金色の鳥籠
アウディットの「命令」は、絶対だった。
俺たちに拒否権はなく、彼の部隊に半ば監視される形で、王都アレイティスへの道を急ぐことになった。
俺たちの荷車は隊列の中心に置かれ、前後を屈強な王国兵に固められている。
それは、王子を救った英雄に対する「護衛」というよりは、決して逃がさないという「護送」に近いものだった。
「……すまねえな、ユキ。俺がもっとうまく立ち回っていれば」
荷車の隣を歩くデュランが、悔しそうに呟いた。
彼の視線の先には、隊列を指揮するアウディットの隙のない後ろ姿がある。
デュランはアウディットという男の本質を元騎士としての経験から感じ取っているのだろう。
あの男は、決して俺たちを対等な仲間とは見ていない。
ただ、利用価値のある「駒」として、管理下に置こうとしているだけだ。
「あんたのせいじゃないさ。遅かれ早かれこうなってた」
俺は、荷台で眠るリナに、自分の上着をかけ直しながら言った。
彼女の力は、あまりにも規格外だ。
辺境の村で、ひっそりと暮らせるような、小さな奇跡ではなかったのだ。
「問題は、これからどうするか、だ」
デュランが、声を潜める。
「王都に着けば、俺たちは間違いなく厄介ごとの中心になる。あの小娘の力を黙って見過ごすような連中じゃねえぞ、貴族ってのは」
「ああ、分かってる。だからこそ、これは好機でもある」
「……好機、だと?」
俺は、デュランに向かって静かに頷いた。
「俺たちの目的は、ただ生き延びることじゃない。『サイセイ』の村を、国を創ることだ。そのためには、力も、金も、そして『発言権』も必要になる。王都は、その全てが手に入る場所だ」
俺の言葉に、デュランは何も言わなかった。
ただ、その目に新たな闘志の火が宿るのを俺は見逃さなかった。
♢
王都アレイティスは、俺が生まれ育った場所でありながら、まるで初めて訪れる異国のように感じられた。
巨大な城壁、天を突く白亜の王城、そして行き交う人々の活気。
だが、その華やかさの裏に、深い淀みが隠れていることを俺は知っていた。
俺たちは、王城の一角にある豪奢な離宮へと通された。
「王子殿下の容態が安定するまで、ここを貴殿らの宿舎とする」
アウディットはそう言うと、俺たちにいくつかの決まり事を告げた。
許可なく離宮から出ないこと。客以外の者とは話さないこと。
そして何より、リナの力については決して他言しないこと。
部屋は、俺がかつて住んでいた安宿とは比べ物にならないほど広く、食事も今まで口にしたことがないほど美味だった。
だが、窓には鉄格子がはめられ、扉の外には常に衛兵が立っている。
ここは、快適な牢獄――金色の鳥籠だった。
リナは、王子の治療の疲れからか、ほとんどの時間を眠って過ごしていた。
デュランは、離宮の庭で、ただひたすらに剣の素振りを繰り返している。
俺は、部屋に運び込まれた書物に目を通しながら、これからのことを考えていた。
――そして、三日後。
俺たちの元に、一人の客が訪れた。
アウディット・フォン・ヴァレンシュタイン、その人だった。
「……ユキ殿と言ったか」
彼は以前とは打って変わって、丁寧な口調で俺に話しかけてきた。
その手には、一冊の真新しい手帳が握られている。
「これは、私からのささやかな礼だ。君の手帳は、追放印で汚されていただろう。新しいものを使うといい」
「……どうも」
俺はその手帳を受け取った。
彼が、ただ礼を言うためにここへ来たのではないことは分かっていた。
「本題に入ろう。君たちの処遇について国王陛下と協議した」
アウディットは、本題を切り出した。
「まず、王子殿下の命を救った功績に対し金貨百枚と、男爵位に準ずる名誉爵位を与える、とのお言葉だ」
金貨百枚。
名誉爵位。
以前の俺なら、飛び上がって喜んだだろう。
だが、今の俺には、それが何の意味もなさないことを知っていた。
「……見返りは、何です?」
俺がそう言うと、アウディットは初めてわずかに表情を崩した。
面白い、とでも言うように。
「話が早くて助かる。我々が君たちに望むのは、一つだけだ」
「その娘――リナ殿を、王家の庇護下に置かせてもらいたい」
「……庇護、ですか」
「そうだ。彼女の力は、正しく管理され導かれなければ、国に混乱をもたらしかねん。我々『適性査定庁』が、彼女の教育と身の回りの世話の一切を受け持つ。もちろん最高の環境を約束しよう」
彼の言葉は、丁寧だった。
だが、その内容は、リナを俺たちから引き離し、国の管理下に置くという最後通牒に他ならなかった。
俺は、静かに首を横に振った。
「お断りします」
「……何?」
アウディットの眉が険しくなる。
「正気か? これは、国王陛下直々のご命令だぞ。君に拒否権はない」
「ありますよ。俺は、彼女の保護者だ」
俺は、立ち上がった。
窓の外では、デュランがこちらを気にするように素振りの手を止めている。
「リナは、道具じゃない。あんたたちの物差しで価値を測られるための存在でもない。彼女がその力をどう使うかは彼女自身が決めることだ」
「……愚かな。子供にそんな判断ができるものか」
「できるようにするのが、俺の役目だ」
俺は、アウディットを真っ直ぐに見据えた。
ここが、最初の戦場だ。
もしここで引けば、俺たちは、一生彼らの言いなりになるだろう。
「査察官殿。あんたに、一つ取引を提案したい」
「……取引、だと?」
「ああ。俺たちを、ここに縛り付けておくのは無駄だ。俺たちの力はもっと有効に使えるはずだ。そうだろ?」
俺の言葉に、アウディットは黙り込んだ。
彼は値踏みするように、俺を、そして俺の背後にある「未来」を見ようとしている。
この男を説得できなければ、俺たちの旅はここで終わる。
俺は、この金色の鳥籠の中で、次の一手を静かに待った。