に向けられたものなのか。

 それとも、王自身の懺悔なのか。


「行こう。まだ先がある」


 セラが促した。

 僕は宝物庫を出る前に、もう一度だけ振り返った。

 薄暗い部屋の中で、宝玉だけが青く輝いている。

 名前を失った王国の、最後の証。

 あの玉座の人物は、この宝玉を手にしていたのだろうか。

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