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記憶の遺跡 ― 失われた王国  作者: 智信
第三部

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第28話 神秘の剣

「私のようになるな。邪心に負けるな」

――神秘の剣に残された言葉

 通路に足を踏み入れた。


 黒い石壁が続いている。

 玉座の広間と同じ暗い石だが、ここにはあの重さがない。

 王の後悔が染み込んでいた広間とは空気が違う。

 冷たく、静かで、何も残っていない通路だった。


 全員が黙っていた。

 言葉にできるものが、まだ整理できていない。

 セラが先頭を歩いていた。

 盾を構え、一歩ずつ慎重に進んでいる。

 ガルドが最後尾で周囲を見回している。

 フィノが僕の横を歩いていた。


 通路は真っ直ぐに伸びていた。

 壁も天井も同じ黒い石。

 幅は二人が並べるほどだ。

 装飾はない。

 光る石がまばらに並んでいるが、光は弱く、数歩先までしか照らしていない。

 足音が石壁に反響し、自分たちの音だけが通路に響いた。

 歩くにつれて、空気が変わっていくのを感じた。

 この遺跡に入ってから、どの場所にも何かがあった。

 呪詛、怨念、後悔。

 だがここには何もない。

 ただ静かなのだ。

 こんなに静かな場所は初めてだった。


 フィノが小さく呟いた。


「……静かだね」


 誰も答えなかった。

 だが全員が同じことを感じていた。


 やがて、通路の先に壁が見えた。

 行き止まりだ。

 黒い石の壁が通路を塞いでいる。

 だがその手前に、何かがあった。

 石の台座だ。

 腰の高さほどの、四角い台座。

 磨かれた黒い石でできている。

 その中央に、一振りの剣が刺さっていた。


 刃が淡い光を放っていた。

 この遺跡の中で見た、どの光とも違う。

 光る石の白い光でも、フィノの妖精の光でもない。

 青白く、冷たく、だが美しい光だった。

 薄暗い通路の中で、その光だけが静かに揺れている。


 セラが足を止めた。

 ガルドが剣の柄に手をかけた。

 だが攻撃は来なかった。

 敵意がない。

 怨念のような圧力も、呪詛のようなうめきもない。

 通路を満たしているのは、静寂だけだった。


 フィノが目を細めた。


「……怨念じゃない。呪詛でもない」


 台座の剣を見つめたまま、フィノが呟いた。


「これは……後悔だ」


 後悔。

 王が言っていた。

 この先に、あの方が残したものがあると。

 聖女の感情は、この遺跡の中で形になっていた。

 悲しみは黒いヴェールになった。

 祈りは天の裁きになった。

 ならば後悔も、何かの形をとるのかもしれない。

 この剣が、そうなのかもしれない。


 僕は台座に歩み寄った。


「レイン!」


 セラの声が背後から飛んできた。

 だが止まれなかった。

 この光に、引き寄せられている。

 手帳を鞄に戻し、剣に手を伸ばした。

 指先が柄に触れた瞬間、全身を貫くものがあった。

 痛みではない。

 音でもない。

 だが確かに、体の芯を射抜いた。

 膝が震えた。


(……何だ)


 視界が歪んだ。

 仲間の声が遠くなる。

 石の床の感覚が消えていく。

 代わりに、頭の中に問いが浮かんだ。

 声ではなかった。

 文字でもなかった。

 だが、はっきりと問われている。


 ——お前は、何のためにここにいる。


---


 問いが、頭の中で反響していた。


 何のためにここにいる。

 記録士として、この遺跡の真実を記録するために。

 そう答えようとした。

 だが言葉にならない。

 その答えでは足りないと、体の奥で何かが拒んでいる。

 剣の光が強くなった。

 圧力が増す。

 内側から、記憶が引きずり出されていく。


 エルドさんの顔が浮かんだ。

 養父の顔だ。

 穏やかで、優しくて、いつも少しだけ遠かった人。


 図書館の机に向かい、古代文字と格闘していた背中。

 何年も、何年も、同じ机で同じ文字を追い続けていた。

 僕はその隣にいた。

 何をしているのか、知っていた。

 知っていたのに、聞かなかった。

 踏み込まなかった。

 養子として引き取られた僕とあの人の間には、いつも見えない一線があった。

 穏やかで、優しくて、だからこそ距離があった。

 あの人は何も強いなかった。

 僕も何も踏み込まなかった。

 あの一線を越えることを、僕の方が恐れていた。

 手帳の余白に並んだ「解読不能」の文字。

 何年も格闘した痕跡。

 あの人の一途さを、僕は見ていたのに理解しようとしなかった。


 悔恨の道で味わった痛みが蘇る。

 あの通路を歩いた時、後悔が引き出された。

 あの時と同じだ。

 剣の力が、僕の内側を暴いている。


「レイン、今日は何を読もうか」


 あの声が聞こえる。

 あの笑顔が見える。

 そして——「とうさん」と返せなかった自分。

 何度も機会はあった。

 朝の食卓で。

 図書館への道で。

 眠る前に。

 あの人が名前を呼ぶたびに、一言返せばよかった。

 たった一言。

 それだけのことが、最後までできなかった。

 あの人が死んで、残された手帳を開いて、初めて知った。

 あの人が何を追い、何に人生を捧げていたのか。

 「失われた王国」。

 あの人が生涯をかけて探し続けた場所に、僕は今いる。

 もっと早く踏み込んでいれば、一緒に追えたかもしれない。

 隣にいたのに、僕は何もしなかった。


 剣の圧力がさらに強くなった。

 問いが変わる。


 ——知識欲か。

 ——名誉か。


 違う。


 ——ならば、逃避か。

 ——自分の後悔から目を逸らすために、他人の痛みに没頭しているのか。


 体が震えた。

 養父にすら踏み込めなかった人間が、なぜ他人の痛みを記録しようとしている。

 聖女の悲しみを。

 近衛の嘆きを。

 王の後悔を。

 自分には関係のない、何千年も前の人々の物語を。

 なぜだ。


 沈黙が、長かった。

 答えは——もう、わかっていた。

 あの距離を、もう二度と作りたくないからだ。


 エルドさんに踏み込めなかった。

 知ろうとしなかった。

 聞こうとしなかった。

 その後悔は消えない。

 だが、同じことを繰り返すわけにはいかない。

 この遺跡に入ってから、僕は変わった。

 番人の前で聖典の言葉を読み上げた夜。

 近衛の怨念に向き合った時。

 聖女の幻視に飲み込まれかけた時。

 すべてが痛みに向き合う覚悟を問われていた。

 もう知らないふりはできない。

 この遺跡で出会った人たちの物語を、知らなかったことにはできない。

 番人の涙を。

 近衛の叫びを。

 聖女の悲しみを。

 王の後悔を。

 誰かが記録しなければ、消えていく。

 知りたい。

 彼女のことを。

 誰にも語られなかった聖女の物語を、聞き届けたい。


「もう後悔はしたくないんだ」


 声が出ていた。

 震えていた。

 だが、言葉にした。


「知りたいんだ、彼女のことを」


---


 剣が、応えた。


 膝をついていた。

 いつの間にか、台座の前に崩れ落ちていた。

 だが剣の柄はまだ握っている。

 手を離していなかった。


 光が変わった。

 青白い光が温かみを帯びていく。

 柄を握る指先に、温もりが伝わった。

 拒絶ではない。

 敵意でもない。

 これは——認められた……


 光が膨らんだ。

 剣の輪郭が溶けていく。

 刃が光の粒子になり、柄が崩れ、台座から光が立ち昇った。

 光が弾け、散った。

 淡い粒子が宙を舞い、天井に吸い込まれるように消えていった。

 手の中に、何も残っていなかった。

 台座の上に、剣はもうない。

 背後でセラが駆け寄る足音が聞こえた。


「レイン」。


 名前を呼ぶ声に、世界が戻ってきた。


 剣が消える瞬間、何かが伝わった。

 言葉ではない。

 だが胸の奥に残っている。

 後悔を抱えた誰かの、最後の願い。


 ——私のようになるな。邪心に負けるな。


 突き当たりの壁が、音を立てた。

 石壁に亀裂が走った。

 縦に、横に広がっていく。

 石が崩れ落ちた。

 崩れた壁の奥に、扉があった。

 剣は封印だった。

 この先に進ませないための。


 扉の向こうから、何かを感じた。

 空気が違う。

 重い。

 そして——熱い。

 石の床に、微かな振動が伝わっている。

 何かが息をしている。

 巨大な何かが。

 扉の向こうに、何かが生きている。


 フィノが後ずさった。

 顔色が変わっていた。


「……何かいる」


 セラが盾を構えた。

 ガルドが剣を抜いた。

 僕は立ち上がり、手帳を鞄から取り出した。

 何があっても記録する。

 それが、たった今この剣に誓ったことだ。

 閉ざされた扉を見つめた。


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