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侯爵の娘

 デュランの圧倒的な力と、俺の言葉。

 それは、マーカム侯爵の圧政に怯えるだけだった農民たちの心に、小さな、しかし確かな「反逆」の火を灯した。

 クラウスを筆頭に、村の若者たちを中心に俺たちに協力する者が次々と現れ始めたのだ。


 だが、状況は決して楽観できるものではなかった。

 私兵たちを追い払ったとはいえ、本格的に侯爵の軍が動けば、デュラン一人で対抗できるものではない。

 ゴードンは、依然として砦に囚われたままだ。


「……ユキ。これからどうする? 連中が、街から本格的な兵を連れてくる前に、爺さんを助け出しちまうか?」


 クラウスの家で作戦会議を開きながら、デュランが言った。


「いや、まだだ。今、俺たちが砦を襲撃すれば、それこそ格好の口実を与えることになる。『やはり、あいつらは王都から来た反逆者だった』とな。そうなれば、侯爵は躊躇なく領民ごと俺たちを潰しにかかるだろう」


「では、どうするんだ」


「必要なのは、侯爵が俺たちに手出しできなくなるようなもっと強力な『カード』だ」


 俺は、アイリスに向き直った。


「アイリス。君が調べてくれた、侯爵の一人娘についてもっと詳しく教えてくれないか」


 俺の言葉に、アイリスは眼鏡の位置を直しながら、その完璧な記憶のデータベースを開いた。


「はい。マーカム侯爵の一人娘、セラフィーナ様。御年十六歳。数年前から原因不明の『衰弱病』に罹り、以来一度も屋敷の塔から出たことがない、と記録されています」


「病状は、徐々に体から生命力が失われていくというもので、これまで王都の名医や高名な神官が何人も治療に訪れましたが、誰一人として、その原因を突き止めることはできなかった、と」


「……原因不明の病、か」


 俺は、その情報に何か引っかかるものを感じていた。

 まるで、物語の登場人物のようにあまりにも都合よく病弱な令嬢。


 俺は、鑑定のリングUIを脳内に展開させ意識を集中させた。

 対象は、まだ見ぬ侯爵の娘、セラフィーナ。


【未来価値鑑定】は、物理的に離れた対象でも、名前や情報がはっきりしていれば、ある程度その未来を垣間見ることができる。


【対象:セラフィーナ・ド・マーカム】

【現在価値:呪いにより、生命力を奪われ続けている衰弱した令嬢(価値:E)】

【未来価値:呪いから解放され、父の罪を償うために生きる《贖罪の聖女》(Aランク)】

【原因:『土地の精霊』の呪い】


 ――呪い。

 そして、『土地の精霊』だと?


 俺は、愕然とした。

 マーカム侯爵が、農民たちを扇動するために使っていた、あの言葉。

 それは、ただの嘘っぱちではなかったのか?


 いや、違う。

 鑑定結果は、さらに続く。


【呪いの詳細:マーカム侯爵が私腹を肥やすために領地内の『精霊の森』を無断で伐採し続けたことへの報復。森の力が失われたことで、その地に縁深い侯爵家の血筋に呪いが発動した】


 ……そういうことか。

 マーカム侯爵は自分の娘が呪われた本当の理由を知っていたのだ。

 自分の強欲が招いた呪いを、ゴードンと『地根草』のせいだと偽り、領民の憎しみをそちらへ向けさせていた。

 全ては、自分の罪を隠蔽するための卑劣な策略。


「……見つけたぞ、侯爵。あんたの最大の弱点をな」


 ♢


 その夜、俺たちはマーカム侯爵の屋敷に潜入していた。

 目的はゴードンの救出ではない。

 侯爵の娘、セラフィーナとの接触だ。


 デュランが、アストレアの力で高くそびえる塀を音もなく乗り越え、俺たちを内側へと引き上げる。

 屋敷の警備は厳重だったが、アイリスの記憶した設計図と俺の鑑定による「警備兵の巡回ルートの未来予測」を組み合わせることで、俺たちは誰にも見つかることなく奥へ奥へと進んでいった。


 やがて、俺たちは屋敷の最も奥にある一本の塔の前にたどり着いた。


「あ、あの……たぶん、ここです」


 アイリスが、小声で、しかし確信を込めて俺に囁いた。


「屋敷の設計図によれば、この塔が一番警備が厳重で……外部からの侵入を最も警戒している場所でした。なので、きっと最上階にセラフィーナ様が……いらっしゃるんだと思います」


 塔の入り口には、二人の屈強な衛兵が見張りをしていた。

 デュランが、音もなくその背後に忍び寄り、二人を気絶させる。

 俺たちは螺旋階段を駆け上がり、最上階の扉の前に立った。


 扉を開けると、そこは豪奢だがどこか寂しい少女の部屋だった。

 天蓋付きのベッドの上で、一人の少女が月の光を浴びながら静かに眠っている。

 セラフィーナだ。

 彼女は、まるで人形のように美しかったが、その顔色は青白く呼吸も浅い。

 生命の輝きが、刻一刻と失われているのが痛いほど伝わってきた。


 俺は、彼女の枕元にそっと近づいた。

 リナが、心配そうに俺の服の裾を掴んでいる。


 俺は、彼女に治癒の祈りを捧げるよう頼もうとして――やめた。

 この呪いは聖なる力だけでは解けない。

 原因は、土地の精霊の怒り。

 それを鎮めなければ、根本的な解決にはならない。


 俺は、代わりに鑑定で見つけ出していた、もう一つの「設計図」を実行に移した。


 俺は、セラフィーナの部屋の窓を開け、そこから見える広大な領地を指さした。

 その一角、森が不自然に切り拓かれ禿山になっている場所がある。

『精霊の森』があった場所だ。


 俺は、懐から『地根草』の種を一つ取り出した。

 そして、リナに言う。


「リナ。この種に祈りを込めてくれないか。この土地がもう一度緑を取り戻せるように、と」


 リナは、こくりと頷くと、その小さな種を両手で包み込み静かに祈りを捧げ始めた。

 彼女の体から放たれる聖なる光が種に宿っていく。

 種は、まるで心臓のように温かい光で脈動し始めた。


 俺は、その光り輝く種を眠るセラフィーナの手の中にそっと握らせた。


「……何をしているんだ、ユキ」


 デュランが、訝しげに尋ねる。


「お守りだよ。彼女が自分の運命と戦うためのな」


 俺の鑑定では、こう見えていた。

 リナの聖なる力を宿した『地根草』の種は、呪いの力を中和し、セラフィーナの生命力が尽きるのを一時的に食い止めることができる、と。

 そして、その種がやがて彼女を目覚めさせ、父の罪と向き合わせるためのきっかけになる、とも。


 俺たちの目的は達成された。

 あとは、この事実をどうやって切り札として使うかだ。


 俺は、セラフィーナの部屋に俺たちがここに来たことを示す、ささやかな「証拠」を残すと、仲間たちと共に闇の中へと姿を消した。

 マーカム侯爵の、美しい鳥籠の中に波乱の種を蒔き残して。

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