第01話 記録士レイン
その日のクエストは、いつも通りのはずだった。
人里離れた廃鉱山に出没する魔獣の討伐。
ギルドからの依頼書には鉄ランク相当と記載されていたが、実際に出てきたのは痩せた牙狼の群れで、ガルドが二度剣を振るう頃には片がついていた。
「はい、終わり。報告書はレインよろしく」
セラが盾を背中に回しながら、こちらを見る。
「……いつも僕だな」
「記録士でしょ、あんた」
否定はできなかった。
僕の名前はレイン・ヴァルハート。
冒険者ギルドに登録された記録士だ。
遺跡や遺物の記録を専門にしている。
剣の腕は大したことがない。
短剣を一本、護身用に腰に差しているだけ。
それでもこのパーティでやっていけているのは、古代文字の解読と、何よりこの三人のおかげだ。
「ガルド、怪我は?」
「ない」
両手剣を肩に担いだ大男が、いつも通り一言で答える。
ガルド・アイゼン。
三十歳、元兵士。
ソロの冒険者だった彼が僕たちのパーティに加わったのは半年前のことだ。
共同クエストで一緒になった時、何を思ったのか、終わった後に「次も組むか」と言ってきた。
理由は聞いていない。
ガルドは多くを語らない男だし、僕もそこに踏み込む性格じゃない。
「ねぇ、レイン」
フィノが僕の袖を引いた。
「帰り道、少し寄り道していい?」
「寄り道?」
「うん。なんか、気になるところがあって」
フィノ・ノエル。
僕の幼馴染で、このパーティの魔法使い。
グレンツで一緒に育った。
同い年だが、こういう時の彼女は妙に子どもっぽい顔をする。
気になるところ、というのがフィノの口から出た時、僕は経験上、無視しない方がいいと知っていた。
フィノの勘は、時々説明のつかない精度を持っている。
「セラ、少し寄り道していいか」
「フィノが言うなら、いいわよ。あの子の勘は当たるから」
セラ・ドーン。
このパーティのリーダーで、盾術士。
元騎士団の見習いで、僕とフィノがギルドに新人登録した時、なぜか面倒を見てくれた人だ。
そのまま指導者役を買って出て、気がつけばリーダーになっていた。
面倒見がいいのか、お節介なのか。
たぶん、両方だ。
フィノの案内で、僕たちは山道を外れた。
獣道を辿り、木々の間を抜け、岩場を越える。
フィノは迷いなく歩いていた。
まるで道を知っているかのように。
「フィノ、どこに向かってるんだ」
「わかんない。でも、こっち」
「……それ、答えになってないぞ」
「うん、知ってる」
フィノはこういう奴だ。
昔から。
理由は説明できないけど確信だけがある。
僕はそれを何度も見てきた。
水脈の位置を言い当てたこと、嵐が来る前に空を見上げたこと、危険な遺跡で罠を避けたこと。
魔法の才能が異常に高いのもそうだ。
誰に師事したわけでもなく、フィノは光と水と風を操れる。
本人は「なんとなくできる」としか言わない。
(……本当に、なんなんだろうな、こいつは)
幼馴染として子どもの頃からの付き合いだ。
それでも、時々わからなくなる。
十五分ほど歩いただろうか。
フィノが足を止めた。
「……ここ」
木々が途切れ、視界が開けた。
そこに、遺跡があった。
――いや、おかしい。
この地域の地図は何度も見ている。
養父が遺した地図帳も、ギルドの最新版も。
この場所には何も記載されていなかった。
山岳地帯の斜面、ただの岩場のはずだ。
なのに。
岩場だったはずの場所に、石造りの建造物が存在していた。
門のような構造。
蔦に覆われた柱。
苔むした石壁は何千年も前のもののはずなのに、どこか息づいているような気配がある。
古代遺跡か、と最初は思った。
しかし、違う。
この地域に見られる古代様式とは異なっている。
中世の城塞とも違う。
どの時代の建築にも当てはまらない。
(……まるで、時間の外側にあるような場所だ)
そんな馬鹿な表現が、しかし一番しっくりきた。
「なんだ、これは」
ガルドが低く呟いた。
彼が驚きの言葉を口にするのは珍しい。
「レイン、これ……遺跡よね」
セラが盾に手をかけたまま、周囲を警戒している。
「ああ。間違いなく、遺跡だ」
記録士としての本能が告げている。
これは人工物だ。
誰かが、何かの目的で建てたもの。
だが、いつ? 誰が?
僕は遺跡の入口に刻まれた文字を見た。
雨風に晒されて大半が消えているが、わずかに残った文字がある。
(……読める。いや、読めるというほどじゃない。でも、見覚えがある)
心臓が跳ねた。
この字形に、見覚えがある。
養父エルドの形見の手帳。
あの中に、あの人が生前、何年もかけて追い続けていた「失われた王国」の記録がある。
解読できたのはほんの断片だが、そこに書き写されていた古代文字。
あの文字と、今、目の前にある文字が、同じだ。
(……まさか)
養父は何を追っていたのだろう。
歴史の中から消えた王国。
どの年代記にも載っていない文明。
あの人はそれを見つけることなく死んだ。
僕に何も告げずに。
いや――告げなかったのか、告げられなかったのか。
あの人が何を考えていたのか、僕は最後まで聞けなかった。
聞こうとしなかった。
いつだって、僕の方が距離を取っていた。
(……エルドさん)
今も、その呼び方しかできない自分がいる。
その答えが、ここにあるのか。
「レイン」
フィノの声で我に返った。
振り返ると、フィノが遺跡の入口を見つめていた。
いつもの明るい表情ではなかった。
かといって、怯えているわけでもない。
もっと深い、言葉にならない何かが、その目に宿っていた。
「フィノ?」
「……なんだろう。ずっと、呼ばれてた気がする」
「呼ばれてた?」
「うん。ここに来る前から。もっとずっと前から。ここに来なきゃいけないって、ずっと……」
フィノは自分の言葉に戸惑うように、首を振った。
「ごめん、変なこと言った。自分でもよくわかんない」
「いや――」
変なことじゃない、と言いかけた。
だって僕も、同じだったから。
養父の手帳を見つけた時から、ずっと。
あの文字の向こうに何があるのか。
この失われた王国は、なぜ消えたのか。
知りたくて、確かめたくて、ずっと。
それは学問的な興味だと思っていた。
養父から受け継いだ知的好奇心だと。
でも、今、この遺跡の前に立って。
フィノが「呼ばれていた」と言うのを聞いて。
ああ、僕もそうだったのかもしれない、と思った。
「セラ」
「……何よ。言いたいことはわかってるわよ」
セラが嘆息した。
「入りたいんでしょ」
「ああ」
「クエスト報告もまだなのに?」
「報告書は後で書く。二倍の分量で」
「そういう問題じゃないのよ……」
セラは遺跡を見上げ、それからフィノを見て、最後に僕を見た。
「ガルド、どう思う?」
「行けるなら行く。無理なら引く。それだけだ」
ガルドはいつも通りだった。
セラは肩をすくめた。
「はぁ……いいわよ。ただし、私が危険と判断したら即撤退。異論は認めない」
「ありがとう、セラ」
「感謝はいいから、装備の確認をしなさい」
フィノが小さく笑った。
「セラ、ありがとう」
「あんたもよ。変な勘で連れてきたんだから、責任持ちなさいね」
僕は荷物から手帳を取り出した。
さっき思い出した、あの手帳だ。
使い込まれた革表紙の、年季の入った手帳。
前半は養父の字で埋まっている。
「失われた王国」の記録、書き写された古代文字、そして解読の試み。
後半には白紙のページが残っている。
僕はそこに、今日の日付と場所を書き込んだ。
『地図に記載のない遺跡を発見。建築様式はどの既知の時代にも該当せず。入口に刻まれた文字は、養父が書き写した「失われた王国」の字形と一致する可能性あり。調査を開始する』
ペンを置いた瞬間、手帳が微かに震えた気がした。
気のせいだ、と思った。
風が吹いただけだ。
遺跡の入口は暗く、静かだった。
何も語らない。
ただ、そこに在った。




