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記憶の遺跡  作者: 智信
第二部
16/24

第16話 近衛の魂

「今度こそ、あの方を守る者が現れてくれ」

――通路を塞ぐ光の声

 従者の部屋を後にして、脇道を引き返し、本道に合流した。


 そこからさらに奥へ進むと、通路の雰囲気が変わった。

 藍色の壁は変わらないが、天井が高くなっていた。

 通路の幅も広い。

 私室エリアとは明らかに造りが違う。

 壁面の花のレリーフに混じって、別の意匠が現れ始めた。

 交差する剣の紋章。

 盾を構えた人物の浮き彫り。


(……護衛の詰所があった場所か)


 装飾の格が上がっている。

 私室エリアとは違い、もっと公的な空間だ。

 足音の響き方も変わった。

 壁が硬い。

 石の質が違うのかもしれない。

 歩くたびに靴音が遠くまで反響していく。

 空気も張り詰めている。

 ここは人が暮らす場所ではない。

 守る者が詰めていた場所だ。

 壁に触れると、石の冷たさの奥に、張り詰めた緊張が伝わってきた。


 通路を進む中で、奥に光が見えた。

 壁の光る石とは違う。

 もっと強い。

 もっと集まっている。

 通路の先を塞ぐように、淡い青白の光が壁を成していた。

 光の壁だ。

 天井から床まで、隙間なく通路を埋めている。


 セラが盾を構え、僕たちの前に出た。


「通れるか試すわ」


 セラが一歩、二歩と進み、盾を光の壁に押し当てた。

 手応えがないまま、体が押し返される。

 力任せに踏み込んでも同じだった。


「駄目ね。押しても通れない」


 ガルドも肩で当たってみたが、同じように弾かれた。

 物理的な障壁ではないのに、体が先に進むことを許されない。


「……待って」


 フィノが光の壁を見つめていた。

 目を細め、耳を澄ませるような姿勢。


「この奥に、誰かいる。光の向こう側に」


 光の壁の向こうに、存在がいる。

 この壁は、その存在が張っているものだ。


「怒ってるんじゃない。……守ってるんだ。この先にあるものを」


 番人の呪詛や従者の影のような攻撃性がない。

 冷たくもない。

 この光は、何かを守ろうとしている。


(……何かで通じるはずだ。従者の扉はロザリオに反応した。この光は何に反応する)


 鞄の中を探った。

 ロザリオ。

 燭台。

 そして――宝玉。

 手が止まった。


 剣の紋章。

 護衛兵の部屋の主。

 王家の秘宝。

 宝玉を取り出した。


 光が、揺れた。


 一瞬だった。

 通路を塞いでいた光の壁が大きく揺らぎ、中心に亀裂のようなものが走った。

 宝玉の表面が呼応するように輝いている。


「それは……」


 声がした。

 光の中から、声がした。

 低い。

 だが穏やかな声だった。

 番人の絞り出すような声とも、影の押し殺した怒りとも違う。

 静かで、深く、悲しい声。


「……主の証か」


 光が形を変え始めた。

 壁のように広がっていた輝きが、一点に集まっていく。

 人の輪郭が浮かび上がった。

 男の姿。

 背が高い。

 腰に剣を帯びている。

 鎧は着けていないが、立ち姿に隙がなかった。

 泉で見た幻視と同じように、輪郭は鮮明なのに顔だけがぼやけていた。


 光の人影が、宝玉を見つめていた。


「お前は何者だ」


「……僕はレイン。冒険者だ。この遺跡の真実を知るために来た」


「真実を」


 光の人影が僅かに揺らいだ。


「お前は……あの方のために来たのか」


 あの方。

 妖精は「あの子」と呼んだ。

 従者は「お嬢様」と呼んだ。

 今、この存在は「あの方」と呼んでいる。


「あの方が誰のことか、僕にはまだわからない」


 正直に答えた。


「でも、ここに来るまでに色々なものを見た。泉の記憶。従者の献身。誰かを想い続けた人たちの痕跡。僕は知りたいんだ。ここで何があったのかを」


 長い沈黙があった。

 光の人影は動かない。

 宝玉の輝きだけが、僕と光の間で揺れていた。


「……私は、この王国の近衛だった」


 近衛。

 護衛兵ではなかった。

 王家に直接仕える護衛。

 王の身辺を守る剣。

 ただの兵士ではない。

 王の側近中の側近だ。


「あの方をお守りする務めを負っていた。この剣も、この命も、そのためにあった」


 光の人影が腰の剣に手を触れた。

 透き通った指が、透き通った柄を撫でている。


「だが、守れなかった。何ひとつ……」


 声が揺れた。

 悲しみが滲んでいる。

 だが壊れてはいない。

 怒りも恨みもない。

 ただ、深い悲しみだけがあった。


(……あの部屋の主だ)


 剣を掛けていた金具。

 鎧を置いていた台。

 壁に刻まれた花の意匠。

 そして、渡せなかった銀色のリング。

 あの部屋で暮らし、あの指輪を何度も手に取り、そしてついに渡せなかった人物。

 この光が、あの部屋の主だったのだ。

 護衛兵だと思っていた。

 だが近衛だった。

 王に仕え、「あの方」を守る務めを負っていた。

 従者が「あの男」と呼んだ人物。

 聖女と並んで歩いていた人影。

 すべてが繋がっていく。


 顔はぼやけて見えないのに、視線だけははっきりと感じた。

 近衛が僕を見つめていた。


「お前は嘘をつかないな」


 そう言って、近衛の光がわずかに和らいだ。


「その宝玉は主の証。それを持つ者を、私は拒めない」


 光が左右に割れた。

 通路の先が見えた。

 さらに奥、広い空間に繋がっている。


「ならば進め」


 近衛が道を開いた。

 だが、その光はまだ消えていない。

 通路の脇に佇んでいる。


「しかし、気をつけろ」


 声が低くなった。

 悲しみとは違う、切迫した響き。


「私にはもう半分がある。守れなかった悔恨が、怒りと絶望になって残っている。あれは私だ。私自身だ。だが、あれはお前たちに襲いかかるだろう、この先の近衛の広間で」


 もう半分。

 従者は誓いと影に分かれていたが、同じ扉の表と裏に留まっていた。

 だが近衛の場合、魂と怒りが別々の存在として引き裂かれている。

 片方はここで道を守り、片方はこの先で怒りを振るっている。


 光が薄れ始めた。

 輪郭が淡くなり、剣を帯びた人影が透けていく。

 最後に一度だけ、深く頭を下げた。

 主に仕える者の礼だった。

 その所作には、崩れることのない誇りがあった。

 近衛の姿は通路の壁際に退き、淡い光となってそこに留まった。


「今度こそ、あの方を守る者が現れてくれ」


 近衛の声が震えた。

 祈りだった。

 何千年も、この通路で繰り返してきた祈り。


---


 僕たちは通路の先へ歩き出した。

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 セラが盾を下ろした。

 その手がかすかに震えていた。


「……セラ?」


 声をかけた。

 セラは答えなかった。

 足を止め、背後を振り返っている。

 通路の壁際に留まった淡い光を、じっと見つめていた。


(……何かを考えている)


 セラの表情は読めなかった。

 だがいつもの冷静さとは違う何かが、目の奥にあった。

 近衛が語った言葉を、セラはどう聞いたのだろう。

 守れなかった悔恨。

 務めと想いの間で引き裂かれた魂。

 セラがかつて騎士団にいたことは知っている。

 だがそれ以上のことは、セラ自身が語らない。


 ガルドがセラの隣に並んだ。

 何も言わなかった。

 ただ、そこにいた。


「……行きましょう」


 セラはそれだけ言って、通路の奥へ歩き出した。

 声はいつも通りだった。

 だが一歩目が、わずかに重かった。


 フィノが僕の袖を引いた。

 小さく首を振っている。

 今は聞くなということだろう。

 僕も頷いた。

 僕は手帳に記録した。


『通路にて光の壁に遭遇。宝玉に反応し、壁の向こう側の存在と対話が成立。自らを「この王国の近衛」と名乗る。護衛兵の部屋の主であり、リングの持ち主と推定。「あの方」を守れなかったという悔恨を抱えている。魂は穏やかだが、もう半分は「怒りと絶望になって残っている」と警告。従者は誓いと影に分かれつつも同じ扉の表裏に留まっていたが、近衛は魂と怒りが別々の存在として引き裂かれている。魂は通路の壁際に淡い光として留まり続けている』


 手帳を閉じ、セラの背中を追った。

 通路の先に、広い空間が開けていた。

 近衛の広間だ。

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