天空鋼の在り処
洞窟の中で、俺たちは夜が明けるのを待った。
入り口で威嚇を続けていた魔狼の群れも、朝日が昇る頃には、森の奥へと姿を消していた。
洞窟内に気まずい沈黙が流れる。
リナは、自分の両手を見つめたまま、俯いてしまっている。
昨夜、自らの体から光が放たれたことが、まだ信じられないのだろう。
デュランは、壁に背を預け、腕を組んで黙り込んでいる。
時折、彼の視線がチラリとリナに向けられ、すぐに逸らされる。
その沈黙を破ったのは、デュランだった。
「……小僧。昨夜のあの光は、一体何だ。あのガキは……何者なんだ」
その声には、もう俺を馬鹿にするような響きはなかった。
ただ、純粋な疑問と、理解できないものへの戸惑いが込められている。
俺は焚き火に薪をくべながら、静かに答えた。
「彼女は、リナだ。見ての通り、心に傷を負った、ただの女の子さ」
「ただの女の子が、あんな光を放つか。魔狼の群れが、あの光に怯えて手出しもできなかったんだぞ」
「ああ。彼女には、特別な力がある。人々を癒やし魔を退ける聖なる力がな」
俺はデュランの目を見た。
「あんたと同じだ、デュラン。あんたが、その腕で人を守る力を持っているのと同じように」
「……俺にはもう、守る力なんぞ」
デュランが、自嘲気味に呟く。
俺はその言葉を遮った。
「あるさ。俺とリナは、昨夜あんたに守られた。あれは紛れもない、あんたの力だ」
「さあ、話はここまでだ。感傷に浸っている暇はない。あんたの『相棒』の設計図、その第一歩を始めるとしよう」
俺は立ち上がり、洞窟の外を指さした。
夜の闇が晴れ、谷の全景が朝日の中に姿を現している。
♢
俺は、デュランとリナを連れて、谷の奥にある切り立った崖へとやってきた。
高さは百メートル以上あるだろうか。
人を拒絶するかのような、ただの巨大な岩壁だ。
「……それで? 俺の『相棒』とやらが、こんな場所にあるとでも言うのか」
デュランが、訝しげに崖を見上げる。
「ああ。この崖の中だ。俺の鑑定によればな」
俺は改めて崖に【未来価値鑑定】のリングUIを重ねる。
俺のスキルは、この崖の中に眠る、一つの強烈な「未来」に共鳴していた。
【対象:名もなき崖】
【現在価値:ただの岩壁】
【未来価値:伝説の金属《天空鋼》の鉱脈が発見され大陸中の鍛冶師が訪れる聖地となる】
「この崖の中腹、地表から約十メートルの深さに途方もなく軽くて魔力伝導率が異常に高い金属……《天空鋼》が眠っている」
「……正気か? 十メートルだぞ? 岩盤をどうやって掘るんだ。魔法でも使えなきゃ無理だ」
デュランの言う通りだった。
今の俺たちには、つるはし一本ない。
だが、俺のスキルはそのための道筋も見せてくれていた。
「デュラン、あんたの出番だ。力仕事になる」
「どういう意味だ?」
俺は崖の表面を指さした。
一見ただのっぺりとした岩肌にしか見えない。
だが、鑑定のリングUIを通して見ると、そこには無数の髪の毛のような細い亀裂が走っているのが分かった。
「力ずくで掘るんじゃない。パズルを解くんだ」
俺は地面に落ちていた石を拾うと、鑑定でハイライトされている亀裂の、ある一点に印をつけた。
「この崖は、一枚岩じゃない。内部はいくつかのブロックに分かれている。その境界面があの亀裂だ。そして、今俺が印をつけたここが、全てのブロックのバランスを支えている『楔石』だ」
俺はデュランに向き直る。
「あんたの力で、この『楔石』だけを正確に破壊する。そうすれば、内部のバランスが崩れ、洞窟への入り口が自ら姿を現すはずだ」
デュランは、俺の顔と崖の印を交互に見た。
その表情は、まだ半信半半疑だ。
しかし、彼はもう、俺の言葉を「おとぎ話」だと切り捨てることはしなかった。
「……ハンマー代わりになるものはあるか」
「あれを使おう」
俺は、近くに転がっていた巨大な岩を指さした。
デュランは、その重さ百キロはあろうかという岩を右腕一本で軽々と持ち上げる。
彼の肉体もまた、騎士団で鍛え上げられた、常人離れしたポテンシャルを秘めていた。
「いいか、狙うのは、あの印をつけた一点だけだ。全力で頼む」
「フン……。外しても文句を言うなよ」
デュランはそう言うと、右腕にありったけの力を込めた。
彼の筋肉が、彫刻のように隆起する。
そして、巨大な岩塊が唸りを上げて崖の『楔石』へと叩きつけられた。
ゴッ! という鈍い衝撃音と共に崖全体が震動した。
印をつけた部分が蜘蛛の巣のように砕け散る。
すると、次の瞬間。
ミシ、ミシシッ、と、崖の内部から岩が軋む音が聞こえ始めた。
俺が鑑定で視た通り、崖の表面を走っていた無数の亀裂が少しずつ広がっていく。
「……おい、まさか本当に」
デュランが息を呑む。
そして、地響きと共に崖の中腹部分が巨大な扉が開くように、ゆっくりと内側へと崩れ落ちていった。
土煙が晴れた後、そこに現れたのは、暗く冷たい空気を吐き出す洞窟の入り口だった。
そして、その洞窟の奥で何かが淡い青色の光を放っている。
それは、鉱石が放つ光だった。
夜空に輝く星々をそのまま閉じ込めたかのような、神秘的で美しい輝き。
《天空鋼》。
デュランの『相棒』となるべき金属。
「……信じられん」
デュランが、呆然と呟いた。
不可能が可能に変わる瞬間を目の当たりにして、彼の心の鎧がまた一つ砕け散ったのが分かった。
俺は洞窟の入り口に立ち、振り返ってデュランとリナに言った。
「さあ、行こう。設計図の、第一歩だ」