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記憶の遺跡 ― 失われた王国  作者: 智信
第二部

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第22話 真実の断片

 焚き火の炎が小さくなっていた。

 薪を一本足した。

 乾いた音がして、炎が持ち直す。

 星が頭上に広がっている。

 あの広場の黒い渦巻く雲がまだ瞼の裏に残っていた。

 フィノは毛布にくるまったまま、僕の隣で目を閉じていた。

 セラは荷物に背を預け、腕を組んだまま浅い眠りについている。

 ガルドだけがまだ目を開けていた。

 焚き火の向こう側で、腕を組み、何かを考え込んでいる。

 あの遺跡で見たもの、聞いたものを、ガルドもまた整理しているのかもしれない。


(……整理しよう)


 眠れない。

 体は疲れ切っているのに、頭だけが冴えている。

 この遺跡で集めた断片が、ばらばらに散らばっている。

 王城の壁の中央で、あの碑文を見つけた時から、何かが繋がりかけている。

 一つずつ並べ直さなければ、前に進めない。

 鞄から手帳を取り出した。

 焚き火の明かりでページを開く。

 最初のページから読み返していく。

 碑文、遺物、幻視、出会った存在たち。

 ページをめくるたびに断片が並んでいく。

 一つずつ読めば、ただの記録だ。

 だが最初から通して読むと、断片の間に線が引かれていく。

 一つの物語が浮かんでくる。


(……従者)


 聖女を「お嬢様」と呼び、日々の世話をしていた人物。

 衣の手入れ、花の世話、給仕。

 燭台の前で毎日膝をつき、ロザリオを握りしめていた。

 だがその献身の裏に、別の感情があった。

 フィノが読み取った影の正体は嫉妬と独占欲。

 聖女の隣にいた人物の幻視を見つめる従者の表情には、苦痛が滲んでいた。

 誓いは扉の外に、影は扉の内に。

 従者の二面性は、あの部屋の構造そのものに刻まれていた。


(……近衛)


 渡せなかった銀色のリング。

 誓いの言葉が刻まれた婚約の証。

 婚礼の祭壇は完全に準備されていた。

 花が飾られ、人々が待っていた。

 だが花嫁も花婿も現れず、式は行われなかった。

 近衛は王の護衛であり、聖女を守る者だった。

 通路で出会った近衛は穏やかだった。

 悲しみを受け入れ、次に守る者が現れることを祈っていた。

 だが怨念は違った。

 怒りと絶望の塊。

 同じ人間が二つに引き裂かれるほどの出来事。


「あの方を守りたかっただけだ」


 それが最後の叫びだった。


(……王)


 近衛を殺した。

 碑文がそう刻んでいた。

 番人に命令を下し、近衛を殺させた。

 婚礼を控えた近衛を、なぜ王が殺さなければならなかったのか。

 壁を埋め尽くす文字。

 何百人もの、いや何千人以上もの手で刻まれた呪詛。

 王の名前は聖典にも碑文にもない。

 通路のレリーフからは顔が削り取られ、通路から象徴が持ち去られていた。

 歴史から名前ごと消された王。

 なぜ殺したのか。

 近衛は聖女を愛していた。

 婚礼の準備まで進んでいた。

 王がそれを止めなければならない理由は何だ。

 嫉妬か。

 政治的な判断か。

 記録のどこにも動機は書かれていない。

 呪詛は「許されない」と繰り返すだけで、なぜそうなったのかを語っていなかった。

 従者は聖女に仕え、近衛は聖女を愛し、王は近衛を殺した。

 三人の想いが一人の聖女に向かっている。

 だが王と聖女を結ぶ線だけが見えない。

 王はなぜ聖女の婚礼を壊さなければならなかったのか。


(……聖女)


 手帳のページをめくった。

 何度もめくった。

 聖女自身の言葉を探した。

 従者が献身を誓い、近衛が愛を叫び、人々が王を呪い、妖精が懐かしんでいた。

 全員が聖女について語っている。

 なのに、聖女自身の声だけが、どこにも記録されていなかった。

 「壊れた」。碑文はただそう刻んでいた。

 近衛の死を知って、壊れた。

 それだけだ。

 壊れた後、聖女がどうなったのか。

 どこへ行ったのか。

 何を想ったのか。

 誰も語っていない。


 手帳を膝の上に置いた。

 夜風がページをめくった。

 僕はこの遺跡で多くの記録を残してきた。

 碑文を書き写し、幻視を記述し、出会った存在の言葉を一語も逃すまいとした。

 だがそのすべてが、聖女の周りにいた人々の記録だった。

 聖女そのものの声は、どこにもない。

 この手帳に並んでいるのは事実だけではなかった。

 碑文の一つ一つに祈りがあり、遺物の一つ一つに想いが刻まれている。

 僕が記録してきたのは、ここに生きた人々の想いそのものだった。

 だからこそ、聖女の声だけが欠けていることが、際立っていた。


「……起きてたんだ」


 フィノの声だった。

 いつの間にか目を開けて、手帳を覗き込んでいた。


「整理してたんだ。これまでの記録を」


「うん。……ねえ、レイン」


 フィノが焚き火を見つめた。


「さっき、あの人たちの声がずっと悲しかったって言ったでしょ」


「ああ」


「でもね、もう一つ気づいたことがあるの」


 フィノが膝を抱え直した。


「聖女の声だけ、聞こえなかったの。一度も」


 やはりフィノも同じことに気づいていた。

 あの感知の力をもってしても、聖女の気配だけは捉えられなかった。

 番人の後悔も、怨念の怒りも、壁に刻んだ人々の憎しみも、全部聞こえた。

 なのに、この物語の中心にいるはずの聖女だけが、沈黙している。


 ガルドが焚き火の向こう側から声を出した。


「守れなかった者の叫びは聞いた。殺した者への呪いも聞いた」


 低い声だった。


「だが、守られるはずだった者がどうなったか。誰も言っていない」


 ガルドが自分から口を開くのは珍しい。

 番人と怨念の声を自分の古傷に重ねてきた男が、別の角度から同じ空白を指していた。

 命令に従った罪と、守れなかった罪。

 その両方を知るガルドだからこそ、見えているものがある。


 セラが目を開けた。

 眠りが浅かったのだろう。

 会話は聞こえていたらしい。


「情報は集まった。構図も見えてきた。でも、肝心の答えが一つだけ欠けている」


 体を起こし、こちらを見た。


「あの門の向こうよ。次は突破する」


 揺れのない目だった。

 数時間前、撤退を進言した時と同じ冷静さで、今度は前進を告げている。


「今夜は休む。明日、装備を点検して消耗品を確認する。あの広場の呪詛に耐える方法も考えましょう」


 具体的な段取りだった。

 撤退を決めた時も、前進を告げた時も、セラは常に次の一手を考えている。

 この四人の中で、最も冷静な判断者だった。

 呪詛への対抗手段。

 手帳に書き写した聖典の一節は、番人にも怨念にも届いた。

 あの言葉が呪詛にも効くかどうかはわからない。

 だが今の僕たちが持てる最も確かな手がかりだ。

 明日、もう一度読み返しておこう。


「次こそ、あの門を開ける」


 ガルドが小さく頷いた。

 あの怨念の叫びを最も深く受け止めた男が、それでも前に進むことを選んでいた。

 フィノが毛布の中で拳を握った。

 何百人分もの声を全身で受け止めた少女が、もう一度あの場所に戻る覚悟を固めている。

 断片は繋がり始めている。

 従者、近衛、王。

 三人の想いが一人の聖女を巡って交差していた。

 だが聖女自身は沈黙したままだ。

 あと一つ。

 最後の一つだけが足りない。


---


 僕は手帳を開き、新しいページに書いた。


『これまでの記録を整理した。従者の献身と嫉妬、近衛の愛と怨念、王の罪と人々の呪い。すべてが一人の聖女を巡る物語。だが聖女自身の声は、どこにもない。聖女はどうなったのか。答えは、あの門の向こうにある』


 手帳を閉じた。

 使い込んだ表紙に手を置いた。


(……聖女はどうなったのか)


 あの門を開ければ、王城に辿り着く。

 王がいた場所。

 すべてが始まった場所。

 答えは、そこにある。


 焚き火の炎が揺れていた。

 フィノが再び毛布にくるまり、今度こそ目を閉じた。

 セラも荷物に背を預け直している。

 ガルドだけが目を開けたまま、腕を組んで空を見上げていた。

 四人がそれぞれの痛みを抱えて、この野営地にいる。

 あの遺跡が突きつけてきたものは、一人一人違った。

 だが全員が同じ場所を見つめている。

 あの門の向こうを。

 星が静かに瞬いている。

 傷を癒し、準備を整え、あの門に再び向かう。


 次こそ、あの先に進む。

これにて第二部は終了です。

第一部に引き続き、第二部までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

第二部は2日目の撤退で終了となります。

3日目からは第三部へと続きますので、引き続き、第三部もよろしくお願いします。

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