7 依頼
柔らかそうな羊毛の上に座らされ、スープと小麦のパンが乗った小奇麗な食卓を勧められた。確かに空腹は覚えていたが、食事に手をつけることはせず、はす向かいと正面に座している男達を睨んだ。すると、気付いた正面に座す青年が人の良さそうな笑みを向けてくる。
「どうしたんだい? 何か嫌いなものがあったかな」
明らかに子ども扱いされ、フィーリは嘆息した。フィーリが今、着せられている服も、何処か良家のお嬢様が着るようなワンピースだ。ふわりと広がる長い裾に、袖や襟に最高級のレースがあしらわれた高級品である。
薄汚れた旅装は返り血で余計に汚れて、外へ着ていける品ではなくなっていたが、こんなものを着せられるいわれは無い。
フィーリははす向かいで優雅に酒を飲んでいるエマーを睨む。
こんなことになってしまったのは、この男の全責任なのだ。
フィーリは何もわからないまま、ゲルという広い、テンガローのようなテントの集落に招かれた。その一角で湯浴みをさせられ、ワンピースを着せられた。そして連れてこられたのが、この食卓だ。
通りがかりの善意なら、喜んで目の前のスープを平らげにかかるが、ここへ連れてきたのは他でもないキャラバンを襲った夜盗である。
逃げ場を失ったフィーリはすでにやる気をなくして捕まっていたエマーとキャラバンから奪ったのだろう積荷と一緒に馬車に乗せられたのだ。揺られること小一時間、夜明けも近い頃に山間の小さな空き地に下ろされた。それが、この集落である。
先ほどからエマーに向かって説明しろ、と念を送っているのだが、それは無駄だとフィーリは悟り、自分で質問することにした。
「……あの」
「ああ、そうだ」
褐色の青年はにこやかに頷いた。
この青年、よく見れば帝国では見たことの無い銀髪である。肩より伸ばした髪を無造作に首の後ろでまとめている。切れ長の瞳は、至上の色とされる深い青紫だった。容貌には節々に品の良さが表れる。武骨な旅装姿でなければ、その容貌が際立ったことだろう。
「自己紹介がまだだったよね。僕は、ツァン・イー。この集落の族長やってるんだ」
エマーの十倍は愛想のいい笑顔だが、フィーリはそれを睨むことで返す。
「夜盗の、でしょ」
ツァンは苦笑した。
「まぁね。ああ、でも今日は依頼があったんだよ」
「……依頼?」
返答したのが良かったのか、ツァンは丁寧に応えた。
「そう。とある筋から、あの隊商を襲えってね。まぁ、色々黒い噂のあるキャラバンだったから」
と、ツァンは傍らに積み上げている強奪した荷の一つから袋を取り出す。中を開けてフィーリに見せると、平然と言い放つ。その白い粉にはフィーリも見覚えがあった。未熟な巫女が、自分の舞を急に上達させるために使ってしまうことがあるのだ。
「麻薬だよ。戦後の混乱に乗じて売り捌こうとしてたんだね。末端価格でミリグラム、万単位の値がつくから」
エマーを見遣ると、この男はふと気付いたように視線を返す。
「あー…。教えてなかったっけ?」
本気で殴りたいと衝動が起こった。だが、フィーリは長年培ってきた堪忍袋にきっちりとそれを収めておく。いつか巡ってくる時のために、温存しておくべきだ。
「……じゃぁ、ジェンカを逃がしたのは失策だった?」
「いや。こんな荷の正体を知ってたのは、一部の人間だけだろう」
下働きらしいジェンカは殺されていない確率が高い。フィーリは少し息をつく。そして改めて男達をねめつける。
「……でも、あなた達が投合する理由には弱いわ」
ツァンとエマーは顔を見合わせる。だが、エマーは説明する気はないようで、すぐに濁酒へと注意を移す。
残されたツァンは肩を竦めてフィーリに向き直った。
「驚いたのは僕の方さ。だって、連邦軍にいたはずのエマーがこんな可愛い女の子連れて旅してるんだよ?」
同意を求めるように、ツァンはエマーに顔を向けるが、無関心男はぴくりとも応えない。
ツァンはフィーリに向かって苦笑した。
「しかもエマーは連邦軍辞めただって? 確かに、エマーみたいな人にはこれからの世の中は面白くないだろうけど」
「内乱があるじゃない」
「君は怖いね」
言葉とは裏腹に、ツァンは柔らかく笑む。
「民族同士の確執から生まれる内乱ほど面白くない戦争はないよ。信念も目的もありはしないから。あるのはただの殺し合い。それだけだよ」
少し伏せた目が彼の目蓋に影を落す。
「つまらないよ。本当に」
ツァンの言葉が他人事には思えず、フィーリは顔をしかめた。
「うん。そうだな。僕も内乱を経験したことがあるから言えるんだけど、本当につまらない殺し合いだよ。昨日の晩の夜盗ごっこよりね」
あっさりと言い切って、ツァンはにっこりと笑う。
「そういえば、内乱の時に、エマーと会ったんだよ。もう十二年ぐらい前になるかな」
と、確かめてくるツァンに、エマーは「ああ」とだけ相槌を打った。
「鎮圧部隊として来ていたエマーに負けて、助けてもらったんだ」
「……敵、だったんじゃないの?」
「そのはずだったんだけどねぇ」
怪訝に問い返すフィーリにツァンは苦笑して頬を掻いた。
内乱は、規模自体は小さいとはいえはっきり言って戦争よりタチが悪い。怨嗟の応酬なので収拾のつけどころがないのだ。そんな敵も味方もわからない場所で襲ってくる相手を助けてやろうというような余裕がどこから生まれてくるのだろうか。
だいたい、フィーリを連れて旅をしていること自体も神経回路の接触具合を疑ってしまう。
エマーのことだ。どうせ成り行きや気まぐれで助けたのだろう。そう考えれば、フィーリにはツァンに尋ねることがもうほとんどないように思えた。
「それで、どうしてここに連れてきたの? 昔を懐かしんでつい連れてきたわけじゃないんでしょ」
「話が早くて助かるよ」
そう前置いて、ツァンはにっこりと微笑む。
「卓上ゲームは好きかな」