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記憶の遺跡  作者: 智信
第一部
3/25

第03話 時の外側

 水の音が、少しずつ近づいてくる。

 通路は緩やかに曲がりながら下り続けていた。

 壁の光る石は相変わらず足元を照らしている。

 規則正しく、等間隔に。

 人の手で配置されたものだと確信できる並びだった。


「レイン、何か気づいた?」


 セラが前を見たまま聞いてきた。


「通路の構造が変わってきてる。さっきまでは仕上げが簡素だったのが、ここからは表面が磨かれてる。壁のレリーフも、花だけだったのが人物像になった」


「……外から内へ入ってきてるってこと?」


「たぶん。城壁から、居住区へ向かっているような感じだ」


 僕は歩きながら手帳にメモを取った。

 通路の幅、天井の高さ、レリーフの変化。

 記録士の仕事だ。

 それに、書くことで頭が整理される。

 この遺跡の建築様式は、やはりどの時代にも属さない。

 古代アルス文明の直線的な構造でもなければ、中世カルディア王国の円弧を多用した様式でもない。

 どちらかといえば有機的だ。

 通路は真っ直ぐではなく、緩やかに曲線を描いている。

 まるで、生き物の体内を歩いているような。


(……時間の外側にある場所)


 第一印象で感じたその言葉が、歩くほどに確信に変わっていく。

 ここは、歴史の中のどこにも位置づけられない。

 どの文明の延長線上にもない。

 まるで、世界の流れから切り離されたまま、ここだけが止まっているような……


「フィノ、体調はどうだ」


「ん? 平気だよ。むしろ……調子いいかも」


 フィノが不思議そうに自分の手を見つめた。


「身体が軽い。いつもより、ずっと。ここの空気、合ってるのかな」


「合ってるって、何にだ」


「わかんない。でも、なんかすごく楽」


 フィノの魔術は、場所に左右されることがある。

 魔力の薄い荒野では不調になり、水や緑の豊かな場所では活性化する。

 しかし、ここまで急激に変わるのは見たことがない。

 普通の森や泉とは、何かが根本的に違う。


「記録しておく」


「うん。よろしく、記録士さん」


 フィノが軽く笑った。

 こういう時のフィノは、いつも通りだ。

 深刻な状況でも、不思議な現象を目の前にしても、フィノはフィノのままでいる。

 それが、どれだけ僕たちの支えになっているか、本人は知らないだろう。


 通路の天井が少しずつ高くなってきた。

 足元の石畳も変化している。

 最初は不揃いだった石が、ここでは綺麗に切り揃えられている。

 靴底に伝わる感触が違う。

 歩きやすい。

 明らかに、人が頻繁に通ることを前提に作られた道だ。

 レリーフの人物像がさらに精緻になっていた。

 衣装の紋様まで彫り込まれている。

 描かれているのは行列のような場面。

 先頭に立つ人物は、他の人物より一回り大きく彫られている。

 王か、祭司か。

 その背後に付き従う人々。

 僕は足を止めて、行列の先頭の人物をスケッチした。

 頭部に冠のようなものを戴いている。

 しかし、顔の部分だけが意図的に削り取られていた。

 風化ではない。

 鋭い刃物で、丁寧に。


(……なぜ顔だけ消したんだ?)


 他の人物の顔は残っている。

 先頭の人物だけだ。

 記憶から消したかったのか。

 それとも、見てはいけなかったのか。

 疑問を手帳に書き留めて、先を急いだ。


「ガルド」


「ん」


「行列のレリーフが続いてる。この先に何か重要な場所があるのかもしれない」


「……用心するか」


 ガルドが両手剣の柄に手をかけ直した。

 彼は遺跡の歴史には興味がない。

 だが、「この先に何かある」と言えば、それが警戒すべき対象かどうかを即座に判断する。

 元兵士の勘だ。

 その勘に、何度も助けられてきた。

 半年前にパーティを組んだ時は、正直不安だった。

 寡黙すぎる男と連携が取れるのかと。

 だが蓋を開けてみれば、ガルドほど背中を預けられる男はいなかった。

 言葉は少ないが、背中は広い。


 水の音が、はっきりと聞こえるようになった。

 流れている音ではない。

 湧き出ている音だ。

 どこかで水が地面を叩いている。


「近いわね」


 セラが盾を構え直した。


「全員、足を止めて。私が先に確認する」


 セラが通路の先を覗き込み、しばらく沈黙した。

 それから、盾を下ろした。


「……危険はなさそう。来て」


 セラの声が、少しだけ柔らかくなっていた。

 戦闘時の声ではない。

 何かに驚いた時の声だ。

 僕たちはセラの横に並んだ。


 通路の先が、開けていた。

 頭上が開けていた。

 建物の壁に囲まれた中庭のような構造で、空が見える。

 柔らかな光が差し込み、空間全体を照らしていた。

 そこに広がっていたのは、庭園だった。

 石畳の小道が曲線を描いて続いている。

 道の両脇には草が茂り、花が咲いていた。

 何千年も放置されていたはずなのに。

 手入れする者も、水をやる者もいないはずなのに。

 中央には小さな噴水があった。

 水が音を立てている。

 あの水の音は、これだったのか。


「……嘘でしょ」


 セラが呟いた。


「花が咲いてる。こんな場所に。枯れずに」


 ガルドが無言で周囲を見回している。

 警戒しているのか、驚いているのか。

 たぶん、両方だ。

 剣の柄から手が離れていた。

 フィノが一歩前に出た。

 目を閉じて、深く息を吸い込む。


「……ここ、すごく澄んでる。空気も、水も。ずっと、誰かが大切にしてた場所だ」


 僕は手帳を開いた。

 書かなければ。

 この光景を記録しなければ。

 養父が見たら、どんな顔をしただろう。

 あの人が追い続けた「失われた王国」。

 その手がかりが、こんな形で目の前に広がっている。

 あの人の代わりに、僕がここにいる。

 しかし、何を書けばいいのかわからなかった。

 記録士として、いくつもの遺跡を見てきた。

 崩れた城壁、朽ちた祭壇、砂に埋もれた石碑。

 遺跡とは、失われたものの痕跡だ。

 かつてそこにあったものが消えた後の、残骸だ。

 しかし、ここは違う。

 何も失われていない。

 何も消えていない。

 花は咲き、水は流れ、光は満ちている。


(……時の外側)


 遺跡を初めて見た時に思い浮かんだ言葉が、背筋をなぞった。

 ここは、本当に時間の外にあるのだ。


「レイン、あんた泣きそうな顔してるわよ」


「……そんなことはない」


「嘘おっしゃい」


 セラがため息をついた。

 けれど、その目も少しだけ潤んでいるように見えた。


 僕たちは庭園の中を慎重に歩いた。

 石畳の道は噴水を中心に緩やかな弧を描いている。

 花壇には見たことのない花が咲いていた。

 白い花弁に薄紫の筋が入った、小さな花だ。

 図鑑にも記憶にもない種だった。

 フィノがしゃがみ込み、花に顔を近づけた。


「いい匂い。甘くて、少しだけ悲しい匂い」


「悲しい匂いってなんだよ」


「わかんない。でも、そうとしか言えない」


 ガルドが噴水の縁を調べていた。

 石の継ぎ目を指で確かめ、水の流れ出る口を覗き込んでいる。


「水源が見えない。どこから湧いてる」


「自然の水脈か、あるいは……」


 僕は言葉を濁した。

 自然現象では説明がつかない。

 この庭園を維持しているのは、自然の力ではない。

 何か別のものだ。

 記録士の知識では、これに最も近い現象は「聖域」だ。

 聖術師や高位の祭司が、特定の場所を時間の劣化から守る術。

 だが、それはせいぜい数十年しか持たない。

 ここは、数百年か、もしかしたらそれ以上だ。


 僕はペンを手帳に走らせた。


『通路を抜けた先に庭園。数百年放置されていたはずだが、花が咲き、水が湧いている。風化・劣化の痕跡なし。フィノの感覚は活性化。遺跡全体が何らかの力で保存されている可能性。調査を継続する』


 顔を上げると、庭園の奥にさらに通路が見えた。

 噴水の向こう側、花に囲まれた石の門。

 その先は暗く、光る石の道標はまだ続いていた。

 この遺跡は、まだ続いている。

 僕たちの最初の一歩は、まだ始まったばかりだった。

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