相棒の設計図
酒場の床に転がるデュランに、俺は右手を差し出した。
彼は、血の滲む口元を歪め、訝しげに俺を見上げる。
「……何の真似だ、小僧」
「立てるか?」
「……見て分からねえか。情けはよせ。一番堪える」
デュランは、俺の手を振り払おうとした。
だが、俺は引かなかった。
彼の瞳をまっすぐに見据えて、もう一度、言葉を紡ぐ。
憐れみからではない。
俺だけが見えている、彼の本当の価値への敬意を込めて。
「あんたの剣は、まだ錆びちゃいない。そうだろ?」
その言葉にデュランの瞳がほんのわずかに見開かれた。
彼の内側で、何かが小さく揺れたのを俺は見逃さなかった。
彼はしばらく俺の顔を睨みつけていたが、やがて、深いため息をつくと俺の手を乱暴に掴んだ。
「……好きにしろ」
俺は彼の体を支え起こす。
ずしりと重い。
それは、ただの体重ではない。
彼が背負ってきた絶望の重さのように感じられた。
俺は、酒場の主人に銀貨を一枚投げ渡した。
「あんたの分の酒代と、迷惑料だ」
「……酔狂な奴もいたもんだ」
主人は呆れた顔でそれを受け取った。
俺は、まだおぼつかない足取りのデュランの肩を貸し、寂れた酒場を後にした。
♢
「で、一体何の用だ。俺みたいな落ちぶれに、何の価値があるってんだ」
谷への帰り道、デュランは吐き捨てるように言った。
俺は、前を向いたまま答える。
「価値ならある。あんたが自分で思っているよりも、ずっと大きな価値が」
「ハッ、そいつは傑作だ。片腕を失って、国からも騎士団からも見捨てられた、ただの酔いどれだぜ、俺は」
「今は、な」
俺は立ち止まり、デュランと向き合った。
「あんたの失った腕は、もう戻らない。だが、もし、失った腕の代わりになる、いや、それ以上の『相棒』が手に入るとしたら?」
「……相棒、だと?」
デュランの眉が、ピクリと動いた。
鑑定で見た【条件:失われた腕の代わりとなる『相棒』との出会い】。
核心を突いた言葉に、彼の鎧がわずかに軋んだのが分かった。
「そうだ。俺には、それを作るための『設計図』が見える。材料も、この谷に眠ってる。だが、それにはあんたの力が必要だ」
「……正気か、お前?」
デュランの目は、俺が狂人か詐欺師だとでも言いたげだった。
無理もない。
俺が彼の立場でも同じことを思うだろう。
「信じられないならそれでいい。だが、あんたにはもう、失うものも他に当てもないはずだ。俺の村に来い。そこで、俺の話が本物かどうかあんた自身の眼で確かめればいい」
俺は、彼の返事を待たずに再び歩き出した。
しばらくの間、後ろからは何も聞こえてこなかった。
だが、俺が谷の入り口に差しかかった時、後ろから泥を跳ねる不承不承の足音がついてきていることに俺は気づいていた。
♢
俺たちのねぐらに戻ると、リナが心配そうに火の番をしていた。
見知らぬ、しかも大柄で風体の悪いデュランの姿を見て、彼女はビクリと肩を震わせ、俺の後ろに隠れる。
「……誰?」
「デュランだ。少しの間、ここに世話になる」
デュランは、リナと、俺たちが暮らす粗末な岩陰のキャンプを一瞥し、呆れたようにため息をついた。
「……なるほどな。小僧と、病み上がりのガキ。こんな掃き溜めで、ままごとみたいなサバイバルか。酔狂を通り越して、哀れですらあるな」
彼の言葉には棘があったが、不思議と悪意は感じられなかった。
むしろ、それは、かつて騎士として弱者を守る立場にあった彼が、俺たちの姿に自分のかつての無力さを重ねているかのようにも見えた。
【条件:守るべきものを見つけること】
その言葉が、俺の脳裏をよぎる。
その夜、俺たちは三人で火を囲んだ。
俺は、デュランに改めて自分の計画を話した。
「デュラン。あんたが《隻腕の剣神》に至るための条件は、二つ。一つは、あんたの左腕の代わりになる『相棒』。もう一つは……まあ、それは追々わかる」
俺は、焚き火の光で地面に谷の簡単な地図を描いた。
「この『相棒』を作るための材料は、全てこの谷にある。俺の鑑定によれば、な」
俺は、地図の一点、険しい崖を指さした。
「まず、あの崖の中腹。あそこに【未来価値:空を飛ぶ船の竜骨にもなる《天空鋼》】の鉱脈が眠ってる。極めて軽く、魔力伝導率が異常に高い金属だ。これが、義手のフレームになる」
次に、谷の奥の湿地帯を指す。
「そして、あの湿地に生える蔦。あれは【未来価値:竜の神経繊維に匹敵する《感応蔦】だ。これを編み込めば、あんたの意志を義手の指先まで完璧に伝える神経ケーブルになる」
デュランは、黙って俺の話を聞いていた。
その表情は、まだ疑いに満ちている。
だが、その瞳の奥には、先ほどまでなかった微かな光が宿っていた。
「……材料が、もし本当に手に入ったとして、どうする。そんな代物、そこらの鍛冶師に打てるもんじゃねえぞ」
「ああ。だから、最後のピースが必要になる」
俺は、谷の外、遠い山脈を指した。
「その材料を鍛えられるのは、大陸でも一人しかいない。偏屈で、もう十年も誰の依頼も受けていないという、伝説のドワーフ。鍛冶神グラン・ドワーノンだ」
デュランが、息を呑んだ。
「……グランだと? 馬鹿を言え。あの頑固爺が、今更ハンマーを握るもんか」
「そうかもな。だが、俺の鑑定では、こう見えてる」
俺は、デュランの目を真っ直ぐに見据えた。
「【未来価値:グラン・ドワーノン → 彼の生涯最高傑作を打ち上げ、再び歴史の表舞台に立つ】。そして、その【条件:彼の心を動かす、最高の素材と、最高の使い手との出会い】だ」
最高の素材と、最高の使い手。
それは、俺たちが見つけ出す《天空鋼》と、目の前にいるデュラン、あんたのことだ。
デュランは、何も言えずにただ自分の右拳を、そして失われた左肩を見つめていた。
失われたはずの未来が、おとぎ話のような形で、だが、具体的な設計図として彼の眼前に示されたのだ。
その時だった。
茂みの奥から、グルルル、という低い唸り声が聞こえた。
数対の飢えた光る目が、暗闇の中から俺たちを睨んでいる。
夜行性の魔狼の群れだ。
リナが、悲鳴を押し殺して俺の服を掴む。
俺も咄嗟に彼女を庇うように前に立った。
だが、戦う術はない。
その、俺たちの前に、デュランがゆっくりと立ち上がった。
彼は手近に転がっていた太い木の枝を拾うと、たった一人、群れの前に立ちはだかる。
その構えには、先ほどまでの酔いどれの姿はどこにもなかった。
片腕を失ってもなお、その体に染み付いた、王国騎士の闘気が魔狼たちの本能を怯ませる。
俺はその背中に鑑定のリングを重ねた。
デュランのステータスに、一つのタグが、淡く、しかし力強く明滅しているのが見えた。
【条件:守るべきものを見つけること】 ―― 達成率 10%
デュランは、まだ気づいていない。
彼が再び立ち上がれたのは、酒の酔いが醒めたからではない。
彼が、無意識のうちに、俺とリナを「守るべきもの」と認識したからだということを。
彼の、本当の物語は、今、この瞬間から始まろうとしていた。