近所の廃墟
いつも通りにスーパーに晩飯を買いに歩く。
最近おすすめの時間が、十八時半から十九時になった。
不況や増税、物価の向上からだろうか、残り物の半額セールがその時間にずれ込んだからだ。
特に美味しいとも思わない食事に、そこまでのお金を使う価値は無いと思える程の惣菜や弁当たちだ。
でも、手軽にお腹を満たせるのはとてもいい。片付けも楽だ。
満足いく買い物を終えて、いつものように家までの静かな道を歩く。
もう家に到着するところで、ふと違和感を覚えた。
「あの建物って見た目あんなんだっけ…?」
周囲に人が居なかったのは幸いだった。
その建物の違和感に思わず声がこぼれてしまった。
「ん-…?」
どのくらいの時間そうしていただろう。
その建物に感じた違和感は、使われていないはずの家屋に新しく看板が付いているように見えたからだ。
看板と言っても、よくあるビニールのような素材で店先に飛び出している屋根のようなものだ。
だが、その見た目がかなり古い感じから、昨日今日に設置されているわけではないのは誰の目にも明らかだった。
それだけの古さを感じさせるのであれば、いつも見ているはずの景色のはずなのに、どうして立ち止まってまでその建物を確認しているのだろう。
「まぁ、いいか…」
そのまま家に戻り食事を済ませ、風呂に入り、いつも通りに眠った。
──。
二日後、同じ道で再びスーパーからの帰り道。
もうその建物を気にせずにはいられなかった。
どんな建物だったのかを必死に思い出し、自分の覚えている景色と照らし合わせていく。
「うん…絶対に変わってる」
自分の思い込みではなく、その光景が自分の見てきたものと変わっているのが確信に変わっていく。
スーパーの惣菜や弁当に飽きた時は、料理を作ったりもする。 そのため、毎日毎日同じ道を取っていないことから、いつ変化があったのかはっきりと覚えていなかったのが悔やまれる。
もしも工事などがあれば見ていたかもしれないし、建物への出入りもあったかもしれない。
いつものように家に入るものの、先日よりも気になっていることに気付くのは時間の問題だった。
「少し確かめてみるか」
翌日、その建物を見に行くことにした。
その建物がある通りは、小さな一方通行の道ではあるが大通りからの抜け道になっていたため、かなりの交通量と人が歩いているので、近づくことに何の違和感や恐怖を感じることは無かった。
結果から言えば、その建物に手が加えられた様子は無く、どういうわけか自分の思い違いとさえ思える程に誰も気にしていない感じだった。
「うーん…」
その店舗のような家を訪ねてみるか、近所の人に訊いてみるか、建物を調べながら考えていると──
「どうかされましたか?」
突然話しかけられた。
たしかに、古ぼけた建物の前で『うんうん』唸っていては、怪しく見えてしまうのは仕方のないことだと気付く。
「この建物が気になって、以前と見た目が変わっていると思うのですが、手が入っている感じでも無くて調べていたんです」
「そう…ですか?」
声をかけてきた人物は、この辺りで通勤しているであろう制服のようなスーツを着た女性だった。
「僕はあの通りからここをよく見ているんですけど、一昨日くらいに違和感を感じて気になったんです」
「そうですか…」
自分がどこから見て違和感を感じたか説明して、彼女へ気になることを確認してみることにした。
「この辺りを通勤されているんですか?」
「は、はい。そうですね」
「最近ここで工事があったとか知りませんか?」
「うーん…私がここを歩いている時には無かったと思いますけど…、今も言われて気になったくらいですし…」
自分の言葉を不思議がっている彼女を見ると、自分の感じたものが間違いではないのかとすら思えてくる。
「おーい、どうしたの?」
「あ、おはよう。なんかこの建物の見た目が変わってるって…」
「そう?別に変わって無くない?」
おそらく同じ会社の人であろう人物が近づいてくる。
その人もこの建物の見た目が変わってないという。
「ありがとうございました。もう少し調べてみます」
「はい、お気をつけて」
「遅れちゃうよ、いこいこー」
女性たちと別れた後に、その建物の周りを確認してみることにした。
やはりと言うか、その建物はとても古くから建っているみたいで、昔ながらの隣の家と連結に連結を重ねたような建物だった。
どこが入口なのかも定かではなく、気になっていた店舗のような入口のあたりしか建物への入口が無いのかとも考えられる程だ。
その入り口にはシャッターが下りていて、張り紙などがされているわけではなく、錆びれている雰囲気からかなりの年月放置されていることが分かる。
自分の違和感の正体にもなっているシャッター上の看板には『クリーニング』と書かれていた。
「こんなところにクリーニングの看板は無かったよな」
ここへ来た意味がなかったというくらいの情報しか得ることは出来なかった。
これ以上は、ちゃんと調べないと有益な情報を手に入れることが出来ないのは、火を見るよりも明らかだった。
自宅に戻り、その建物に関する情報をさらに詳しく調べる方法を検索してみる。
法務局へ行き、登記簿謄本を確認する方法が出てきた。
「うーん、ここまでして知りたいわけじゃ…」
その考えが自分の頭をよぎった時に、知りたいと思った理由について考えてみることになった。
『気になった』それだけの言葉で済ませるのは簡単だが、自分の記憶力の良さにはそこそこ自信があったからか、その建物へ感じた違和感を確かめたいと思ったからだ。
もしも自分の感覚が正しかったのなら、このネタを何かに使えるのではという邪な気持ちも併せ持っていることから、現場に足を運んだはずだ。
「明日にでも行ってみるかぁ」
──。
翌日、法務局へ出向き手続きを済ませて登記簿謄本を確認してみることにした。
その土地の今の所有者やこれまでの所有者がどういった場所に住んでいたかくらいは分かったが、それを知れたからと言って自分の知りたい情報を得ることは出来なかった。
その建物の持ち主は、この地域の土地に住んですらいない事が分かった。
「ここまで調べたんだし、もう一度建物を調べてみよう」
近くの公園で、寛ぎながらあれこれ考え込んでいるだけだと答えは出ないと、さらに詳しく調べてみることにした。
自分がたったこれだけのことで、ここまでアクティブになれているのには正直驚いていた。 少しの面倒くささを感じつつも、法務局へ来ることを決断してよかったと思う。
法務局からの帰りの足で、もう一度建物を調べることにした。
自分の違和感を感じている建物が、周囲の当たり前になりつつある場所まで向かい、その建物の持ち主が偶然来ていたりしないかと考えながら、探し漏らしがないかを確認してみる。
周囲から見れば当然の様に怪しい人に映ってしまうだろうが、ここへ来るのも二度目ということもあるのか気にならなくなっていた。
そんなことを考えていると後ろから声を掛けられた。
「ここに何か用ですかな?」
「えっ、ああ。少しだけ気になることがあるので、調べさせてもらっていました」
声の持ち主は、優しそうな老婆だった。
周囲のことは気にしてなかったとはいえ、これだけ近くに居る人にも気付かないものかと、少しだけ自分のことを疑った。
せっかくのチャンスでもあるわけだから、この女性から話を聞けないか聞いてみることにする。
「ここはクリーニング屋だったようですが、以前からこの看板がありましたか…?」
「そうだねぇ。私が主人と経営していたころはクリーニング屋だったよ。それからもずっとそのままだからねぇ」
「経営…?ここのお店をやられていたんですか?」
「ああ、そうじゃ。今ではすっかり寂れてしもうて…」
どうやらこの人はこのお店の持ち主らしい。
一気に自分の感じていた違和感の正体へ近づけそうな予感がする。
「そうだったんですね。この看板ですけど、工事されたりしましたか?少し前と印象が違っているような気がして気になったのですが…」
「はっはっは、もうこんなババァに扱うことなんてできませんよ」
どうやら、自分の感じていた違和感を知っているのは、この女性ではないみたいだ。
ここまで来るとそもそも、その『違和感』というのも随分と怪しいものになってくる。 ただただ自分の勘違いで、以前からこの店構えだったのではないかとすら思えてくる。
「そうだねぇ、随分と店先も変わってしまったから、違和感を感じるもの無理もないかもしれんなぁ…」
「えっ、それはどういう…?」
「でもまぁ、アンタくらいの若い人には分からないかの?はっはっは」
少しだけおかしな言い回しだなとも思ったが、以前の経営中と比べてという話らしい。 それはそうだろうと、それ以上聞くこともなかった。
「このお店はいつ頃閉店されたんですか? ここへ越してきた時には既に閉まっているようでしたけど…。 実は法務局にも出向いたりしていて…」
店先の看板を眺めて問いかけてながら、その老婆の方を確認しようとしたが、先ほどまでそこに立っていた老婆は居なくなっていた。
「あれ?どこに…」
周囲を探してみるが見つからない。
足取りから予測しても、今の短時間で行ける範囲には見当たらない。
「どこに行ったんだろう…」
もう少しだけ聞きたいこともあったが、本人が居なくなってしまってはどうしようもない。
「まぁ、収穫もあったし帰るか」
──。
いつもと同じように夕方のスーパーからの帰りながら、その日の出来事を思い出していた。
偶然と言えばそうだったかもしれないが、またあの老婆に会えるような気がしたので、帰り際に少しだけ近づいてみることにした。
「あ、先日はどうも」
「いえいえ、こちらこそ出勤の邪魔をして」
「あれから、私も気になって社長とかに聞いてみたんです」
「この建物のことですか?」
「はい、そうです。以前は夫婦で営んでいるクリーニング屋さんだったらしくて、10年ほど前にご主人が亡くなられてから少しだけ奥様だけで経営されていたみたいですけど、ある日突然閉店したと…」
「なるほど、そういう経緯があったんですね」
「私も聞いた話で…、あまり広めるのは好ましくないのですけれど、あなたに教えてもらったので私も教えます…」
その女性は聞いた話を教えてくれるだけのはずなのに、顔色がどんどん悪くなっていく。
「大丈夫ですか?何か嫌なことだったのなら別に…」
「い、いえ!大丈夫です…。ただ、こういうことは初めて聞いた話で、身近にもあるものなんだなって…」
「そうなんですね」
「実は…、夫婦のご主人が亡くなられてから、しばらく経営していた奥様もその後に亡くなられていて…」
「え…」
この時、自分の背筋に感じたことの無い感覚を覚え、血の気が引いて行くのが分かる。
「そ、それは本当ですか?」
「私も聞いた話なので…。 それも自殺だったそうで、当時は警察や取材が沢山いて結構大変だったみたいです…」
この女性が嘘を言っているようには見えないが、つい先ほど「ここの店主だ」と言っていた老婆を見たのも幻だったとは思えない。
「で、でもっ!ついさっき…!」
「どうかされましたか…?顔色がとても悪いようですけど…」
この事実をどう受け止めようか考えている間、女性はとても困惑して心配そうな表情を浮かべている。
「だ、大丈夫です…」
「すみません。かなりショッキングな話ですからね…。私も、もう少し気を付ければよかったです」
「わざわざありがとうございます」
「では、私はこれで」
呼吸を整え、それらが事実かどうかの確認の前に、自宅の中まで無我夢中で走っていた。
「マジかよ…落ち着け…」
先ほど、ここの店主だと言っていた老婆は何者なんだろう…。
そういえばあの時は、老婆以外は近くに誰もいなかったような気もする。
そうなれば自分は幻覚でも見ていたんだろうか…。
「あの女性の話が本当か裏を取ってみて…。いや、やめよう。これ以上は踏み込まない方がいいような気がする…」
──。
それからしばらくして、あの時調べていたことが嘘のように日常が戻ってきた。
特に何が起こるわけでもなく、あの老婆を見ることも、事件のことを教えてくれた女性とも会うことはなかった。
自分の感じていた違和感が一体何だったのかすらも、今となってはそれが日常だったのではないかとすら思えてくる。
最後までお読みいただきありがとうございます。
自分の身の回りで起きた、少しだけ不思議な話を元に描いてみました。