ささやかな証明
その夜、俺たちはクラウスの家で作戦会議を開いていた。
囲炉裏の頼りない火が、集まった男たちの不安と決意が入り混じった顔を照らしている。
クラウスが、命がけで声をかけて集めてくれたのは、彼と同じようにマーカム侯爵のやり方に心の底では疑問を抱いている三人の農夫たちだった。
皆、土と共に生きる実直だが臆病な男たちだ。
「……本当に、うまくいくのか?」
一番年嵩の農夫が、震える声で言った。
彼の名はヨハン。
この村で一番の古株だ。
「俺たちは、侯爵様に逆らおうってんだぞ。バレたら、ただじゃ済まねえ。俺はいいが、家族が……」
「ああ。だからこそ、静かに、だが確実に結果を出す必要がある」
俺は、テーブルに広げた村の地図を指さした。
「俺たちの最初の戦場はここだ。クラウスさんの畑と、そしてあんたたちの畑だ」
俺の計画は、単純明快だった。
ゴードンの教えが正しいことを、そして土地の精霊の怒りなどというものが、ただの迷信であることを、「結果」で証明する。
「いいか。マーカム侯爵は『地根草』が土地を呪うと言っている。なら俺たちはその逆を証明する。地根草を撒いた畑と撒いていない畑で、どちらがより豊かな実りをもたらすか。その事実を村の連中の目の前に、叩きつけてやるんだ」
「だが、どうやって。『地根草』の苗は、全てゴードン様と一緒に砦に……」
若い農夫が、絶望的な口調で言う。
「心配ない。俺が、王都からいくつか持ってきた」
俺は荷車に隠していた、リナの祈りで育てた『地根草』の苗をいくつか取り出して見せた。
その青々とした葉は、暗い室内でも、まるで生命力そのものが輝いているかのように見えた。
農夫たちの目が、その小さな苗に釘付けになる。
「これを、夜のうちにあんたたちの畑の一部にだけ、こっそりと植える。デュランと俺が見張りを引きつけよう。そして、リナ」
俺は、リナに視線を移した。
「君には、その苗に祈りを捧げてほしい。君の力で、苗の成長を少しだけ早めてもらうことはできるかい?」
リナは、こくりと頷いた。
「はい。やってみます」
「そして、アイリス」
「はい、ユキさん」
「君には、この村の過去十年分の収穫量と、天候のデータを記憶してもらっているね。それをもとに、今回の収穫量を正確に予測し、俺たちの成果がただの偶然ではないことを理論的に証明する準備をしておいてほしい」
「お任せください。全てのデータは頭に入っています。誤差は±5%以内に収めてみせます」
アイリスは、眼鏡の位置を直しながら自信を持って答えた。
俺たちの計画に、農夫たちはゴクリと唾を飲んだ。
それは、あまりにも大胆で、しかし緻密に計算された作戦だった。
「……分かった。やろう」
クラウスが、覚悟を決めたように言った。
「どうせこのままじゃ、俺たちの畑も、未来も、侯爵様に食い物にされるだけだ。だったら、あんたたちの言う『未来』に賭けてみる」
彼の言葉に、他の農夫たちも力強く頷いた。
小さな、だが確かな反撃の狼煙が上がった瞬間だった。
♢
その夜、月明かりもない漆黒の闇の中を俺たちは動いた。
デュランが、アストレアの第二解放『引力鎖』を使い、音もなく村の見張り台の屋根へと登る。
鎖の先端で、見張り役の私兵たちの兜を軽く打ち、寸分の狂いもなく気絶させる。
その手際は、もはや騎士というより熟練の暗殺者のようだった。
その隙に、俺とクラウスたちが彼らの畑に『地根草』の苗を植えていく。
冷たい泥の感触が、手のひらに伝わる。
それは、ただの作業ではなかった。
自分たちの手で、未来を植え付けているという神聖な儀式にも似ていた。
そして、リナが、その畑に向かって静かに祈りを捧げた。
彼女の手から放たれる柔らかな光が、慈雨のように大地に染み込んでいく。
すると、植えられたばかりの苗がまるで喜ぶかのようにわずかに葉を広げ、その生命力を増していくのが暗闇の中でもはっきりと分かった。
作戦は、完璧に成功した。
♢
翌朝。
村は奇妙な噂で持ちきりになっていた。
「おい、聞いたか? クラウスの畑だけ麦の穂の色が違うらしいぜ」
「ああ。俺も見た。あそこの区画だけ、他よりも明らかに黄金色が濃いんだ」
噂を聞きつけた農民たちが、次々とクラウスたちの畑に集まってくる。
そして、彼らは目の前の光景に言葉を失った。
そこには、明らかに周囲とは違う、たわわに実った黄金色の麦穂が朝日に輝きながら風に揺れていた。
たった一夜で、まるで数週間分の成長を遂げたかのような圧倒的な生命力。
それは、呪いなどとは程遠い豊穣そのものの光景だった。
「……なんだ、これは。土地の精霊様の怒りじゃなかったのか……?」
「むしろ、祝福されてるみてえじゃねえか……」
農民たちが、動揺する。
その輪の中に、俺は静かに入っていった。
「これは、祝福なんかじゃない。正しい知識と、正しい努力の結果だ」
俺は、ゴードンの教えと、『地根草』の効果について、集まった農民たちに分かりやすく説明を始めた。
隣では、アイリスが過去のデータと比較し、この収穫量がいかに異常であり、そして素晴らしいものであるかを、冷静にしかし力強く解説する。
もちろん、すぐに全ての農民が信じたわけではなかった。
だが、彼らの心の中に「侯爵様の言うことは、本当に正しいのだろうか?」という、小さな「疑念」の種を蒔くことには成功した。
その時だった。
群衆の後ろから怒声が響いた。
「――貴様ら! いったい何の騒ぎだ!」
道を切り開いて現れたのは、先日、酒場で俺たちが追い払った私兵たちだった。
その数は、以前よりも遥かに多い。
二十人近くはいるだろうか。
リーダーの男は、俺の顔を見ると憎々しげに顔を歪めた。
「……見つけたぞ、旅の者! 貴様らが、ゴードンの仲間だったか!」
「こいつらを捕らえろ! 侯爵様への反逆者だ! 土地の精霊様を愚弄する、不届き者どもだ!」
私兵たちが、一斉に剣を抜いた。
その殺気に、農民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
デュランが、俺の前に立ちアストレアを構えた。
「……ユキ。どうやら、静かな戦いだけでは終わりそうにねえな」
「ああ。望むところだ」
俺は、不敵に笑った。
この瞬間を俺は待っていた。
言葉や理論だけでは、人の心は動かない。
必要なのは、どちらが本物の「力」を持っているかを見せつける圧倒的なショーだ。
「デュラン、派手にやれ。この村の連中に、どっちの力が本物かはっきりと見せつけてやれ」