13 人々
この大陸には無数の国が存在する。乱立した部族がそれぞれに国家を主張しているのだ。その数ゆうに二百を超える。向こうの山から手前の山までという国から十以上の山を跨ぎ、巨大な港を幾つも持っている広大な国家まで形容は様々である。
習慣、宗教、言葉も違うこれらの国を無理やり合併させたり統合させたり吸収させたりして五十に代表を絞った上で、無数の国は一つの同盟で巨大な連合国となった。
それが通称『連邦』、リヴァーイング同盟連合である。
この巨大な連邦が作られたのは、ただ一つの目的を果たすためだった。
帝国の打倒である。
元々は星の数ほどある国の一つだった彼の国は、一人の指導者によって劇的な軍事的成長を遂げた。その軍事力は他国を圧倒し、あっという間に広大な大陸の三分の一を手に入れてしまった。その影響力は他大陸にまで及び、本拠を構える大陸ではまさに王だった。あらゆる流通、産業、文化を手中に収め、繁栄を極めることとなる。だが、その恩恵は大陸の他国にまでは及ばなかった。むしろ搾取の根源となったのである。この大陸の二分化は五百年の歳月を重ねた。
奴隷として過ごしてきた国々は、ゆるゆるとその力を溜めこんで、ついに半年前、五年を賭けてようやく帝国を打ち倒す。
すでに国として、老齢だったのである。そして、腐り果てていた。そのうちから、一人の癌すら産み出した。
その過ぎ去った栄光の名は、小国から大国へ育て上げた指導者の名前を冠している。
「エグマ」
名を呼ばれ、立ち止まる。
そう。これは自分の名だ。だが、正式ではない。あまりに長い名なので普段は略称で呼ばれている。
正式には、エミグラーセティマ。
“光よ我に”という古い聖典の言葉である。そして、この名は皮肉なことに帝国の祖と同じ名である。つまり、エミグラーセティマ帝国。帝国の正式名称である。
無感動に振り返ると、銀髪の男がこちらを同じく無表情に、エグマを呼び止めたときと変わらぬ口調で淡々と口を開いた。
「長老方を脳溢血で殺す気か」
一見、上流階級の子息にも見える物腰である。しかし、軍の儀礼服を一分のすきも無く着こなすこの男の性格は質実剛健。だが、ジョークのわからない男ではないことは、長い付き合いでエグマは知っていた。
「あの爺さん達は長く生きすぎだ。お迎えが来ているのに無視しているんだろう?」
「だが、議会決議を掲げている以上、無碍にはできまい」
「ユーゲルト。アンタは正しいよ」
ジョークはわかるが、堅物であることには代わらない。
「エグマ・カタス議長」
改まった口調で言い直し、銀髪の男、ユーゲルトの顔に影が落ちる。
議会場へと続く長い白の廊下に、午後の日差しが差し込んできたのだ。
元帝国領土の南の端、大陸の中心にある荒野を開き、建築した巨大な議政堂。その様相は一国の城塞に見える。外見だけではなく、さまざまな防衛システムに護られた実質的な要塞である。
「議長、貴方の身辺警護が私の役目です。くれぐれもお一人で行動なさいませんよう」
「嫌味はさっき、散々聞いてきた」
エグマは肩をすくめて議会場を指して見せた。
指先の議会場を一瞥すると、ユーゲルトも肩をすくめる。
「……本当に、危険なのだよ。エグマ・カタス。今や君はこの大陸を統べている。君の采配と動向で大陸の未来が決まる」
「未来を決めるのは、アンタたちだ。ユーゲルト」
そう。そのために連邦がある。
一人の指導者を冠するのであれば、帝国を倒した意味がない。
大陸を刷新した意味がない。
「俺は、何も小奇麗なスーツを着たくてここに居るわけじゃない」
仕立て屋のスーツなど着る必要はない。野戦服で充分だ。
ユーゲルトはしばらく無愛想にエグマを眺めていたが、やがて少しだけ口の端をあげた。
「私は議長の警護が勤めだ。それ以外、興味はない」
「嫁さんの心配ぐらいしてやれよ」
「仕事とプライベートは別だ」
「ご立派」
どちらともなく廊下を歩き始めた。
「ティアナが来ている」
「ティアナが?」
意外な名を聞いて、脳裏に童顔な女魔術師の顔が浮かんだエグマは少し苦笑する。
「彼女は相変わらずだ」
ユーゲルトは珍しく息をつく。石頭の彼にはティアナの奔放さについていけない部分があるようだ。
「唐突だからな。何の用だって?」
「仕事のついでに遊びにきた、と」
「議政堂にか? よく入れたな」
「忍び込んできたらしい」
「……なるほど。警備システムを見直そう」
長い回廊を過ぎ、緩い階段をくだる。議員達には、議政堂の中に私室が与えられている。エグマの一室は、議会場階下の廊下に続くドア二つ先、階段から程近い場所にある。もし、テロなどに遭った時、一般議員と共に逃げられるように、というもっともらしい理由でその中途半端な場所になった。一番奥まった広い部屋には、連邦一の領土を持つ議員がどっかりと居座っている。
幾人かの議員は議長のエグマにその部屋をあてがおうとしたらしいが、当のエグマはさっさと与えられた部屋に入ってしまったので、結局、変えられなかったのだ。
質素な自室のドアをノックすると、間の抜けた返事がかえってきた。
ユーゲルトと苦笑しつつドアを開ける。
「久しぶりだな。ティアナ」
「相変わらずー。エマー」
ばっさりと切った肩までのブロンドの童顔な女である。今はさすがに野戦場での作業ズボン姿ではないが、色気のないタイトスカートにブラウス姿である。そしてその上にいつものように白衣を着込んでいた。
彼女は二つしかないソファの一つに腰掛けて、本棚から勝手に本を出してすっかり寛いでいた。
「おお。エマーがスーツなんか着てるー」
希少動物でも観察するように眺められ、エグマはスーツの上着を脱いでネクタイを緩めた。
「議長って大変そうだねぇ。カタスの王太子って肩書きが効いたの?」
ティアナはからかい口調で笑って、目を細めた。
カタスは、連邦の同盟を取り次いだ中心国である。そして、エグマにとっては第二の故郷でもあった。
「さぁな。それより、何の用だ?」
エグマは執務机につき、ユーゲルトはドア口に立つ。が、ティアナにソファを勧められ、エグマもそれを許したので、ティアナの向かいに座った。
「相変わらず本好きだよねー。エマーってさ」
ティアナは会話を進めないで、部屋中を見渡す。
さして広い部屋ではない。執務机とソファが二台で定員だ。ただ、そうなってしまったのは、壁を埋める本棚のせいもあった。刳り貫きの窓以外、全てに置かれた本棚はあわせて十台ある。議事録や参考資料と共に、私物として持ち込んだ本のせいで既に本棚も飽和状態にある。床や執務机に積み上げられている本は少なくない。
「うっわ。あんな古い魔術書なんて、魔術院の古本屋でしか見たことないよ」
「その古本屋で買ったからな」
「――妙なところに行っているな」
思わずうめいたユーゲルトをあえて無視し、エグマはティアナを促す。
「ティアナ。アンタが用もないのに、俺のところに来るわけないだろう」
凡庸と本棚を眺めていたティアナは世間話の続きで口を開いた。
「ここにテロ屋さんが来るっていう情報があってねー。魔術院からの情報だから間違いないわよ。連邦に、というかエマーの国にはお世話になってるからー」
「で、今日、急いで来た理由は?」
「あーそれはー」
と、彼女がのんびりと話し始めたところで、突然、建物が揺れた。耳をつんざく爆音付きだ。
この部屋では誰も叫びはしなかったが、外からの悲鳴と、落下した本棚の本がバラバラと異常を知らせる。
ユーゲルトは落ちてくる本を眺めて呟く。
「爆弾か」
「らしいな」
ユーゲルトの呟きに、エグマは肩をすくめてティアナを見遣る。
「……今日がテロの犯行予告日だったんだな? ティアナ」
「大当たりー」
続いてくる爆音に舌を噛みそうになりながら、ティアナはぱちぱちと心無い賛辞を送ってくれた。
「やれやれ」
エグマは書きかけの議事録の入った端末を閉じて手にかける。そして脱ぎ捨ててあったスーツの上着に袖を通した。
「ユーゲルト。議員たちの脱出ルートは」
尋ねられる前に手持ちの端末を開いていたユーゲルトは頷く。
「全員脱出可能。議会場に束になっていたことが幸いした」
「ティアナ、他に人は?」
「もう逃がしといたー。あとは私たちだけ」
「上等だ」
三人して外へ出て、思わず足を止める。
爆発が続く中、議員たちが、まだ私室をうろついているのだ。
大方の予想を胸に、行き交う議員の一人を捕まえると、
「か、株取引証明書がまだ部屋にあるんだ!」
放してくれ、と男は運動不足の体を引きずり、私室へと向かっていった。
男の後姿を見送って、エグマは手さえ振った。
「平和だなぁ」
「そんな悠長にしてていいわけ?」
さすがのティアナも少し顔を歪めている。
『……議員諸君に告ぐ』
堂内放送が、ノイズと共に発音した。
『我々は、帝国の意思を継ぐ者である。諸君等の儚い勝利はうたかたの夢の産物だ。夢は覚めるものである。我々はすでにこの小賢しい議政堂を制圧した。連邦の属国民よ。即刻、降伏せよ。そして新たに服従を誓うが良い』
「あーあ。コントロールルームがやられたらしいな」
「脱出口からの退避も遅れているようだ」
端末の画面を見たまま、ユーゲルトが少々嘆息して告げてくる。
「半年で平和ボケするわけだ」
「じゃ、どうする? テロ屋に捕まってみる?」
やけに楽しそうに笑うティアナに、エグマは肩眉を上げてみせる。
「アンタ達はともかく、俺は生かしちゃくれねーだろが」
「屋上へ。格納庫にヘリがある」
そう言ってユーゲルトは端末を閉じると、先行して先ほど降りてきた階段を駆け上がり始める。ティアナに背中を押されたエグマは、ユーゲルトとティアナに挟まれる形で階段を駆けた。
議会場の真上が屋上だ。
屋上へ駆け上がると、真っ先にユーゲルトが格納庫へと走り寄った。
中途半端に開いたシャッターの隙間から格納庫へ入り込む。ヘリはその絶対数自体が少ない。魔術院と連携して生産しているために、なかなか需要と生産の折り合いがつかないのだ。ここには、一般用のヘリが調達できなかったため、軍用ヘリが五体ほどだけ鎮座している。
「ユーゲルト。アンタは退避誘導に行ってくれ」
動かせそうなヘリを見つけて、状態監査モニターのカバーを取る。隣で物珍しげに見ているティアナを尻目に、状態の確認を済ませて起動コードを緊急手段で書き換える。
「私の部下がいる。それで充分だ」
エンジンキーを探して持ってきたユーゲルトは言葉を切った。
「エグマ!」
ティアナが悲鳴のような声を上げた。
全くの勘。
ほとんど脊髄反射でエグマは危険信号へ向かって腕を突き出している。
脅威だと判断する対象に向かうというのに、急激に体は高揚する。
腕が捉えたのは鋭い蹴り。的確に急所の首を狙った足先は、殺人的な威力がある。
痺れる腕を振り払い、体勢を崩した相手の首を掴む。
細い。
少し力を入れれば折れてしまうほどに。
ふいに腹に蹴りがくる気配を感じて手を放し、飛び退く。
エグマの手から逃れた人影は、何を思ったのかふと顔を上げる。
「……エマー……?」
驚きを隠せない、戸惑う少女の声だった。
聞き覚えが、ある。
エグマは目をこらした。
「お前……」
ヘリの車体の向こうに。
動きやすい作業着の軽装を身につけているが、まだほんの少女である。肩より少し長い艶やかな黒髪を首の後ろに結った痩身は、先ほどの猛攻が嘘のようにか弱く、容貌は人形のように端正だ。だが、それを炯炯とした緋色の瞳が払拭してしまう。
記憶よりも少し背が伸びている。
代わりに髪が少し短くなっていた。
「……何やってんだ。フィーリ」
半年前、別れてきたはずの少女が、変わらぬ幼い瞳で、こちらを儚げに見上げていた。