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聖女の片鱗

 アウディットの鋭い視線が、俺と、俺の後ろに隠れるリナを射抜く。

 絶体絶命の状況で毒に倒れた王子。

 そして、俺がその唯一の希望として差し出した、元奴隷の少女。


「……正気か、追放者。王子殿下の御前であるぞ。その汚れた手を、触れさせるわけにはいかん」


 アウディットの後ろに控えていた兵士たちが、槍の穂先を俺たちに向ける。

 馬車からは、侍女の悲痛な嗚咽が聞こえてくる。

 王子の呼吸は、いつ止まってもおかしくないほど弱々しい。


「汚れているだと?」


 俺の隣でデュランの低い声が響いた。

 彼の右手が剣の柄を握りしめている。


「この子より、あんたたちの魂の方がよっぽど汚れて見えるがな」


「黙れ、隻腕の落伍者。これ以上騒ぐなら、まとめて反逆罪で処断する」


 アウディットは、冷たく言い放つ。


 一触即発の空気。

 だが、ここで争っている時間はない。

 俺はデュランを手で制すると、アウディットに向き直った。


「査察官殿。あんたの言う通り、俺は追放者だ。こっちは元奴隷で、そっちは片腕の元騎士。俺たちは、あんたたちの物差しでは価値のない人間なんだろう」


 俺は、馬車の中の王子を一瞥する。


「だが、その価値ある王子殿下が、今まさに死にかけている。そして、あんたたちの誰一人として、それを助ける術がない。違うか?」


「……ぐっ」


 アウディットが、言葉に詰まる。

 俺は続けた。


「賭けてみるしかないはずだ。あんたたちが信じる『現在価値』とやらに。このまま王子が亡くなるという絶望的な現在と、この娘が奇跡を起こすかもしれない、万に一つの可能性という現在。――あんたは、どっちに賭ける?」


 俺の言葉は、博打の誘いだった。

 だが、それは彼の信じる「合理的判断」という土俵の上での最後の選択肢のはずだ。


 アウディットは唇を噛み締め、しばらく葛藤していた。

 やがて、彼は侍女に尋ねる。


「……他に、何か手は?」


「……もう、ありませぬ。宮廷医の秘薬も、全て……」


 その言葉が、最後の決め手となった。

 アウディットは、まるで忌々しいものでも見るかのように俺を一瞥すると、リナに向かって重々しく告げた。


「……分かった。やらせてみろ」


「だが、もし王子にもしものことがあれば、お前たちの命はないと思え」


 ♢


 許しは、出た。

 だが、リナは恐怖でその場に立ち尽くしていた。

 国の王子、役人、兵士たち。

 彼女が奴隷として虐げられてきた世界の権力者たちが、今、自分一人に注目している。

 そのプレッシャーは、計り知れないだろう。


 俺は彼女の隣に膝をつき、その冷たくなった手を握った。


「リナ。大丈夫だ」


「……でも、私、何も……。あの夜の光も、どうやったのか……」


「やり方は、知らなくていい。君は、ただ祈ればいいんだ。あの夜、俺たちのために祈ってくれたみたいに。目の前にいる苦しんでいる人を助けたいって、ただ、そう願うだけでいい」


「君は、聖女なんだから」


 俺の言葉に、リナの瞳がわずかに揺れる。

 彼女は、俺の手をおずおずと握り返してきた。

 そして、意を決したように王子が眠る馬車へと、一歩足を踏み出した。


 リナは王子の寝台の脇に膝をつくと、その震える両手をそっと彼の胸の上に置いた。

 そして、目を閉じ、小さな声であの祈りの歌を口ずさみ始める。


 最初は、か細く、途切れ途切れだった歌声が、少しずつ力を帯びていく。

 すると、彼女の両手から、温かい金色の光が溢れ出した。

 それは、あの夜の光よりも、ずっと強く、優しい輝きだった。


 光は王子の体をゆっくりと包み込んでいく。

 その瞬間、驚くべきことが起こった。

 王子の唇から、どす黒い、小さな霧のようなものが立ち上り、リナの光に触れた瞬間に霧散していく。

 毒が浄化されているのだ。


 土気色だった王子の顔に、少しずつ血の気が戻ってくる。

 浅く、途切れ途切れだった呼吸が、穏やかで深い寝息へと変わっていった。


「あ……ああ……!」


 侍女が、感極まったように声を上げた。

 兵士たちは、目の前の奇跡を呆然と見つめている。

 そして、アウディットは――その常に冷静だった仮面のような表情を崩し、信じられないものを見る目で、リナと彼女が放つ光をただただ見つめていた。


 やがて、光が収まり、リナは力を使い果たしたように、その場にぐったりと崩れ落ちた。

 俺はすぐに彼女を抱きとめる。

 彼女の顔は蒼白だったが、その表情はどこか安らかに見えた。


 ♢


「……王子殿下は、峠を越された。あとは、王都で安静にされれば、数日で回復されるだろう」


 アウディットが馬車から降りてきて、俺に告げた。

 その声にはもう以前のような棘はない。

 代わりに、戸惑いと測りかねるような探る響きが混じっていた。


「……君たちは、一体何者だ?」


「言ったはずです。ただの旅の者、だと」


「嘘をつけ。ただの旅人が、聖女を連れ歩き、王国の王子を救うものか」


 アウディットは、俺の目を真っ直ぐに射抜いた。


「君が、彼女を導いた。君は一体何を知っている?」


 俺は何も答えなかった。

 俺の力のことは、まだ誰にも明かすわけにはいかない。


 アウディットは、俺の沈黙を肯定と受け取ったようだった。

 彼は、一つため息をつくと、決然とした口調で言った。


「いや、ただの旅人ではない。王子殿下の、そしてこのアレイティア王国の命の恩人だ」


「査察官アウディット・フォン・ヴァレンシュタインの名において命じる。君たちには、王子殿下が完全に回復されるまで、我々と共に王都へ同行してもらう。これは、依頼ではない。命令だ」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。

 俺たちは、確かに王子を救った。

 だが、その代償として、俺たちは「自由」を失ったのだ。

 王都へ行けば、俺たちの存在は、良くも悪くも多くの人間の目に触れることになるだろう。


 俺たちの、静かな旅は終わった。


 これから始まるのは、陰謀と、嫉妬と、そして権力が渦巻く王都での新しい物語。

 それは、俺が夢見る「国づくり」への、危険な近道なのかもしれない。

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