振るわれるべき剣
デュランの左腕に、銀色の義手『アストレア』が装着された。
それは、ただの武具ではない。
彼の魂と共鳴し、彼の意志に応える新たな半身。
その輝きは、俺たちがこの工房で過ごした十日間の結晶だった。
「――こいつの名は、『アストレア』だ」
デュランが、女神の名を告げた。
その言葉は、彼が騎士としての誇りを、魂を、決して捨ててはいなかったことの証明だった。
工房の隅でその光景を見ていたリナの瞳が嬉しそうに潤んでいる。
鍛冶神グランもまた、満足そうにその長い髭を扱いていた。
俺たちの最初の目的は、今、最高の形で達成されたのだ。
――だが、その感慨を打ち砕くように、工房の鉄の扉が轟音と共に外側から弾け飛んだ。
「な、何事だ!?」
グランが自慢の工房を破壊され、怒りの声を上げる。
土煙と逆光の中から、複数の人影が姿を現した。
その先頭に立つ男を見て、俺は息を呑んだ。
口髭をたくわえた、見覚えのある顔。
俺がリナを救い出すために、取引をした奴隷商人のリーダーだ。
しかし、その様相は以前とは全く違っていた。
彼の体は、禍々しい紫色のオーラを放つ、重厚な全身鎧に包まれている。
「よう、小僧。久しぶりだな」
奴隷商人は、兜の隙間から、歪んだ笑みを浮かべた。
「お前のおかげで、俺たちは命拾いした。そして、お前のおかげで、俺は『本物』の力に気づくことができたぜ」
彼が指さしたのは、俺たちの背後にある《天空鋼》の鉱脈だった。
洞窟の入り口は、俺たちが岩で塞いでおいたはずだ。
「お前たちが山に登っていくのを、偶然見つけてな。まさか、こんなお宝が眠っていたとはな。お前が言っていた『価値』ってのは、こういうことだったんだな!」
彼の後ろには、同じように邪悪なオーラを放つ鎧を纏った、かつての護衛たちの姿もあった。
彼らは、俺たちがいなくなった後、洞窟を再発見し、残っていた《天空鋼》を掘り出したのだ。
だが、どうやって? あれは、デュランの闘気がなければ……。
「……その鎧、まさか」
グランが、苦々しい表情で呟いた。
「古代の呪具か。鋼の魔力を無理やり引き出し、装着者の生命力を喰らって動く代物だ。そんなものをどこで…」
「ああ、グラン様。あんたが昔、失敗作だと言って捨てたガラクタが、洞窟の隅で埃をかぶってましてね」
奴隷商人は、楽しそうに言った。
「こいつは最高だ!力が、無限に湧き上がってくる!」
彼の目的は、一つしかない。
「小僧、その腕のいいドワーフと、そこの聖女とかいう小娘を貰い受ける。それと、お前が持っている『奇跡の酒』もな。そうすりゃ、俺は帝国の将軍にだってなれるかもしれねえ!」
欲望にぎらつく目で、彼はこちらに歩み寄ってくる。
数は、五人。
以前の彼らとは、比べ物にならないほどの圧を放っている。
「……面白い。ちょうど、新しい『相棒』の試し斬りには、うってつけの相手だ」
俺の前に、デュランが立った。
彼の左腕、『アストレア』が、主の闘気に呼応して、淡い光を放つ。
「デュラン、油断するな。そいつらは、ただのチンピラじゃねえ。呪具の力で、痛みも恐怖も感じねえ、ただの殺戮人形だ」
グランが、警告を発する。
「ああ、分かっている」
デュランは、静かに頷いた。
彼は、工房の壁に立てかけてあった、一本の何の変哲もない鉄の剣を右手で抜き放つ。
そして、左腕のアストレアをゆっくりと胸の前に構えた。
「――来い。お前たちが本当に欲しいものを、見せてやる」
デュランの挑発に、奴隷商人たちが雄叫びを上げて襲い掛かってきた。
その速さは、以前とは比べ物にならない。
呪具が、人間の限界を超えた力を引き出しているのだ。
最初の一人が、大剣を振りかぶり、デュランの頭上へと叩きつける。
岩をも砕くであろう、凄まじい一撃。
リナが、小さく悲鳴を上げた。
だが、デュランは動じない。
彼の瞳は、振り下ろされる刃の軌道を冷静に見極めていた。
「――第一解放、『震刃』」
彼が呟くと、銀色の義手アストレアが、形状を変化させた。
腕を覆っていた装甲が、まるで刃のように鋭角化し、前腕部から高周波で振動する光の刃が形成される。
デュランは、その光の刃で振り下ろされる大剣を、まるでバターを切るかのように、いとも簡単に受け止めた。
いや、受け止めてすらいない。
大剣がアストレアに触れた瞬間、超高速の振動によってその構造を破壊され、甲高い共鳴音を残して金属の粉となって砕け散ったのだ。
「な……!?」
鎧の男が武器を失った自分の両手を見下ろし、驚愕の声を上げる。
その隙を、デュランは見逃さない。
彼の右手の鉄剣が閃光のように走り、鎧の兜の隙間を正確に貫いた。
急所は外してある。
だが、脳を揺さぶられ、鎧の男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
一人、戦闘不能。
しかし、その光景に怯むことなく、残りの四人が四方から同時に襲い掛かってくる。
前後左右、逃げ場のない包囲網。
「デュラン!」
俺が叫ぶ。
だが、彼は冷静だった。
まるで、こうなることを予期していたかのように。
「――第二解放、『引力鎖』」
アストレアが、再びその姿を変える。
腕の装甲が展開し、その内部から魔力で編まれた四本の鎖が、まるで生きている蛇のように射出された。
鎖は、常人には捉えきれないほどの速度で、四人の鎧武者の体にそれぞれ巻き付くと、強力な引力で彼らの動きを完全に封じ込める。
「ぐっ……! なんだ、この鎖は!?」
「動けん! 鎧が、言うことを……!」
身動きが取れなくなった敵を前に、デュランは静かに歩み寄る。
そして、一人一人の鎧の、動力源となっている呪いの紋章を、鉄剣の切っ先で正確に破壊していった。
彼は、無駄な殺生を避けていた。
ただ、彼らを動かす呪いの力だけを的確に無力化しているのだ。
力を失い、重い鉄の塊と化した鎧が、ガシャン、ガシャン、と音を立てて崩れ落ちる。
あっという間に、五人の敵は、全て無力化されていた。
デュランは、一度も人を斬ってはいない。
工房に、沈黙が戻る。
デュランは、アストレアの変形を解き、ゆっくりとこちらに振り返った。
その顔には、もう絶望も諦めもなかった。
失われた誇りを取り戻し、守るべきものを見つけた、一人の騎士の顔がそこにあった。
俺は、彼の隣に立つリナに目をやった。
彼女はデュランの圧倒的な強さに怯えることなく、ただ、静かに、そして力強く彼を見つめていた。
その瞳には、彼への絶対的な信頼が宿っている。
「……グラン様。見ましたか」
俺は、呆然と立ち尽くすグランに言った。
「あれが、あんたが言っていた、『最高の使い手』です」
グランは、何も答えなかった。
だが、やがて、その口元に満足そうな笑みを浮かべると、腹の底から豪快に笑い始めた。
「カッカッカ! 見事だ! 実に見事だぜ、デュラン! そして、お前もな、ユキ!」
「俺の生涯最高傑作は、最高の主を得たようだ!」
その言葉は、俺たちの最初の冒険が最高の形で実を結んだことを告げていた。