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最初の火種

 酒場から私兵たちが逃げ去った後も、店内は静まり返っていた。

 農民たちは、俺たちと、床に座り込んだままの若い農民親子を遠巻きに見ているだけだ。

 その目には、感謝よりも、厄介者を見るような怯えの色が浮かんでいる。

 侯爵の私兵に逆らった俺たちがただで済むはずがないと、誰もが思っているのだ。


「あ……あの……」


 若い農民が、おずおずと俺に声をかけてきた。

 彼は、小さな娘の手を強く握りしめている。


「助けていただき、ありがとうございます。俺は、クラウスと申します。こいつは娘のアンナだ」


「ユキ・ナガエだ。こっちは、仲間たち」


 俺は、デュランたちを簡単に紹介した。


「あの、このお礼は、必ず……! 今は持ち合わせがありませんが、収穫が終われば……!」


「礼なら、もう貰ったさ」


 俺は、クラウスの言葉を遮った。


「あんたの、娘さんを守ろうとした勇気。それが、何よりの礼だ」


 俺は、しゃがみ込み、怯えるアンナと視線を合わせた。


「大丈夫かい? 怖かっただろう」


 アンナは、こくりと頷いた。

 俺は、懐から、旅の途中で買った小さな飴玉を一つ、彼女の手に握らせてやる。

 その小さな甘さが、少しだけ彼女の心を解きほぐしたようだった。


 クラウスは、そんな俺たちの様子を信じられないものを見る目で見ていた。

 追放者や、流れ者の冒険者とは、明らかに違う何かを彼は感じ取っているのだろう。


「……ユキさん。あんたたちは、一体何者なんだ? なぜ、俺たちのような者を……」


「言ったろ。お節介な旅人さ」


 俺は立ち上がり、酒場の外を指さした。

 外では、まだ雨が降り続いている。


「それより、クラウスさん。あんたの畑は、この雨で駄目になったりしないか? 今年の麦は、長雨に弱いと聞くが」


 俺の、あまりにも専門的な問いに、クラウスは目を見開いた。


「な……なぜ、それを? あんた、農家なのか?」


「まあ、少しだけ知識があってね」


 俺は、鑑定で得たゴードンの知識の断片を、さも自分の知識であるかのように語る。


「もし、畑の畝の間に炭を砕いたものを撒いておけば、水はけが良くなって、根腐れをだいぶ防げるはずだ。試してみる価値はある」


「炭を……? そんなこと、聞いたこともねえ……」


「だろうな。だが、俺を信じるか、侯爵様のお告げを信じて、土地の精霊様とやらに祈り続けるか。どっちが実りのある未来に繋がるか、あんたが決めることだ」


 俺の言葉は、彼にとって一つの賭けだっただろう。

 だが、彼は娘の手を握りしめると、意を決したように俺に向かって深々と頭を下げた。


「……分かりました。信じます。ユキさんの言う通りに、やってみます」


「それと……もし、よろしければ、今夜は俺の家に来ませんか? こんなところで目立っていては、また侯爵の兵士たちがやってきます。俺の家は村の外れでみすぼらしいですが雨風はしのげます」


 それは、願ってもない申し出だった。

 敵地で、身を隠せる場所ほど価値のあるものはない。


 ♢


 クラウスの家は、彼が言う通り村の外れにある小さな農家だった。

 だが、綺麗に手入れされた畑や、きちんと修繕された家屋から、彼が真面目で実直な人間であることが伺えた。


 囲炉裏の火を囲みながら、俺たちはクラウスから村の詳しい状況を聞いた。


「……みんな、怖いんだ」


 クラウスは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「マーカム侯爵様は、俺たち領民にとっては、神様みてえなもんだ。税は重いが飢饉の時には食料を分け与えてくれる。……その分、他の村から奪ってるって噂もあるがな」


「だから、侯爵様が『王都から来たゴードンという男が土地の精霊を怒らせた』と言えば、みんなそれを信じちまう。自分の畑が来年どうなるか分からねえんだ。不安でたまらねえのさ」


 デュランが、苛立たしげに言った。


「馬鹿げてる。ゴードン爺さんは、あんたたちの土地を救おうとしてるんだぞ」


「分かってる! 俺だって、最初はそう思ったさ!」


 クラウスが、声を荒げた。


「爺さんの言う通りにしたら、麦の育ちが今までとは比べ物にならなかったんだ。誰もが、今年は豊作だって喜んでた。……なのに、侯爵様の一言で、全部ひっくり返っちまった」


 アイリスが、静かに口を開いた。


「……侯爵は、領民の『無知』と『信仰心』を、巧みに利用しているのですね。非常に古典的ですが、効果的な支配術です」


 その通りだ。

 力で押さえつけるだけでは、いつか必ず反乱が起こる。

 だが、信仰心で縛り付ければ、民は自ら喜んで服従する。


 俺は、クラウスに尋ねた。


「ゴードン殿は、どこに捕らわれているんだ?」


「……村の外れにある、古い砦だ。侯爵様の命令で、暴動を起こした俺たちがあの人を捕まえたことになってる。もちろん、見張ってるのは侯爵の私兵たちだがな」


「砦の警備は?」


「厳重だ。昼も夜も、十人以上の兵士が見張りをしている。正面から助け出すのは、まず無理だ」


 クラウスの言葉に、俺たちは黙り込んだ。

 やはり、力攻めは悪手だ。


 俺は、頭の中で鑑定で得た情報を整理し、新たな設計図を組み立てる。

 必要なのは、二つの鍵。


 一つは、農民たちの「誤解」を解くこと。

 もう一つは、侯爵の「弱点」を突くこと。


 俺は、仲間たちに向き直った。


「計画を変更する。ゴードン殿の救出は、後だ」


「……どういうことだ、ユキ」


 デュランが、訝しげに尋ねる。


「まず、俺たちはこの村の農民たちに証明して見せる必要がある。ゴードン殿の教えが正しく、侯爵の言葉が嘘っぱちだということをな」


 俺は、クラウスを見た。


「クラウスさん。あんたに手伝ってほしいことがある。この村であんたと同じように侯爵のやり方に疑問を持っている人間は他にいないか?」


 俺の問いにクラウスはしばらく考え込んでいたが、やがて数人の顔を思い浮かべたようだった。


 俺たちの、最初の反撃が始まろうとしていた。

 それは、剣ではなく、一つの「真実」を武器とした静かな戦いだ。

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