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フィーリ  作者: ふとん
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第一部   1 巫女

 暗い綿雪を降らせる空を、煌々と紅く舐めている。


 染められた情景はそれだけで全てを物語り、簡潔する。

 彼女は淡く積もった雪の上で、茫然と見つめていた。

 かつてこの世で最も優美と謳われた城である。白い流線型の構造、完全な左右対称、幾つもの尖塔、青と白を基調とした色合いはこの山間の国にはない海を彷彿とさせた。

 枯れ枝の林の向こうにある小高い丘の上に鎮座する姿は季節を問わず美しかった。


 今、この時でさえ。


 分厚い暗雲を染め上げるほどの炎に包まれていてさえ。


 彼女は嗚咽すら飲み下してしまう凄絶な僥倖を見つめていた。

 帝国と呼ばれていた国の呆気ない末路だった。


 世界で最も強大で広大な大地を統べていたはずの帝国は、属国として扱っていた小国の寄席集まりである連邦に敗れたのである。約五年続いた帝国と連邦の戦争は帝国の圧倒的兵力差で幕を開けたが、終幕に至った現在では既に帝国の部隊らしき部隊は壊滅している。全ての援軍を断たれた主都は完全に孤立し、補給もない篭城戦に突入した。一方的な侵略戦の舞台となってしまった主都は火と叫喚の渦に巻き込まれた。王城を棄て、谷合の城に落ち延びた王族達は拠点をことごとく落としてきた連邦軍に囲まれ、ついに滅びた。

 上等ではあるが被せる程度の薄絹が雪の寒さを防げるわけがなかったのだ。

 彼女は不意に感覚がないほど凍えた体のことを思い出し、雪の上に座り込んだままかじかんだ手に目をやる。

 日に焼けたことのない白磁の両腕には豪奢な宝石と彫刻の施された腕輪が重そうについている。それを見とめて彼女は失笑する。

 巫女であるはずの彼女に、豪華な装飾品など必要がないのだが、神前の舞を見た王が贈りつけてきた代物だ。そして自分が逃亡する際、多くの妃達とともに、仲間の巫女や神官と共に避難民の救出に働いていた彼女を、有無を言わさず連れてきたのだ。居候にも関わらず、城主に無理難題を押し付けて、現実逃避をするように毎日、遊び騒いだ。その宴席に毎回、彼女は舞を所望されて幾度も寝所にまで連れていかれそうになった。王は凡庸だった。幼い頃から他人にかしずかれることしかなかったために、外交で渡り合う、ましてや戦争で国を守ることなどできはしなかったのだ。長期にわたる停滞した情勢は、優秀な側近すら王の側に置かなかった。全てが、帝国が滅ぶための下準備だったというように国の中枢から腐敗して、膨張した巨体を支えきれなくなっていたのかもしれない。

 彼女は装飾品を全て体から削ぎ落とす。ネックレス、イヤリング、アンクレット、ブレスレット、髪留め、ブローチ。薄絹の装束には似あわない代物の全て取り除き、羽織っていた布でくるむ。その指に、まだ光るものが残っていることに気付いて、彼女は手を止めた。

 王からの下賜品とは比べ物にならないほど、何の装飾もない銀の指輪である。

 光沢のある指輪を彼女はしばし見つめた。外そうと指輪を掴み、止める。

 他の装飾品がどうなろうと知ったことではないが、この指輪だけは、


「おい、こんなところに女がいるぜ」

 陳腐な台詞が彼女の思考を止めた。不快も露に振り返ると、五、六人の男達が軽い足取りで向かってきている。いずれも目立たないこげ茶色の野戦服姿である。素手かナイフ一丁しか装備のない軽装ではあるが、幾つかの戦場を渡ってきた者特有の場慣れと高慢さを感じさせる。揃いの胸章は彼女が今、最も見たくないものだった。

 楕円に円を囲んだ鮮やかな緑のモチーフである。

「……連邦軍…」

 彼女は冷や汗を込めて小さく呟く。帝国の人間だからといって皆殺しにしているわけではない。それに彼女は巫女だ。巫女や神官は市民を誘導させるのに有効的だと生かされている。しかし、こんな戦場にたった一人きりでいる年若い巫女にどれだけ規律に忠誠を働かせてくれるのだろうか。それに着の身着のまま逃がされた彼女の格好は舞を踊っていた薄絹の軽装である。巫女の舞衣装を知らない者が見れば、どこかの娼婦にでも見えるかもしれない。

 そう息を呑む彼女の前に集まった兵士は案の定下卑た会話をし始める。

「いい肌だぜ。久しぶりの女の香だ」

「細腰だな。すぐ立たなくなるんじゃねぇか?」

「とりあえず女だろ。大丈夫じゃねぇか? 初めてってことはないだろ」

「綺麗な顔してやがるし、オイ、一つ連れて帰ってみるか」

 帝国の常用語と連邦諸国の常用語は全く違う。まさか敵国であるはずの連邦の常用語が彼女に解るとは思っていなかったのだろう。彼らは更に続ける。

「もう主都も落ちたし、パンデモニウムも終わっただろう? トツカナに帰営してもいい」

 そこまで相談してから、兵士の一人が今までの会話を誤魔化すように彼女の前に手を差し出し、帝国の常用語で告げてくる。

「あなたを保護します。我々と一緒に来てください」

 当然、彼女は手を取らず兵士を睨みつけると、兵士達にはわからないようにすぐ立てる体勢を整える。

 彼女が睨みつけたのは警戒しているせいだと思ったのか、兵士は安心させるようににこやかに笑ってさえ見せた。

 彼女は装飾品を包んだ布を片手に、機会を待ってなおも押し黙る。

 その態度に業を煮やした兵士は彼女の肩を掴みかける。


「おい」


 低い、それでいてよく透る声だった。しかし感情に乏しく、制止の声なのかただの呼びかけなのか判別できなかった。

 声と共に林の奥から現れたのは、新たな一人の兵士だった。彼女の周辺を取り囲んでいる兵士達と同じような野戦服に、灰色のコートを着込んでいる長身の男である。けっして小柄ではない兵士達よりも頭一つ高い。そのくせ兵士達のような威圧感がまるでない。それは兵士達より一回りほど痩せているせいだと思われたが、この男から滲み出る緩い雰囲気によるところが多いようだ。だが、その外見は強烈だった。緋色の髪、というのは生温い。まるで鮮血を流し込んだようなピジョンブラッドの髪を前髪から後頭部に押し上げて、その目は冬空には似合わない新緑色である。灰色に見慣れた目には眩しいほどの色彩だ。

「何してんだ。撤収始まってるぞ」

 生温い男の声に、兵士達は今までのいい加減な態度を一変させて、音まで聞こえてきそうな直立不動の敬礼をした。

「は。帝国の生き残りと見える女を発見しました。いかがいたしましょう」

「女?」

 怪訝そうに男は顔を歪めると、兵士達の空けた道から彼女を覗き込んでくる。

計らずも彼女は男とにらみ合いとなる。なるべく無表情に睨み返すと、男は片方の眉をわざとらしく上げた。

「女、ねぇ?」

嘲笑の色を含んでいる声に、彼女は眼光を強めた。

「いかがも何も。この娘、巫女だ」

 そう言われて、彼女は心の中で息をつく。この、兵士をここまで緊張させるほどの上官らしい男が言うのだから、兵士達がこのあと彼女に手を出してくることはないだろう。

「こんなガキにかまってないで、さっさと撤収を始めろ。第一部隊の作業は早いぞ」

 ガキ。

 王の覚えもめでたかった巫女を捕まえてガキと断言するこの男、生かしておくべきか。

「は。失礼いたします」

 兵士達はまさしく帝国から渾名されるとおり、機械じかけの兵隊(ジャクマール)として最敬礼した。

 男は、というと部下を待たせて彼女に横目を向ける。

「……というか、俺の記憶じゃ、部隊中に童女趣味はいなかったと思うんだが…」

 帝国は負けてしまったが、せめてこの眼前の男ぐらいは仕留めておいた方がこれからの世界のためになるのではないだろうか。

 そんなことを自分でも意外なほど真剣に考えるが、彼女はどうにか無愛想を保った。

「まぁ、それはそうなんですが」

 今まで一分の隙もなく敬礼していた兵士達がまるで友人にでも苦笑するように構えを解いた。これが、彼らにとって普段の接し方らしい。

「すでに城主の首も取ってしまったことですし」

 一人の兵士が開放感に満ちた声で言った。それは長い戦いに終焉を見出したことによる安堵の台詞だったのだろう。

 だが、彼女の無表情が凍りついた。

 殺気。

どう呼んでもいい。彼女のその一瞬の感情の起伏を捉えられる者はいなかった。

「ぐあっ!」

 それがいつ話した兵士の呻き声か、彼女はわからなかった。兵士一人一人に人格を貼り付けているような余裕が、彼女にはなかった。考えをめぐらせる前に兵士の一人の腹部に手刀を突き刺している。臓物を抉っていた指先を抜いて、動きかけている反応のいい次の兵士の首に向かって肘を突き入れる。喉を潰された兵士は声を出すこともできずにうずくまった。

 三人目。

 次の人影を探して足を振り上げた。その首を捻じ切るほどの速さを乗せた、生ける凶器は重力に逆らって一閃される。

 だが、紅い残像がそれを受け止める。

 手の平に軽くぶつかる音を上げて、確かに人の首根を捉えていたはずの右足は掴み取られた。

「いい蹴りだ」

 彼女の足首を掴んだまま、連邦の常用語で話し掛けてきたのは赤髪の男である。思わず視線を向けると、男はわずかに口の端を上げた。

「やっぱり、俺の言葉が解るな?」

 今度は帝国の常用語で尋ねてくる。地方出身者ならばこうはいかないだろう。首都圏でも稀なほど完璧なイントネーションである。

「汚らわしい手を放せ。侵略者!」

 初めて口を開いた彼女に向かって、兵士達は子供の遊戯でも見るように好奇の目を向けた。二人の兵士を一瞬にして倒した彼女に向ける目ではない。

 男はすんなりと彼女の細い足を解放する。

「スピード、威力、技術、全部とってマルをやろう。いい蹴りだ」

 何処かずれてはいるが手放しの賞賛である。彼女は余計に顔を歪めた。回し蹴りでも見舞ってやろうと思っていたが、すっかりその気を削がれている。

「とりあえず」

 男は連邦の常用語に言葉を戻して優雅ともいえる緩慢な動作で毛織のコートを脱ぐと、そのまま彼女の頭に被せた。

「アンタは、俺たちが保護した、という形で主都に連れて行ってやるから」

 まだほのかに温かいコートを頭から剥ぎ取って、彼女は雪に叩きつけようとするが周りの兵士に苦笑混じりに宥められる。

「凍えるよりはマシですよ」

 当の男はさっさと林の奥へと向かっている。男がすでに眼前にないことを確認してから、彼女は不承不承コートを羽織った。



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