力の証明
「反逆者どもを捕らえろ!」
私兵リーダーの、欲望に濁った号令が畑に響き渡った。
二十人近い男たちが、錆びた剣や折れた穂先の槍を振りかざし、統率も何もないただの烏合の衆として雄叫びを上げて襲いかかってくる。
昨日まで、同じ村で暮らす無抵抗な農民たちを威圧してきた見せかけの暴力。
その切っ先が、今、俺たちに向けられる。
「ひぃっ!」
後方で様子を伺っていた農民たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、恐怖と好奇が入り混じった目で遠巻きに俺たちを見つめる。
彼らもまた、試しているのだ。
俺たちがマーカム侯爵という絶対的な権力に抗うに値する、本物の力を持っているのかどうかを。
リナとアイリスが、俺の後ろに下がる。
俺たちの前に立つのは、たった一人。
銀色の義手『アストレア』を装着した、隻腕の剣神、デュラン。
「……ユキ。いいのか?」
デュランが、背中越しに俺に尋ねる。
その声は震えてはいなかった。
むしろ、これから始まる「仕事」を前に落ち着き払っている。
「こいつらを斬れば、俺たちは本当にただの反逆者になるぞ」
「ああ、分かってる。だから殺すな。デュラン」
俺は、静かに、しかし力強く言った。
「叩きのめせ。二度とこの村の農民たちに刃向かう気が起きないほど、徹底的にな」
「……フン。注文が多いことだ。だが、それも悪くない」
デュランは、そう言うと、右手に握った何の変哲もない鉄の剣をゆっくりと正眼に構えた。
その姿には、一切の気負いも殺気もない。
ただ、これから始まることを当然のこととして受け入れているかのような、絶対的な静けさだけがそこにあった。
「舐めるなよ、片腕がぁ!」
先頭を走っていた最も体格のいい私兵が、デュランのがら空きに見える左側から大剣を振りかぶってきた。
最も卑劣で、そして最も効果的なはずの一撃。
だが、デュランの瞳はその男の踏み込みの甘さ、重心のブレ、そして恐怖を隠すための大振りな剣筋を全て冷静に見抜いていた。
彼が、静かに呟く。
「――第一解放、『震刃』」
その瞬間、デュランの左腕『アストレア』が、甲高い駆動音と共にその姿を変えた。
腕を覆っていた装甲が鋭角化し、前腕部から高周波で振動する光の刃が形成される。
デュランは、その光の刃で振り下ろされる大剣を、まるで邪魔な小枝でも払うかのように横薙ぎに薙ぎ払った。
ギャリィィン!という耳障りな金属音と共に、凄まじい衝撃が私兵の腕を襲う。
男の大剣は、アストレアに触れた瞬間、その超高速の振動によって耐えきれず半ばからガラスのように砕け散って宙を舞った。
「な……!?」
武器を失い、呆然と自分の両手を見下ろす男。
そのがら空きの胴体に、デュランの右手の鉄剣の「峰」が、容赦なく叩き込まれた。
「ぐはっ!」
声にならない悲鳴を上げ、男が地面に崩れ落ちる。
デュランは、俺との約束を守っていた。
決して刃を立ててはいない。
だが、その圧倒的な光景は、他の私兵たちの恐怖よりも凶暴性を煽ったようだった。
「化け物め!」
「囲んで殺せ!」
「左側を狙え!」
残りの兵士たちが、デュランを取り囲み、四方八方から同時に襲い掛かる。
槍が、剣が、斧が、デュランの命を刈り取ろうと殺到する。
「デュラン!」
リナの悲鳴が上がる。
だが、デュランは冷静だった。
彼は、迫りくる全ての刃の軌道を完璧に捉えていた。
そして、ため息交じりに呟いた。
「……素人め。数だけ揃えても、的が増えるだけだということを教えてやる」
「――第二解放、『引力鎖』」
アストレアの装甲が展開し、その内部から魔力で編まれた無数の鎖が爆発するように全方位へと射出された。
鎖は、生きている蛇のように襲い掛かってきた私兵たちの武器に、体に、足に、寸分の狂いもなく巻き付く。
そして、デュランが左腕を、ゆっくりと、しかし力強く握りしめた。
「――集え」
その一言と同時に、引力鎖が強力な力で収縮した。
「ぐわっ!」「ぎゃあ!」「やめろ!」
私兵たちは、まるで磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、抵抗する術もなくデュランの足元へと一箇所に引きずり寄せられる。
互いにぶつかり合い、手足が絡まり、武器を落とし、積み重なって身動き一つ取れなくなった私兵たちの情けない悲鳴が響き渡った。
それは、もはや戦闘ですらなく一方的な蹂躙だった。
たった一人で、二十人近い武装した兵士をデュランは赤子の手をひねるように無力化してしまったのだ。
デュランは鎖を解いた。
私兵たちは、もはや戦意を完全に喪失し、這うようにして逃げ出そうとする。
その背中に、デュランは静かにしかし腹の底から響くような声で言った。
「――二度と、この村の者たちに手を出すな。次にやったら峰打ちでは済まさん」
その言葉は、呪いのように彼らの魂に刻み込まれただろう。
♢
後に残されたのは、静まり返った畑と、目の前の光景が信じられず、ただ呆然と立ち尽くす農民たちだった。
彼らが見ていたのは、ただの喧嘩ではない。
侯爵という絶対的な権力の象徴が、たった一人の男の、圧倒的な力の前に、いとも簡単に打ち砕かれる瞬間だった。
俺は、農民たちに向き直った。
「見たか。これが俺たちの力だ」
俺は、デュランを指さす。
「彼はかつて国に見捨てられた、片腕の騎士だ。あんたたちと同じ虐げられた者だ。だが、彼には価値があった。誇りがあった」
次に、俺の後ろに立つリナとアイリスを示す。
「この子たちは、奴隷であり落ちこぼれだった。だが、彼女たちにも誰にも負けない価値がある」
そして、俺は黄金色に輝く麦畑を腕を広げて示した。
「この麦が、ゴードン殿の教えが真実だ。侯爵が言うような、精霊の怒りなど存在しない。あるのは、あんたたちの土地が持つ、素晴らしい『未来価値』と、それを引き出すための正しい『努力』だけだ」
俺は、集まった農民たちの、一人一人の目を見て力強く言った。
「侯爵の嘘に怯え、搾取され続ける未来と、俺たちと共に、自らの手で豊かな未来を掴み取る未来。――あんたたちは、どっちを選ぶ?」
俺の問いに、誰も答える者はいなかった。
だが、彼らの瞳に宿る光の色が、先ほどまでとは明らかに変わっているのを俺は見逃さなかった。
恐怖と諦観の色が消え、そこに、小さなだが確かな希望の炎が灯り始めていた。
その時だった。
群衆の中から、クラウスが一歩前に出た。
「……俺は、あんたたちを信じる」
彼は、震えながらもはっきりとした声で言った。
「もう、侯爵様の嘘には付き合わねえ。俺は、俺たちの手でこの畑を蘇らせたい!」
その言葉に、呼応するように、もう一人、また一人と農民たちが頷き始めた。
俺たちが蒔いた種は、確かに芽吹こうとしていた。