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酔い知れる香り  作者: 美住
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トップノート④

 ある日の日勤帰り、いつも通りのバスに乗る。


『お局さんにイビられちゃったので、慰めてくれるとたすかる』

 携帯を出し、天音にメッセージを送信する。

向こうの仕事が終わっているかはわからないが、そのうち見てくれるだろう。


 携帯を鞄にしまい、窓の外を見ながらバスに揺られていた時。

ある匂いが、ふわりと鼻に届いた。

またこの香りだ。お香のようなウッド調の匂い、反射的に顔を上げてみる。

やはり、先日見かけた人と同じだ。

服装はあの時と違うもの、今日も清潔感があり、黒髪ショートに眼鏡をかけていた。



 今日も話を掛けられないままだった、なんて思いつつ降車する。

「――あっ、あの!」

 しかし、意外な事に向こうから追いかけて来て、声を掛けられてしまった。


「……はい?」

なんで!?と心の中では驚いているが、平静を装って話を聞く姿勢を見せた。

「ハンカチ、忘れてましたよ」

気をつけてくださいね、と優しい笑顔で渡してくれた。

 その間にも私はジッと顔を見つめてしまった。


「もしかして、(やしろ)さん……ですか?」

 お兄さんの正体は調香師の社さんだった。お店で見た時、初めて会った気がしなかったのはこのせいか。

 バスで見かけた時や今は眼鏡をかけて、前髪を下ろしている。

仕事の時は眼鏡を外しており、前髪も七三分けにしていた。


「そういう貴方は……どちら様でしょうか?」

 考えても思い付かなかったという素振りでこちらに問いかけてくる。

お店に尋ねた時、私は天音と一緒だった。社さんの職業柄、色んな人と出会うだろうから覚えてもらえている方が珍しいのかもしれない。


日置ひおき一華いちかと申します」

 オーダーシートに名前は書いたし、恐らく名乗れば大丈夫だろう。

「香水、無事に出来ておりますので、またのご来店お待ちしております」

 ハッとした表情を一瞬こちらに向けた後で告げられた。

天音と立てた予定では、今日から2日ほど後に行くことなっている。言っておいた方が良いだろうか。


「次のバスまで、時間……ありますよね」

 お兄さんもとい社さんは、私の言葉を聞いて、腕時計を確認する。

「そうですね。それまでは適当に時間潰しますので気にしないでください」

「あっ……!待ってください!」

 社さんは立ち去ろうとするが、私は引き止めるつもりで声を振り絞った。


「でしたら、あちらのお店でお話しませんか?お会計は私がしますので」

 誘ったのは、有名なコーヒーチェーン店。

社さんは私にハンカチを届けるために降りてしまったのだから、このくらいはさせてほしい。

「話すのは良いですけど、奢ってもらうのは申し訳ないです」

「ハンカチのお礼をさせていただきたくて」

「じゃあ、せめて割り勘にしましょう?」 

「……はい」


「抹茶ラテのTallサイズ、ホットでお願いします」

 初めてバスで見かけた時も思ったけれど、社さんは聞き取りやすく、綺麗な声をしている。

「日置さん、どうします?」

注文しているだけなのに、透明感のあるその声に聞き惚れてしまい、固まっていた。

 私の苗字を呼んだ声で、意識を戻される。

「キャラメルラテのTall、ホットで!それとチョコチップスコーンも」

 お会計は1400円くらいだった。割り勘にしようという話だったが、私の分まで社さんに払わせてしまった。

品物を受け取って、席に着いてから千円札を一枚渡す事にした。

「俺の分、500円ちょっとだったのでお釣り……」

「大丈夫です、ほんの気持ち程度に受け取っておいてください」


 会話が、弾まない。

お互いに黙々と飲んだり食べていたり。いや、食べているのは私の方だが。


「以前、バスでお会いした時も思ったんですけど……社さんの匂いって」

「え……そんなにキツくないと思いますけど」

社さんは、袖口を口元に近づけ、匂いを確認していた。


「そういうことじゃなくて、お香……みたいだなって」

「あー……話すのは自分語りになってしまうんですけど」

 言いづらそうにしながらも、話を切り出してくれた。

「高校の頃、茶道部に所属しておりまして。今でも時々、お店が休みの日にはお茶会に参加していて」

「なるほど……?」

 茶道のことはよくわからないので、首を傾げておく。

「茶室で、お清めとしてお香を焚くのでその香りかと」

 どうやら、本当にお香の匂いだったらしい。


「そうだったんですね。お店にいる時は、雰囲気も匂いも違ったので……」

『同じ人だとは気付なかったです』というのが本音だが、それを言ってしまうのは失礼にあたる気がして、そのまま飲み込んだ。


「お客様への匂いに混ざるといけないので、自分から香水を付けることはないですね」

 さすがプロだ、と感心してしまった。

それで言うなら、私だって職場では香水やネイルはしていないけれど。


 そこから沈黙が続き、チョコチップスコーンをモグモグ食べていた。


「お時間大丈夫ですか……?」

 残り少なくなったキャラメルラテを飲みながら、カフェにいる時のゆっくりした時間の流れを味わっていると、社さんの乗るであろうバスの時間が迫っていた。

「あ、ほんとだ。じゃあ、俺行きますね」

 中身が空になったであろう蓋付きの紙コップとプラスチックの蓋を分別して、店を出た。

やはり、キチンとした人だ。


 その後で私も飲み干したカップと蓋を分別して、皿とトレイを規定の返し場所に置き、店を出た。


 家に帰ってからメッセージアプリを確認する。

『一華も頑張ってると思うから、負けないで』

天音からの返事を見て、良い友人を持ったなあとしみじみ思った。

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