6 遭遇
たまたま道行が一緒になったキャラバンに泊めてもらった夜、楽器を持っていると知られたエマーは酒に酔った人々にせがまれる形で弦を爪弾いた。
いつもの曲だったので、フィーリは宴の熱気に浮かれて舞を披露した。なるべく主都で覚えた巫女舞の技巧を使わず、知識として覚えた一般的な踊りで舞ったのだが、計らずもそれが絶賛を受けた。
宴も終わり、人々が片付けもそこそこにテントへと戻っていく時、フィーリはキャラバンに拾ってくれた中年の女性に声をかけられた。
「アンタ達、兄妹で楽師でもやってたのかい?」
他人から聞かれる関係を、フィーリ達は兄弟で押し通していた。
「いえ……素人です」
巫女は踊りのプロではない。嘘をついているわけではないのだ。
「それにしちゃぁ、上手い舞だったよ」
手放しに褒めてくれる人は今までにも大勢いたが、こうした踊りを褒められた経験がなかったフィーリは柄にも無く照れた。
「アンタの兄さんも良い弾き手だね。兄さんも素人なのかい?」
「ええ……」
フィーリは生返事を繰り返す。エマーがどうしてあの楽器――リィラという民族楽器らしいが――を自在に操ることができるのか、フィーリ自身の疑問でもある。弾ける曲のバリエーションが多いのは、部隊の中で弾いていたことが功をそうしているのだろうが、それだけでは楽器を扱うことはできない。楽器には相性というものがあって、練習したからといって必ず上手くなるというわけではない。努力である程度まで上達しても、才能が無ければ決して到達できない世界がある。
弾くだけならば、フィーリにもできるだろう。だが、最終的で根本的なところがエマーに劣るのだ。
「アンタ達は帝国の主都から逃げてきたんだろう?」
両親を無くして当ても無く主都から逃げてきた。
それが他人に話す二人旅の事情だった。
「だからって、今、連邦に入るのは止めておいた方がいいよ」
連れて行けるところまでキャラバンと一緒にいろと勧められたが、エマーがすでに断っている。
「夜盗も出るし、何より内乱が起こってる」
「……内乱?」
耳新しい情報に、フィーリは少し目を丸くした。
「何でも、連邦のお偉いさんが仲違いしたらしいよ。帝国とは違って、連邦は寄せ集まりだからねぇ」
元々、連邦は帝国に対抗するために結ばれた同盟だ。その同盟も、帝国が倒れてしまった今、均衡を失うことは誰にでも予想できた。
「新政府の立ち上げもまだ本決まりしてないのに。そもそも帝国をどうするかも決めてないらしいじゃないか。帝国の側でも反乱組織が出来ているらしいしね」
主都に居る頃には全く聞こえなかった物騒な話題だ。
女性と別れ、与えられたテントに入ってから、珍しく寝袋の上で寛いでいるエマーに尋ねてみる。
彼の応えは簡単なものだった。
「あー。まぁそんなこともあるな」
この男はとっくに知っていたらしい。
「夜盗が出るってのは覚えとけ。知らない人にはついていくなよ」
「新政府の立ち上げとか、内乱はどうでもいいわけ? あなたの好きな戦争でしょ」
「内乱は西で起こってる。行っても面倒なだけだって」
「ものぐさ」
「何とでも」
自分の寝袋の上に座ってフィーリが顔をしかめると、エマーは傍らのリィラを引き寄せる。弦の調節をしながら、軽く目を伏せた。
「……どこに向かってるの?」
すでに二十日が経とうとしている。その中で初めて尋ねた。聞いても素直に答えてくれるかどうかがわからなかったのだ。今、尋ねたのも、つい口について出ただけだった。
予想に反して、エマーはすんなりと応えた。
「東。知り合いの家に」
調節した弦が軽くはじかれた。
「山奥に住んでる変わり者だが、道を知ってるバアさんだ。戦争なんかに借り出されてなきゃ、連邦と帝国の間に住んでるだろう」
エマーは弦から少し顔を上げる。
「アンタの道を示してくれるはずだ。少なくとも、アンタが歩いていく方向ぐらいはわかるようにしてくれる」
進む方向がわからないフィーリに目的を与えて、その先の道も決めさせようとしている。
「……どうしてそこまでさせようと思ったの」
赤の他人の小娘に、ここまでする必要はない。
エマーはこれ以上ないほど簡潔に応える。
「約束だから」
「誰と?」
弦の調節をし終えたのか、エマーは楽器を抱き上げてのんびりと爪弾く。
フィーリはしかめ面でそれを睨んでいたが、警戒している動物が徐々に懐いていくように寝袋に寝転がる。
はぐらかされたようで、それでも心地好さを感じて、フィーリは寝そべった。
その時だった。
切り裂くような悲鳴が響く。
馬の嘶き。
叫喚。
耳慣れた惨状の音を聞いて、フィーリは夢から引きずり出されて起き上がる。
すでにエマーの音色も消えている。
戸口でしゃがんだ彼に目配せされて、フィーリは自分の最小限の荷物を手に頷く。それを見てとると、テントの裾をエマーが覗く。
「……駄目だな。ここは」
嘆息混じりにぼやくと、フィーリを促してテントを出た。積み上げられている荷物の間に身を潜める。
いつか見た光景が広がっていた。
必要以上に明るく照らすのは燃え過ぎた炎だ。
その間を人と馬が悲鳴を上げて行き交っている。それを阻むのは大勢の武器を持った男達だ。カトラスを振り回していてもおかしくない粗暴な剣で逃げ惑う人を襲う。
中にはフィーリが覚えている顔もあった。
助けに向かおうと物陰から出て行こうとするが、エマーに腕を捕まれる。
「やめとけ。面倒だから」
冷血漢、と睨むがフィーリにはエマーの考えていることが解ってしまった。
今、ここで出て行って夜盗を追い払っても、敗れれば殺され、勝ったとしてもキャラバンにしつこく――彼らにとって夜盗は天敵だ――それこそどんな卑怯な手段を使っても引きとめられる可能性がある。
いずれにせよ、フィーリやエマーに有利には働かない。
どこかの正義の味方であれば、そんなリスクも構わず飛び出していくのかもしれないが、フィーリに、そんな蛮勇は持ち合わせが無かった。
「アンタは飛び出すなよ。目立つから」
フィーリは警告した男を怪訝に見返す。目立つというなら、エマーの方が目立つはずだ。
しかし、二人してここに潜んでいるわけにもいかない。襲ってきた男達の目的は虐殺よりも強奪が目的らしく、次々とテントが剥がされている。混乱に乗じてキャラバン隊の一部が逃げていくのが見えた。
途方に暮れる気分でそれを見送り、フィーリがエマーに視線で尋ねる。だが、それを邪魔するように悲鳴が隣のテントで鳴り響く。若い女性のようだ。その周囲で男達の嘲笑も聞こえる。
何が行われようとしているのは明白だ。
憐れな、というよりも滑稽なほど悲鳴を上げている女の声が耳についた。
「あーもう!」
フィーリはその場を飛び出していた。エマーも渋々ついて出てくる。フィーリは声の聞こえるテントを支える縄を外した。
悲鳴が驚愕に変わる。
やがて布をかきわけて三人の男と服が乱れた女性が出てくる。
問い掛けられる前、フィーリは無言で男達を蹴り飛ばす。
いずれも急所を。
どうにもならないらしく、地面に転がってしまった男達を見下ろして、フィーリは冷ややかに足を振り下ろす。地面も抉ろうかという脚力で腹部を強打された男達は、抗いようもなく気絶した。
「……相変わらず、手加減のない制裁だな…」
哀れな男達を見下ろし、無感動な感想を漏らすエマーを無視して、フィーリは放っておいた女性に視線をやる。先ほどよりも怯えた様子だ。
「大丈夫?」
少女の声が聞こえて、一先ず安堵したのか、女性は泣きそうになりながらも頷いた。
フィーリは倒れたテントの下から薄手の上着を見つけると、女性にかけてやる。女性は少し息をついたが、複雑な表情で項垂れる。
「……キャラバンから置いていかれてしまったの…。これからどうすればいいのかしら……」
とうとう泣き出した女性を見遣って、フィーリも複雑な気分になる。
主都での自分と同じなのだ。
自分の行き場がわからなくなってしまった自分と。
だが、降ってきたのは優しい慰めではなく、無遠慮な言葉だった。
「キャラバンは西に向かった。確か、この先に街があるだろう。そこへ行ったんだ」
フィーリと女性は顔を上げる。我関せずというようなエマーは二人を見下ろし、続ける。
「とりあえず、残った荷物で手持ちの荷を作ってやるから追いかけてみろ」
「そんな……」
助けてやらないのか、と言いかけたフィーリの隣で、女性は顔を上げていた。
「ありがとうございます」
彼女の顔から絶望が消えた。
フィーリは言葉を継がず、エマーと女性と共に、積荷の陰へと向かった。
ことごとく奪われてはいるが、乱雑に漁っているようで、一人分の食料と着物ぐらいは用意できた。それをまとめて女性に持たせ、フィーリとエマーは野営地から少し離れた場所に女性を残した。
「朝になるまで動かないで。何があっても」
不安げ、というよりもフィーリ達を心配そうに見上げていた女性は頷くと同時に、
「私は、ジェンカと言います」
出て行きかけていたフィーリは足を止め、彼女を振り返る。
「私はフィーリ。あっちはエマー」
「気をつけて。フィーリ。エマー」
ありがとう、というジェンカの声を背に、フィーリ達はその場を離れて野営地の陰に潜む。
「……同じだと思ったんだろ」
珍しく、エマーが話し掛けてきた。
何のことだかわからず、不審顔で問い返すと、エマーは続けた。
「あの、ジェンカと自分が同じだと思ったんだろう?」
「……それは…」
目聡い男だ。
「あの女はまだ行き場があるんだ。憐れむな」
冬空のように即答する声は、心なしかフィーリを慰めるような色があった。
呆れられているのか。そう思ってエマーを見遣るが、彼の表情に変わりはない。フィーリはどう応えて良いのかわからず、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「……あなたは、私を憐れんでるの?」
どうして。
なぜ。
疑問はつきない。
エマーは当然というように、頷く。
「憐れんでいるように見えるか?」
問い返すのは反則だ。
フィーリはエマーを一睨みして、物陰の外に視線を投げた。まだ、付け火はくすぶり、あらかた物色をし終えたらしい男達がうろついている。
「憐れんでるように見えるなら、先に謝っとく」
フィーリは動きを止めた。
そしてゆっくりとエマーを振り返る。
エマーは、といえばいつもの如く無表情だ。
フィーリは思い切り息を吸う。
宮廷楽師にも褒められたほどの肺活量だ。
「なんなのよーっっっっっ!」
注目を浴びるには、充分過ぎた。
気がついた時には、周囲には戦争中にもこれほど見たこともないほどの剣や槍が並んでいる。
「……あなたのせいだからね」
「……面倒だからそういうことにしといていい」
投げやりに応えるエマーを背に、フィーリはざっと顔ぶれを見回す。
円陣を組んではいるが、剣の構えも実に素人臭いのが揃っている。何やら口々に男達がこちらに質問やら罵声やらを浴びせてくるが、それを一切無視して、フィーリは傍らの男に尋ねる。
「どうする?」
「蹴散らして逃げる。東の街道で合流」
簡潔に告げると、エマーから先に動いた。近くに居た男が動けないでいるほど素早く、剣を取り上げる。
ついでに殴り飛ばしているので、男にとっては不運この上ない。
その様子を見て取った男達は、フィーリの方が、扱いが楽と目算をつけたらしく、彼女に殺到し始める。
フィーリもエマーに倣うことにした。手始めに槍を持っている男の顔を蹴り飛ばし、パルチザンを強奪する。
構えて振り回すと、意外な反撃に驚いた周囲の男達は散り散りになって逃げ惑う。
どちらかというと、悪党になった気分で、それでも呵責なく追い払うと、次に騎馬隊がやってきた。
馬上から剣を振り上げるが、フィーリが馬の脚を薙ぐ方が早い。
三頭ほどを打ち倒したところで、パルチザンの方が折れた。
仕方なく、いかにも重そうなハンガーを手にとり、正眼に構える。
「何やってんだ! 囲んで槍を投げろ!」
もたついた指令にしては的を得ている。だが、行う側がついていけなければ、それも愚行になる。
バラバラと投げようとする瞬間、フィーリは高く飛び上がった。
助走もなく、天高く跳躍する彼女に向かって、天使だ、という者もいた。体を捻って、飛来する槍を避けると、男達の真ん中に切り込む。今までのスピアとは違い、両刃のハンガーは手加減が利かない。一度薙ぐと、手首や指が飛び散っている。幾人か重傷者も出したかもしれない。
悪魔、と呼ばれた。
それもそうだ。血まみれの娘が巫女などとは思いもよらないだろう。
フィーリ自身も、巫女だと胸を張ることは出来ない。
乱れた息を整えて、辺りを見回す。
知塗れで動けない者以外は、フィーリの周囲からすっかり男達は退散している。
エマーを探して、視線を彷徨わせていると、声かと見間違うほどの殺気が背中から飛び込んでくる。
振り返って剣を突き出すと、一人の男が目を見開いていた。
だが、驚きも束の間、男は手にしたサーベルでフィーリのハンガーを払う。
甲高い音で、フィーリは改めて構え直した。
この男、斬り合いがしたいらしい。
声もかけずに跳躍する。
逆袈裟と袈裟斬りがかち合い、一合、唐竹を払い落として二合、そのまま背中を切る振りをして、一直線に突く。
それを後方に跳んで避けた男は苦笑を漏らす。その喉元には一筋の血が流れている。
「……そこで突くか」
普通なら切り結ぶところだ。だが、フィーリはそれを嫌って突き返したのだ。
実を言うと、フィーリが持っているハンガーはすでに切れ味が無いに等しい。薙ぐ、突くぐらいならスピードを乗せればどうにでもなるが、斬ることはできない。スピードを乗せなければならないが、それすらも血脂で鈍ってきている。
新しい剣に持ち帰ることも考えたが、この眼前の男が許してくれそうもない。
となれば、手段は限られる。
「あ、逃げるな!」
フィーリはハンガーを捨てて敵前逃亡を謀る。阻む敵を蹴り倒し、燃えるテントの隙間を逃げ回る。
しかし、それはあまりに無策だったらしい。フィーリの方がテントの密集地に入り込んでしまい、結局囲まれてしまう。
どう打開しようか考えていると、制止の声と共に馬蹄の音が響いた。
困惑する男達を掻き分けてやってきたのは、日に焼けた顔の青年である。その隣には、
「……何やってんのよ。エマー!」
気合無く両手を上げたエマーが無愛想に立っていた。