表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶の遺跡 ― 失われた王国  作者: 智信
第一部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/28

第10話 呪いの番人

「私は命令に従った。それが、最大の罪だった」

――封印の間の番人の声

 翌朝、僕たちは再び遺跡に入った。

 昨夜の野営で全員の体力は回復している。

 セラが入口で陣形を確認し、ガルドが剣の柄に手をかけ、フィノが深く息を吸った。


「行くわよ。昨日と同じ、私が危険と判断したら即撤退」


「わかってる」


 通い慣れた道のように、遺跡の中を進んだ。

 光る石の通路、庭園の花、噴水の水音。

 昨日と何も変わっていない。

 遺跡は、僕たちがいない間も同じように息づいていた。

 庭園を抜け、中央の道へ。

 灰色の石壁の通路。

 宝物庫の重い扉を横目に、さらに奥へ。


 空気が冷たくなる。

 花の匂いが消える。

 昨日と同じだ。

 封印の間に近づいている。


 歩きながら、僕は頭の中で言葉を組み立てていた。

 聖典の懺悔。

 番人の声。

 昨夜考えた仮説。

 呪詛に言葉が通じるかどうかはわからない。

 だが、試す価値はある。

 フィノが僕の隣で小さく呟いた。


「……まだいるよ。あの人」


 気配を感じ取っているのだろう。

 僕には何もわからないが、フィノの声には確信があった。


 広間に入った。

 番人は、いた。


 広間の中央、封印された扉の前に佇んでいる。

 どす黒い霧が人の形を保ち、内側で深い闇が渦を巻いている。

 こちらの存在に気づいたのだろう。

 霧が揺れた。

 昨日のように腕を振り上げる動きではない。

 ただ、揺れた。


「セラ、結界を頼む。でも、攻撃はしないでくれ」


「……了解。ただし、あっちが仕掛けてきたら遠慮なくやるわよ」


 セラが盾を構え、低い声で聖術の祈りを紡ぎ始めた。

 薄い光の壁が、僕たちの前に広がる。


 僕は一歩前に出た。


 番人と向き合った。

 目はない。

 顔もない。

 ただ、黒い霧が人の輪郭を保っている。

 その内側から、確かに何かがこちらを見ている。


「聞こえているなら、聞いてくれ」


 声が広間に反響した。

 番人は動かない。


「僕はこの遺跡の聖典を読んだ。『我らの懺悔』と書かれた本だ。あの中に書いてあった。『彼女の眠りを守れ。我らの罪を、いつか裁いてくれるように』と」


 番人の霧が、わずかに揺らいだ。


「あなたはこの封印を守っている。聖典に記された懺悔と同じだ。あなたもまた、彼女の眠りを守るためにここにいるんだろう」


 反応があった。

 霧の渦が速くなっている。

 言葉が届いているのか、それとも苛立たせているのか。


「フィノ」


「……怒ってるんじゃない。震えてるんだ」


 フィノが僕の隣に立っていた。

 番人を見つめ、その感情を読み取ろうとしている。


「この人、聞いてる。レインの言葉、全部。でも、それだけじゃ足りない。聖典の言葉じゃなくて、もっと……この人自身のことを」


 この人自身のこと。

 昨日フィノが聞いた声。「私は命令に従った。それが、最大の罪だった」。

 あの言葉が、この番人のすべてだ。


「あなたは命令に従った」


 番人の霧が、一瞬止まった。


「誰かの命令に従って、何かをした。そしてそれを、ずっと悔いている」


 霧が激しく揺れた。

 腕が持ち上がりかける。

 セラが盾を構え直す。

 だが、腕は振り下ろされなかった。

 途中で止まり、力なく下がった。


「あなたが何をしたのか、僕にはまだわからない。でも、あなたが苦しんでいることはわかる。何千年も、ここで、一人で」


 番人の輪郭が揺らいでいた。

 人の形を保てなくなりつつある。

 霧が薄くなり、濃くなり、また薄くなる。


「レイン」


 フィノが僕の袖を掴んだ。


「この人、泣いてる」


 泣いている。

 目もない、顔もない、呪詛の塊が。

 だがフィノがそう言うなら、そうなのだろう。


 その時、背後で足音がした。

 ガルドだった。


 ガルドが、僕の横を通り過ぎた。

 剣は抜いていない。

 両手は空だ。

 盾もない。

 セラの結界を越え、番人の前に進み出た。


「ガルド!?」


 セラが叫んだ。

 僕も声を上げかけた。

 だが、ガルドの背中を見て、言葉が出なかった。

 あの背中は、戦いに向かう男のものではなかった。

 もっと静かで、もっと重いものを背負った歩き方だった。


 ガルドは番人の前で立ち止まった。

 黒い霧が目の前で渦を巻いている。

 手を伸ばせば触れる距離だ。

 番人の腕がわずかに持ち上がった。

 セラが息を呑む。

 だが、ガルドは動かなかった。


 ガルドは、膝をついた。


 石畳の上に、両膝をつき、頭を垂れた。


「……俺もだ」


 低い声だった。

 広間に、静かに響いた。


「俺も命令に従った。手を下したのは俺だ。命令だったと言い訳をして、ずっと逃げてきた」


 誰も動けなかった。

 セラも、フィノも、僕も。

 ガルドが番人の前に膝をつき、頭を垂れている。

 三十歳の、歴戦の戦士が。

 両手を膝の上に置き、肩を震わせている。

 半年間パーティを組んできて、この男の過去を聞いたことはなかった。

 ガルドは語らない男だし、僕もそこに踏み込む性格じゃない。

 だが今、ガルドは自分から口を開いている。

 この番人に向かって。


 番人の霧が、変わった。

 激しく渦巻いていた闇が、ゆっくりと凪いでいく。

 人の輪郭が薄れ、霧が淡くなっていく。


 番人が、ガルドの前に同じように崩れた。

 膝をつくように、霧が低くなった。

 二つの影が、封印の前で向かい合っている。


 フィノが息を呑んだ。


「……許してほしいんじゃない。わかってほしいだけなんだ。同じ苦しみを知っている人に」


 フィノの声が震えていた。

 番人の感情を、そのまま言葉にしている。


 霧がさらに薄くなった。

 広間の空気が変わっていく。

 冷たさが和らぎ、重さが消えていく。

 番人の輪郭が溶けるように崩れ始めた。


 その時、声が聞こえた。


 今度は、フィノだけではない。

 僕にも聞こえた。

 広間全体に、微かに、しかし確かに響く声。


「封印を……解いてくれ」


 番人の最後の言葉だった。

 霧が散った。

 黒い闇が薄れ、淡い煙になり、やがて何も残らなかった。

 広間が、静かになった。

 冷たかった空気が少しだけ温み、壁に嵌め込まれた光る石が、ほんのわずかに明るくなった気がした。

 封印の間に満ちていた苦しみが、消えたのだ。


 封印の扉が、そこにある。

 もう、番人はいない。


 ガルドが膝をついたまま動かなかった。

 しばらくの間、誰も声をかけられなかった。

 やがて僕はガルドの傍に歩み寄った。


「ガルド」


「……すまん。勝手に動いた」


「謝ることじゃない」


 ガルドが顔を上げた。

 目が赤かった。

 泣いてはいない。

 だが、泣くことを堪えた後の目だった。


 セラがガルドの横に立ち、黙って手を差し出した。

 ガルドはその手を取り、立ち上がった。

 何も言わなかった。

 セラも何も聞かなかった。

 それでいい、と僕は思った。

 ガルドが語りたくなる日が来るなら、その時に聞けばいい。

 今はただ、この男が仲間であることを知っていればいい。


 フィノが番人がいた場所に手をかざしていた。


「……もういない。完全に。でも、最後は穏やかだったよ」


「穏やかだった?」


「うん。ずっと苦しんでたのが、すっと楽になった感じ。解放されたんだと思う」


 解放。

 何千年もの間、罪を抱えて封印を守り続けた人間が、ようやく。


 僕は手帳を開き、記録した。


『番人と再び対峙。聖典の懺悔を語りかけたところ、番人に反応あり。フィノが番人の感情を読み取る――「泣いている」「わかってほしいだけ」。ガルドが番人の前に膝をつき、自らの過去を告白。番人の呪詛が薄れ、消滅。最後の言葉「封印を解いてくれ」。番人は命令で罪を犯した人間であり、同じ苦しみを知る者に理解されることで解放された。呪詛は戦って倒すものだけではない』


 封印の扉の前に立った。

 文字がびっしりと刻まれた、巨大な石の扉。

 番人はもういない。


「懺悔を理解する者だけが、この先へ進める」。

 聖典の言葉を知っているだけでは足りなかった。

 番人の苦しみに触れ、ガルドが自らの罪を差し出し、フィノがその感情を繋いだ。

 四人がいたから、ここに立てている。

 番人を理解したことが、懺悔を理解したことになるのだろうか。

 僕にはまだわからない。

 だが、あの番人が最後に残した言葉が、頭から離れなかった。


「封印を解いてくれ」。


 あれは遺言だ。

 番人自身の願いだ。

 この扉を開けることが、番人の最後の望みを叶えることになる。


 答えは、この扉の先にある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ