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記憶の遺跡  作者: 智信
第一部
2/26

第02話 最初の一歩

 遺跡の入口は、一歩踏み込んだ瞬間に裏切られた。

 暗いと思っていた。

 松明か、フィノの光魔法が必要になると。

 しかし、内部には光があった。

 壁に嵌め込まれた石が、淡く青白い光を放っている。

 照明、というには弱い。

 けれど足元が見える程度には明るかった。


「……なにこれ」


 フィノが壁の石に手を伸ばしかけて、止めた。


「触らない方がいいわ」


 セラが即座に制止する。

 未知の遺跡で迂闊に触れるのは禁物だ。

 基本中の基本。


「わかってる。でも、これ……魔力じゃない。もっと自然なもの。蛍みたいな」


 フィノが首を傾げる。

 僕には光る石にしか見えないが、フィノの感覚は僕たちとは違う。

 彼女が「自然なもの」と言うなら、少なくとも術式で作られた罠ではないのだろう。


「陣形を組むわよ。私が先頭、ガルドが後ろ。レインとフィノは中央。いつも通り」


 セラの指示に従い、僕たちは隊列を整えた。

 セラが大盾を構え、慎重に前へ進む。

 ガルドが両手剣を抜き、背後を警戒する。

 僕とフィノがその間に収まる。

 何度もこなしてきた陣形だ。

 魔獣の巣に踏み込む時も、古い遺跡に潜る時も、いつもこうだった。

 ただ、今回は空気が違う。

 埃がない。

 蜘蛛の巣もない。

 腐敗の匂いもしない。

 何千年も前に作られたはずの場所が、まるで昨日まで誰かが手入れしていたかのように清潔だった。


「ここ、生きてる」


 フィノが呟いた。


「生きてる?」


「うん。眠ってるけど、死んでない。この場所、まだ息をしてる」


 意味はわからない。

 けれど、フィノがそう言うなら、そうなのだろう。

 僕はこの感覚を信じることにしている。

 理解はできなくても、信じることはできる。

 それが長い付き合いで学んだことだ。


「……妙だな」


 ガルドが低い声で言った。


「何千年も前の場所には見えない」


 ガルドですら違和感を口にしている。

 この男が戦闘以外のことで発言するのは珍しい。

 それだけ、この場所が常識を外れているということだ。


 最初の通路を抜けると、広い空間に出た。

 広間と呼ぶべきだろうか。

 天井は高く、光る石が散りばめられた天蓋は夜空のように見えた。

 壁面にはレリーフが刻まれている。

 人物らしき像、花の装飾、何かの儀式の場面。

 精巧な彫刻だ。

 風化の痕跡はあるのに、欠けも崩れもしていない。


(……これは、すごい)


 記録士としての血が騒ぐ。

 僕は手帳を開き、レリーフのスケッチを始めた。

 線を追いながら、壁面に刻まれた古代文字を探す。


「レイン、あまり離れないで」


「わかってる」


 わかっているのに、足が動いてしまう。

 レリーフの端に、小さな文字列があった。

 手帳の中にある養父の書き写した文字と照合する。

 同じ字形がいくつか見つかる。

 しかし、読めない。

 養父の解読メモを頼りに、断片を拾う。


(……「この先」……「資格」……いや、「試される」か?)


 意味が繋がらない。

 養父はどこまで読めていたのだろう。

 手帳の前半をめくる。

 養父の几帳面な文字が並んでいる。

 書き写した古代文字の横に、小さく注釈が添えられている。

 「解読不能」「推定:祈り」「意味不明」。

 何年もかけて、それでも大半が解読できなかったことが、この余白の多さからわかる。


(……エルドさんも、苦労していたんだな)


 あの人の文字を見ると、不思議な気持ちになる。

 生前、この手帳を開いている姿を何度も見ていた。

 図書館の机で、窓から差す光の中で、ずっと古代文字と格闘していた。

 僕はその隣にいたのに、何をしているのか聞いたことがなかった。

 聞けなかった、のかもしれない。

 養子として引き取られた僕と養父の間には、いつも見えない一線があった。

 あの人は何も強いなかったし、僕も何も踏み込まなかった。

 穏やかで、優しくて、だからこそ距離があった。


「レイン」


 セラの声で手帳から顔を上げた。


「ぼーっとしない。周囲を見なさい」


「……すまない」


「記録は大事だけど、命あっての物種よ」


 セラはそう言いながらも、僕がスケッチを続けるのを止めはしなかった。

 この人はいつもそうだ。

 口では叱りながら、結局は待ってくれる。

 僕はレリーフの全体像を手早くスケッチし、手帳を閉じた。


「ありがとう、セラ。もういい」


「本当に? あんたの『もういい』は大抵嘘よ」


「……今回は本当だ。先に進みたい」


 広間の奥に通路が続いていた。

 一本道だ。

 壁の光る石が、道標のように点々と並んでいる。

 まるで、こちらへ来いと導かれているような配置だった。


「進むか?」


 ガルドが聞いた。

 僕にではなく、セラに。


「……今のところ危険はなさそうね。ただ、無理はしない。少しでもおかしいと感じたら声を出して。特にフィノ」


「うん」


 フィノが頷く。

 彼女の感覚がこのパーティの早期警戒装置になっている。

 本人はそんなつもりはないだろうが、実際、フィノが「だめ」と言った場所で無事だった試しがない。


 セラの判断で、僕たちは奥へ進んだ。

 通路は緩やかに下っている。

 壁のレリーフは少しずつ変化していった。

 花の装飾が増え、彫刻がより精緻になっていく。

 新しいものではない。

 古いものが、ただ美しく保たれている。


(……本当に、生きているのかもしれない)


 フィノの言葉が頭の中で繰り返される。

 歩きながら、僕は通路の構造を観察していた。

 石の組み方が独特だ。

 既知のどの建築様式にも当てはまらない。

 記録士として数十の遺跡を見てきたが、こんな構造は初めてだった。

 接合部に隙間がない。

 モルタルの痕跡もない。

 石と石が、最初からひとつだったかのように噛み合っている。


「セラ、この壁、見てくれ」


「何?」


「継ぎ目がないんだ。石を積んで作ったんじゃない。まるで、壁そのものが最初からこの形で存在していたみたいだ」


「……建築の話はわからないけど、異常だってことは理解できるわ」


 セラの言う通りだ。

 異常。

 その一言に尽きる。

 十分ほど歩いた頃だった。


 手帳が、震えた。


 腰の鞄に入れていた手帳が、はっきりと振動した。

 風ではない。

 歩いた揺れでもない。

 手帳そのものが、何かに反応するように震えている。

 僕は立ち止まり、手帳を取り出した。


「レイン?」


 フィノが足を止めて振り返る。


「手帳が……震えてる」


「え?」


 セラとガルドも立ち止まった。

 四人の視線が僕の手元に集まる。

 僕は手帳を開いた。

 養父の文字が並ぶページ。

 古代文字の書き写し。

 震えはそこから来ている気がした。

 遺跡の入口で感じた時は、気のせいだと思った。

 風のせいにした。

 でも、今度は言い訳ができない。


(……エルドさん、あなたは何を探していたんだ)


 手帳が答えるはずもない。

 けれど、震えは収まらなかった。

 まるで、奥へ進めと促すように。


「レイン、それ……大丈夫なの?」


 セラが警戒の目を向ける。


「わからない。でも、危険な感じはしない」


「あんたの『危険な感じはしない』は信用ならないのよ」


「……否定はしない」


 フィノが僕の手元を覗き込んだ。

 手帳に触れ、しばらく目を閉じている。

 やがて小さく息を吐いた。


「悪いものじゃないよ。この手帳、ここに来たがってたんだと思う」


 また、フィノの勘だ。

 根拠はない。

 けれど、僕はそれを信じる。

 手帳を鞄に戻した。

 震えはまだ続いている。

 微かに、けれど確かに。


「進もう」


「……はいはい。冒険者はあきらめないってやつね」


 セラが呆れたように言った。

 それは僕たちのパーティの合言葉みたいなものだ。

 フィノが言い出して、セラが馬鹿にして、でも結局セラが一番その言葉通りに動いてくれる。

 ガルドは何も言わずに歩き始めた。

 それが、この男なりの同意だ。


 通路の先から、微かに水の音が聞こえた。

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