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フィーリ  作者: ふとん
11/15

11 指輪

 人界に侵食されて久しい世界の中で、未踏の森があるとすれば、それはこんな森なのかもしれない。

 霧の立ち上る野原の丘陵を抜けると、針葉樹林の森がある。

 倒木に苔生す道に、確かな路面はない。そこは道であるのかすら疑うような、木々の隙間である。

 天を突く木々は空をいっそう高く押し上げて、響く鳥の鳴き声は静寂を切り裂くかのごとく鋭く空気を突き刺す。

 ティアナ達と別れて、すでに数日。

 東の街道を抜け、帝国と連邦の稜線を望む森までやってきている。

 人智を拒む深い森は、何処が帝国で連邦なのか、双方が明確な境界を引きかねている完全な中立地帯である。

 人里から遠く離れたこの森に、エマーの言う、道を知る人の家はひっそりと建っていた。

 丸木を組んで作られた家は、苔とツタに覆われており、歳月が人家というよりも無人ではないかと疑わせるほど年季を篭めている。

 戸が開いた。

 呼びかけもしないのに現れたのは、一人の老婆である。白髪を綺麗に結い上げた、品の良い彼女は、棒切れのような身体に小奇麗な布を幾重にも巻きつけている。腰は折れ曲がっているものの、足元はしっかりとしており、かくしゃくさを物語っている。

「エグマ・カタスか」

 しわがれているがはっきりとした発音で、老婆はエマーを名指しした。

「こんなところで何をやっているんだい。戦争は終わったんだ。お前にはまだやることが山ほどあるよ」

 静かに、だが少し険のある口調で言い終えると、次にフィーリを見遣った。

「帝国の巫女姫だね。お初にお目にかかるよ。私はリベンス・コッペリア」

 フィーリはふわりと、お辞儀をした。

「フィルディルシア・トールと申します」

「うん。良い名だ」

 すんなりと言われて、フィーリは少し驚いた。長年、長いと煩わしがられた名前だ。褒められるとは思っていなかった。

「じゃ、俺はここで失礼するか」

 エマーは片腕を上げて、手を振る。

 すでに手も届かない場所に居る。

 驚かされてばかりだ。

 聞きたいことは山ほどあるというのに。

「エマー」

 何度呼んだかわからない。

 出会ったときから、何も変わらないこの男の名前を。

 呼びかければ、すぐ言葉を待ってくれる。

 フィーリに目的を与えてくれる。

「どうして、私をここに連れてきたの」

「約束だから」

 そして、フィーリを見遣る。

「そういえば、その指輪の片割れを持ってたな」

 視線の先は、フィーリの指にある小さな環。

 エマーは改めて言い直した。

「俺が殺した、あの城の主との約束だから。アンタをここまで連れてきた」

 あの日、あの場所で、あの人が。

 同じ日に同じ場所で同じ人が。

 巫女ではないフィーリに、指輪をくれたあの人が、精一杯の誠意を篭めて言った。

「逃げろとアンタに言った後、俺にアンタを頼んで逝ったんだ。……全く、人を見る目だけはありやがる」

 エマーは苦笑して、これからどうする、と誤魔化し半分に聞いた時に同じように尋ねた言葉を繰り返す。

「俺を恨むか」

 フィーリにとって、彼は小さな僥倖だった。

 王に無理やり連れていかれそうになった時、城主の立場から彼がかばってくれたのだ。

 素直になれた。

 愛しいと思った。

 だが、フィーリはそこまでだった。

 巫女である自分に、親愛以上の情はない。

 だから、愛しているといわれた時も、戸惑いだけが残った。

 渡された指輪もとうとう、彼の前では嵌めないまま。

 無くして初めて、幸せだったのだと気づくのだ。

 それはもう届かないから。

「エマーはズルイのよ」

 彼の想いを受け止めて、フィーリに気付いてくれた。

 居場所を与え、目的を与え、道を与えて、フィーリの背中を押してくれた。

「私は、どれだけエマーからもらえばいいのよ。こんなにもらったら、どれだけ返せばいいのかわからない」

 フィーリがエマーに返せるものは何も無いというのに。

「恨みたくても、恨めない」

 ふと、思い出したようにエマーは笑んだ。

「恨まないでもらえれば、それでいい」

 途端に、はめられた気分になって、フィーリは泣きそうだった顔を歪めた。

「それと、あの曲の題名知ってたら教えてくれ」

 今はない、リィラの旋律に乗せたあの曲の題名は、

「知らない」

 何処かに置き忘れた思い出の中にあるらしく、題名までは思い出せない。

「どうせ、誰も知らないんだから、勝手に名前つけてしまえば?」

 適当に言ったフィーリに向かって、こちらもいい加減にエマーが応じた。

「じゃ、フィーリな」

 フィーリの名前を決めたときと同じ口調で。

「……どうして、私の名前になるのよ!」

「発案者だろ」

「だったら、自分の名前をつけたらどうなの!」

「自分の名前を答えてまわるのは嫌だろ」

「私だって嫌!」

 どうしてこうも無責任なのだろう。

「いいじゃないか。アンタはフィルディルシアだろ」

「こんな時にわざとらしく名前を呼ばないで!」

 エマーは応える代わりに、歩を進めた。

 行かないで。

 とどめる言葉が何故か喉に引っ掛かった。

 それを残して、フィーリは叫ぶ。

「エマー!」

 どうして。

 何故。

 このときも、フィーリは自分の問いに応えられなかった。

 気付いたときには、ずっと指にはめてあった指輪をエマーに向かって投げている。

 ほどよく勢いの乗った指輪を、驚いたように掴んだエマーは立ち止まって振り返る。

「それ、あげる」

 エマーは心底嫌そうな渋面になった。

「いらない」

「今までの宿代とかよ。足りるでしょ」

 しばらく、手の中の指輪とフィーリを見比べていたが、エマーは観念したように頷いた。

「フィーリ」

 誰に呼ばれたのか、一瞬わからなかった。

 自分で決めた名前のくせに、一度も呼ばなかった名前だ。

「題名思い出すまで、お前の名前つけとく」

「つけるな! このものぐさ!」

 エマーは振り返らなかった。

 適当に手を軽く振って、そのまま森の外へと消えていった。

 影が消えるまで見送ったフィーリに、リベンスがぽつりと尋ねた。

「あの指輪、あんな男にやって良かったのかい?」

 確かに、どうせ数日もしないうちに無くしてしまうのだろう。それでも良かった。

「どうせ、あの指輪の意味なんて知らないだろうし」

 そう応えると、リベンスは啄木鳥のような失笑をあげた。

「アイツは帝国語を完璧に喋るんだよ? 文化も詳しいとは思わなかったのかい」

 言われて老婆を振り返る。だが、彼女は素知らぬ顔で笑う。

「帝国では、結婚を申し込む時に使う手段だったねぇ」

「…………二つ無ければ意味がないんですよ」

 二つの指輪を分かち合うことで、結婚の意を誓うのだ。

「あと二日もすれば無くしてますよ。質屋にいれるぐらいは平気でしますから。あの男は」

「まぁ、それも一つの道さ」

 リベンスは踵を返すと、戸をゆっくりと開いた。

「フィルディルシア。お前さんは自分の道がわかるまで、ここで過ごすがいいさ。ヤツはもう自分の道を決めたらしいから、しばらくここに来ることもあるまい」

 フィーリはふと足を止める。

 やって来た道を振り返り、視界に溶けていく緑の荒野を見つめる。

「今まで来た道が、無駄だと思うかい?」

 唐突に投げられる質問に、フィーリは苦笑した。思えば、笑うのは久しぶりかもしれない。

「どれも無駄じゃない、って最近、思えるようになったところなの」

 甲高い鳥の声は呼びかけるようにつんざいて、遠い空へと抜けていった。




            終


第一部 完結

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