誰も教えてくれなかったじゃないか
知らない大人たちに背を押され、そのまま押し出されるようにあのアパートの一室から抜け出て四年が経った。
この世界はあまりにも生きづらかった。父は母は祖母は揃って私を「何の役にも立たない」「生きてる価値もない」と笑っていたが、実際世間にとって私はその通りであるようだった。
いくらかの優しい大人たちはそんなことはない、あなたは生きてるだけで尊い、というような言葉をかけてくれたが、かつてのあの優しさは誤りだった。正しいのは私の家族の方であった。
死出の旅に出ることに決めたのは一月程前のことである。部屋には碌な家電もないため、身辺整理はすぐに終わった。あとは図書館に本を返したくらいだ。
金も職も友も、今では家族すらもない私には、そのことを伝える相手すらいなかった。私は身一つでどこにでも行ける? 残酷な話だ。私はただどこにも行き場のないだけだった。
死出の旅と言えば山だろう。名も知らぬ山を登るに決めた。死に先に選んだ山には悪いが高揚していた。はじめての旅だった。
ざくざくと山道を進んで半時は経つ。よく分からない鳥や虫の声が遠くから聞こえる。ホトトギスはいないようだった。
足の裏が痛む。暴力とは異なる痛みだ。脹脛や太腿が張り、シャツが汗で肌に張り付く。疲労で気が遠くなる。なぜ自分は山を登っているのかも分からなくなる。腰も痛い。自分は何を考えてこんな所にいるのか……。
しかし後悔もやがて荒くなる息と共に消える。ただ無心で登る。足を動かす。やがて山道すら逸れ鬱蒼とした影の中、前へ、上へ――。
樹々の隙間から抜け出た先、吹き抜ける風に私は唖然とした。私の死に場所はあまりにも美しかった。山々の青は滑らかに雄大に広がり、西日を受け止め、人を寄せ付けぬ神々しき金色に揺れている。
止めどなく涙がこぼれ、込み上がる感情の波に腰が抜けた。私は本当に生まれて初めて心が己の中から突き上げてくるのを感じた。憎しみや怒り、全てが、今までの自分を取り巻く全てに、あらゆる感情が立ち上る。私程度では処理しきれぬそれに嗚咽がこみ上げる。
この世の中にこんなに美しい場所があるなんて誰も教えてくれなかったじゃないか。私には。……誰も。
ずるい、ずるいという呟きも飲み込むほど山々は青く果てしなく、いずれ私が零した涙も心も、私という存在ごと誰に知られることなく消えていくことだろう。
・【習作】描写力アップを目指そう企画「第五回 旅の一幕企画」に参加した短編です。
・個人目標は目指せ1000字以内!でした