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記憶の遺跡 ― 失われた王国  作者: 智信
第三部

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第30話 竜の憤怒

「主は許した。だが我は許さない」

――竜の広間に響いた声

 一歩、踏み出した。


 扉をくぐった瞬間、熱が全身を包んだ。

 石の通路とは比べものにならない。

 まるで炉の中に入ったかのような、圧倒的な熱。

 だが火はない。

 空気そのものが熱を帯びている。

 広い空間だった。

 天井が見えない。

 壁も遠い。

 これまでの通路や部屋とは桁が違う。

 洞窟のような、あるいは地の底にある巨大な空洞のような場所だった。


 赤い光が、高い位置にあった。


 扉の向こうから見えていた、あの赤い光だ。

 見上げなければならないほどの高さに、二つ並んでいた。

 目が暗闇に慣れていく。

 輪郭が少しずつ見えてきた。

 体の表面を、炎のような光が這っている。

 脈打つように、ゆっくりと。

 その光に照らされて、鱗が見えた。

 黒い鱗が鈍く光っている。

 巨大な体だった。

 翼があった。

 畳まれているが、広げれば空間を覆い尽くすだろう。


(……あの影だ)


 映像の中で見た。

 聖女の怒りに呼応して暴れていた、あの巨大な影。

 空を覆うほどの翼を広げ、世界を壊していた影。

 翼。

 鱗。

 炎のような光。

 古い伝承や文献で読んだことがある。

 記録士として各地の古文書に触れてきた中で、何度か目にした存在の描写。

 だがそれは物語の中だけのものだと思っていた。

 しかし、今、目の前にいる。

 文献の中の存在が、熱を持ち、息をしている。

 空想のものではなかった。


(……竜だ)


 あの影は、竜だったのだ。

 息遣いが聞こえた。

 重く、熱い息が、暗闇の中を流れていた。

 竜が息を吐くたびに、空気が揺れ、肌を撫でるような熱が押し寄せてくる。

 この遺跡に入ってから、たくさんのものと出会った。

 番人。

 近衛の怨念。

 王の亡霊。

 だがどれとも違う。

 竜は死者ではない。

 生きている。

 この巨大な存在は、何千年もの間、ここで生きていた。


 セラが盾を構えた。

 ガルドが剣を握り直した。

 フィノが僕の横で息を呑んだ。

 竜は動かなかった。

 ただ赤い目で、僕たちを見下ろしていた。


---


 竜が、口を開いた。


 声というより、振動だった。

 空気が震え、石の床が揺れ、体の芯まで響いた。

 低く、重く、途方もなく古い声だった。


「何故来た」


 四文字が、広間を満たした。

 反響し、壁に跳ね返り、足元から這い上がってくる。

 問いというよりも、圧力だった。

 立っているだけで膝が震える。


 誰も答えられなかった。

 声が出ない。

 体が動かない。

 竜の声そのものが、僕たちを押しつぶそうとしている。


 竜が続けた。


「主は優しすぎた」


 声が低くなった。

 怒りだった。

 だが叫びではない。

 静かで、深く、底のない怒りだった。


「だから我が怒る。主の代わりに」


 主。

 この竜は聖女のことをそう呼んでいる。

 あの映像が蘇った。

 聖女が壊れた時、竜が暴走した。

 聖女の怒りに呼応して、世界を壊そうとした。

 あの怒りは聖女のものだった。

 そして竜はそれを、今も抱えている。


「主は許した。だが我は許さない」


 竜の目が細くなった。

 赤い光が強くなる。

 熱が増した。

 空気が揺らぎ、足元の石が軋んだ。

 聖女は許した。

 あの映像の最後、彼女は「もう、いいの」と静かに目を閉じた。

 世界を壊すことをやめた。

 自ら光の中に消えた。

 だが竜は許していない。

 聖女が許しても、竜は怒り続けている。

 主の代わりに。

 主が優しすぎたから。


 ガルドが剣を構えた。

 全身に力が入っている。

 だがセラがガルドの腕を掴んだ。


「待って」


 セラの声が震えていた。

 だが、盾を構えたまま、前を見据えていた。


「……これは、戦いじゃない」


 ガルドが一瞬、セラを見た。

 だがすぐに理解したのだろう。

 剣を下ろした。

 フィノが小さく呟いた。


「怒ってる……でも、あたしたちにじゃない」


 フィノの目が竜を見上げていた。

 妖精の血が、竜の感情を読んでいる。


「この怒りは……もっと大きい。世界に向いてる」


---


 僕は手帳を鞄に戻した。

 記録するためではない。

 今この瞬間は、記録ではなく、向き合う時だ。

 一歩、前に出た。

 竜の圧力が増した。

 熱が肌を焼くように押し寄せる。

 だが、止まれなかった。


「僕は、全部見た」


 声が震えていた。

 だが出た。

 竜に向かって、声が出た。


「王の告白を聞いた。あの玉座で、王が何をしたかを聞いた。近衛を処刑したこと。聖女を壊したこと。永遠に罰を受け続けていること」


 竜の目が動いた。

 僅かに。


「剣に心を試された。何のためにここにいるのかを問われた。答えた。もう後悔はしたくないと。彼女のことを知りたいと」


 竜は黙っていた。

 赤い目が、僕を射抜いている。


「そして、彼女の人生を見た」


 声が詰まった。

 あの映像が蘇る。

 光の中に降り立った聖女。

 草が芽吹き、花が咲き、泉が湧いた世界。

 慈悲深い王。

 笑顔の絶えない日々。

 近衛との穏やかな時間。

 そして――暗転。

 崩壊。

 壊れた人間の目。

 従者の言葉。

 最後に光の中に消えていった姿。


「幸せだった時間も、壊された瞬間も、最後に光の中に消えていった姿も。全部見た」


 竜が低く唸った。

 広間が震えた。


「全部知った。それでも、ここにいる」


 沈黙が落ちた。

 竜の呼吸だけが、広間に響いていた。


「では問おう」


 竜の声が、静かに降ってきた。

 さっきまでの圧力とは違う。

 だが重い。


「お前は、何ができる」


 何ができるか。

 王を罰することはできない。

 すでに永遠の罰を受けている。

 近衛を救うことはできない。

 あの怨念を鎮めることすらできなかった。

 過去は変えられない。

 壊れたものは元に戻らない。

 何もできない。

 わかっている。

 それでも、ここにいる。


「忘れない」


 それだけが、出た。


「僕は記録士だ。彼女のことを記録する。彼女の怒りも、悲しみも、幸せだった日々も。誰にも語られなかった物語を、忘れないために」


 竜を見上げた。

 赤い目を、真っ直ぐに見た。


「許せるかどうかは、僕にはわからない。でも、忘れない。それだけは、誓える」


---


 沈黙が、長かった。

 竜の赤い目が、僕を見つめていた。

 呼吸の音だけが広間に響いている。

 熱い空気が、微かに揺れていた。


 やがて、竜の目が変わった。

 怒りが消えたのではない。

 赤い光はまだそこにある。

 だが、何かが緩んだ。

 圧力が、薄れていく。


「お前は、あきらめなかったな」


 竜の声は、静かだった。

 怒りでも、試練でもない。

 ただ、認めていた。


 竜が、ゆっくりと身を引いた。

 巨大な体が、暗闇の奥に退いていく。

 鱗が擦れる音が広間に響いた。

 畳まれた翼が壁に沿って滑り、赤い目が遠ざかっていく。

 竜がいた場所の奥に、小さな通路が見えた。

 通路の先に、淡い光が漏れている。


「この先が、主の部屋だ」


 竜が目を閉じようとしていた。

 赤い光が薄れていく。

 巨大な体が、ゆっくりと沈んでいく。

 眠りにつこうとしている。


 最後に、声が聞こえた。

 さっきまでの重い声ではなかった。

 低く、静かで、どこか疲れた声だった。


「主を……頼む」


 怒りの奥にあったもの。

 守護者の、最後の願いだった。

 竜の目が閉じた。

 赤い光が消えた。

 広間が、暗くなった。

 熱が引いていく。

 竜が纏っていた炎のような光が薄れ、巨大な体が暗闇に溶けていく。

 呼吸だけが、静かに繰り返されていた。


 フィノが僕の袖を引いた。

 涙が頬を伝っていた。


「……行こう」


 セラが小さく頷いた。

 ガルドが剣を鞘に収めた。

 僕は鞄から手帳を取り出した。

 震える手でペンを握った。


『竜。聖女の守護者。聖女の怒りを預かり、主を守り続けていた。最後の門番。怒りは消えていない。だが、道を開いた。「あきらめなかったな」と』


 手帳を鞄に戻した。

 僕たちは竜の脇を通り、奥の通路に足を踏み入れた。

 背後で竜の息遣いが、ゆっくりと静まっていくのが聞こえた。


 通路は短かった。

 その先に、小さな部屋があった。

 扉はない。

 淡い光が、中から漏れている。

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