王都の査察官
崩落した橋を乗り越えたことで、俺たちの間には新たな絆が生まれていた。
デュランは、リナの力を認め、彼女をただの子供としてではなく、一人の仲間として見るようになった。
リナもまた、デュランの不器用な優しさに気づき始め、少しずつだが彼と話すようになっていた。
俺は、そんな二人の変化を、頼もしく、そして嬉しく思っていた。
一人、また一人と、見捨てられた者たちが自分の価値を見つけ、手を取り合っていく。
俺が夢見る「国」の姿は、この小さな旅の一行の中に確かに芽吹いていた。
♢
旅を再開して数日後、俺たちはアレイティア王国の主要街道へと合流した。
辺境から王都へと続くその道は、多くの商人や旅人が行き交い、活気に満ちている。
同時に、街道のあちこちには、関所や見張りの兵士たちの姿もあった。
俺たちが、次の町へと入ろうとした時だった。
町の入り口に設けられた関所で、一人の男が俺たちの前に立ちはだかった。
男は、仕立ての良い役人の服を着ており、その腰には王国の紋章が刻まれた長剣を佩いている。
鋭い眼光は、まるで獲物を査定するかのように、俺たち一人一人をじろりと見た。
「止まれ。お前たち、身分を証明するものはあるか?」
その声は、冷たく、そして有無を言わせぬ響きを持っていた。
デュランが、前に出ようとするのを俺は手で制する。
「俺は、ユキ・ナガエ。見ての通り、旅の者だ」
「ユキ・ナガエ……。その名、聞いたことがあるな」
男は、懐から羊皮紙の巻物を取り出し、そこに書かれたリストに目を通し始めた。
「……あったぞ。商人ギルド追放者リスト。間違いないな?」
「ああ、そうだ」
俺が認めると、男の目に侮蔑の色が浮かんだ。
彼は、荷車に乗っているリナと、その後ろに立つデュランに視線を移す。
「そちらの娘と、男は?」
「俺の仲間だ」
「仲間、か。奴隷らしき娘と、片腕の男がな」
男は、フン、と鼻で笑った。
「お前たちのような者たちが、何の目的で王都を目指す? 答えによっては、ここで拘束させてもらうぞ」
その横柄な態度に、デュランの眉がピクリと動く。
リナも、怯えたように俺の服の裾を掴んだ。
この男、ただの役人じゃない。
相当な権限を持っている。
俺は、冷静に男を鑑定した。
【対象:王都査察官 アウディット・フォン・ヴァレンシュタイン】
【現在価値:『適性査定庁』筆頭査察官(戦闘能力A)】
【未来価値:ユキの政策の最大の障壁となり、後に最高の理解者となる《国家の番人》】
【特性:規律と『現在価値』を絶対視する。不正と無能を極度に嫌う】
――アウディット。『適性査定庁』だと?
その名は、俺も聞いたことがある。
国王直属の機関で、国中のあらゆる人材や物資の「現在の価値」を査定し、序列化する、アレイティア王国の頭脳とも言うべき組織。
そして、その筆頭査察官。
とんでもない大物に目をつけられてしまった。
彼が信じるのは、「今、ここにある価値」だけ。
俺の【未来価値鑑定】とは、まさに対極の思想を持つ男だ。
「……黙り込むか。ならば、力づくで聞くまでだ」
アウディットが、腰の剣に手をかける。
彼の後ろに控えていた兵士たちが、一斉に槍を構えた。
まずい。
こんなところで、争いになるのは避けたい。
その時だった。
「――待ってください!」
凛とした声が響いた。
声の主は、リナだった。
彼女は、俺の前に進み出ると、アウディットをまっすぐに見つめた。
「この人たちは、悪い人ではありません。私の、命の恩人です」
アウディットは、リナの突然の行動に、わずかに眉をひそめた。
「……小娘。お前は、誰の許可を得て口を開いている?」
「私は……リナ、と申します。ユキさんとデュランさんに助けていただきました。どうか、私たちを通してはいただけませんか?」
彼女の必死の訴え。
その姿に、俺の胸が熱くなる。
自分を無価値だと思い込んでいた少女が、今、俺たちを守るために、勇気を振り絞っているのだ。
だが、アウディットの心は、氷のように冷たかった。
「ほう。奴隷の分際で、なかなか達者な口を利くな。だが、法は法だ。お前たちの身元がはっきりしない以上、ここを通すわけにはいかん」
彼は、兵士たちに顎でしゃくった。
「そこの娘を捕らえろ。何か知っているかもしれん」
兵士たちが、リナにじりじりと近づいてくる。
リナの顔が、恐怖で青ざめていく。
デュランの右手が、腰に差した剣の柄を、強く握りしめた。
もう、戦いは避けられないのか。
俺がそう覚悟を決めた、次の瞬間。
けたたましい馬のいななきと共に、一台の豪華な馬車が、街道を猛スピードでこちらへ向かってきた。
その馬車には、王家の紋章が掲げられている。
馬車は、俺たちのすぐ側で急停止すると、その扉が勢いよく開かれた。
中から転がり出てきたのは、一人の侍女だった。
彼女は、顔面蒼白で、呼吸も絶え絶えだ。
「た、助けてください! どなたか、お医者様か、神官様はいらっしゃいませんか!?」
彼女は、アウディットにすがりついた。
「若君が……! 王子殿下が、毒に……!」
「何だと!?」
アウディットの表情が、初めて険しいものに変わる。
侍女は、馬車の中を指さした。
そこには、美しい絹の寝台に一人の少年がぐったりと横たわっていた。
顔色は土気色で、その唇は紫色に変色している。
一目でただ事ではないと分かった。
「王子殿下を狙った、何者かによる毒殺未遂だ……! 急ぎ、王都の宮廷医の元へ!」
アウディットが、叫ぶ。
だが、侍女は絶望的な表情で首を横に振った。
「もう、もちません! 呼吸が……!」
その言葉通り、少年の胸の動きが、急速に弱くなっていく。
アウディットの顔にも、焦りの色が浮かぶ。
彼は、国で最も重要な人物の一人を、今、目の前で失おうとしていた。
その、誰もが絶望しかけた、その時。
俺の心のコンパスが、これまでで最も強く、そして最も切迫した「共鳴」を発した。
引力の先は――リナだった。
俺は、彼女の手を掴んだ。
「リナ。君なら、助けられる」
「え……? でも、私……」
「大丈夫だ。君は、聖女なんだから」
俺は、彼女の背中を、そっと押した。
ためらう彼女の瞳に、俺は力強く頷きかける。
彼女は、一度だけ深く息を吸うと、意を決したように、王子の元へと歩み寄った。
アウレイティア王国、第一王子。
彼の命運は今、追放された鑑定士と、元奴隷の少女の手に委ねられようとしていた。