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覇弓伝  作者: 橋本洋一
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初陣

 太郎の屋敷で厄介になって三日が経った。

 明日、戦に行くと思うと少しだけ緊張する。そんな心持ちの中、早朝に屋敷の軒先で考え事をしていると「何をしている?」と庭を歩いていた孫六が話しかけてきた。


「何もしていない。あんたこそ何をしに来た?」


 孫六は動きやすい稽古着を着ていて、手には稽古用の槍を携えていた。

 立杖させつつ「訓練だ」と短く答えた。どうやら槍を使うらしい。

 俺は火傷の跡を掻きつつ「そうか。精が出るな」と言う。


 ここ三日間、屋敷の人間とは少し会話をしたけど、孫六とはしてこなかった。

 何を話せばいいのか分からないのもあるが、孫六は無駄な口を利かない、無口な人間だった。他の人間と話しているところも見たことがない。


「訓練の邪魔になるなら、別のところへ行くが」

「邪魔にはならない」


 そう言って、孫六は槍を構えて素振りや突きを行なった。

 びゅんびゅんと風を切る音が凄まじい。よほどの怪力か腕前ではないと鳴らないだろう。

 孫六が七人斬ったときもそうだったが、相当の達人だと分かってしまう。


「あんた、刀じゃなくて槍の使い手なのか?」


 訓練の邪魔になるとは思いつつ、訊いてしまったのは好奇心からだ。

 しかし孫六は嫌な顔をせずに「そうだ」と短く答えた。


「刀も扱えないことはないが。槍のほうが性に合っている」


 俺が弓を使うのと一緒か。

 いや、一緒じゃないな。

 俺の場合は、人が死んだときの感触が手に残りづらいからという理由だから。


「お前は鍛えないのか」


 一通りの訓練を終えた後、孫六は息を整えつつ俺に訊ねた。

 それまでの気合を込めた動きと打って変わって、小さな声だったので聞き逃すところだった。


「鍛えようにも鍛え方が分からん。初めから当てることができた」

「天賦の才か。羨ましいな」

「人殺しの才なんて要らないよ」


 自分が汚らしい人殺しだと思うと、おぞましくて仕方がない。

 今まで殺してきた人間の顔が浮かんでくるようだ。

 だけど孫六は「殿のために働けるじゃないか」とあくまで肯定的だった。


「殿って、太郎のことだよな。言っちゃあなんだけど、あの人……」

「頼りない人、だと思うか? あるいは口先だけ斬れる人だと思うか?」

「……否定はしないけど」


 いつもにこにこ笑っていて、真剣に何か取り組んでくるのを見たことがない。

 まあ謹慎中なのだから仕方がないけど、それでもおちゃらけているようにしか見えない。


「あれでも井筒一党で三人しかいない部将だ」


 孫六の言うとおりだ。

 部将というのは武士の身分である。

 大雑把に言えば、足軽組頭、足軽大将、侍大将、部将、家老という順になる。

 太郎が御屋形様と呼ぶ井筒監物は家老格なので、実質的に二番手なのだ。


「武芸に優れているわけじゃないんだろ? 見ればわかるけど」

「ああ。だけど城攻めをさせれば天下一だ」

「ふうん。そういうものか……」


 いまいち腑に落ちない俺に孫六は「もう少し、殿と腹を割って話してみればいい」と進めてきた。


「あの人は案外、お人よしなところがある」

「それは……」


 子供だけの神社に攻め入ることをせず、交渉しに来たことから想像はつくけど、はたして胸襟を開けるほど話し合えるだろうか。

 孫六は「少し喋り過ぎたな」と顔をしかめた。


「戦が終わった後に、話せばいい」


 孫六が去っていく。

 俺はしばらくそのままでいて、それからハッと気づいた。

 孫六なりに俺が馴染めるよう気遣ってくれたのだと。



◆◇◆◇



 鎧を着けると、本当に自分がサムライになった気がする。

 憧れではない、むしろ嫌悪感を覚えてしまう。

 だけど着なければならない。俺の復讐のために。


 太郎の率いる兵は一様に黄色い布やら旗やらを身に着けている。

 太郎たちも黄色い装いをしていて、かくいう俺も黄色い着物を着ていた。

 黄連隊、という小畑家にも許された格好のようだ。


「こんな格好をしていたら、目立つんじゃないか?」


 太郎の弟の小吉に訊ねると「戦場で目立ったほうが手柄を誇示できるからね」と当然のように言った。


「黄色の集団が活躍していたら兄上の部隊だって直ぐに分かる」

「へえ。それも出世のためなのか?」

「つまらない工夫だと思うかい?」


 サムライのことをよく分からない俺は、一笑に付すようだと思ったけど。

 目の前の小吉が大真面目に語るものだったので、何も言えなかった。


「それじゃ、出陣するよ」


 小吉に促されて、俺は馬上の太郎の近くについた。

 傍には小吉と孫六がいる。

 行軍中は何も話さなかった。お喋りな太郎でさえも。

 緊張しているのかなと思いきや、太郎は馬上であくびをしている。

 多分、兵たちの緊張を解かないようにしているんだなと俺は考えた。


 新条家に組する領主、山崎家の当主は俺たちの軍勢に対し、籠城を選んだ。

 向こうは五百、こちらは三百しかいないのに何故だろうと思っていると、太郎が自慢げに「こちらの軍勢は一千だと嘘をついた」と笑っていた。


「兵を多く見積もるのも兵法の一つよ、かっかっか」


 そして作戦通り、城――というより砦を西側から攻めることになった。

 五十の少数だが俺と孫六が参加している。

 俺の先導で鬱蒼とした森を抜け、城の側面に出てこれた。

 火種は既に森へ入る前に用意しておいた。竹筒の中に紐を燃やしておいて、それを振ればすぐに燃える。


「火矢の準備を」


 孫六の指示で火矢を作る。

 頬の火傷の跡が疼く。やはり火は嫌いだ。

 だから――敵に向かって撃ってやる。


「皆、一斉に――放て」


 孫六の号令と共に、俺と兵たちは火矢を放った。

 砦の中から悲鳴が上がる。

 次々と撃ちこむと何かに引火したのか、大きな炎が立ち上った。


 そして正門へ攻めかかる兵たちの声。

 俺は孫六に「この後はどうする?」と問う。


「梯子は用意してある。壁を乗り越えて上から矢を放とう」

「ああ、分かった」


 高所からの射撃は俺の得意なことだった。

 梯子をかけて一気に登り、屋根の上に立つ。

 こちらに気づいた兵が叫ぶが、混乱している砦内で気づく者はいない。

 俺は弓を構えて、喚く兵に向けて矢を放つ――喉を裂いて倒れ込む。


 それから俺は矢が尽きるまで兵を射殺した。

 悲鳴が上がらないようにすべての兵の喉を狙った。

 その様子に味方である兵たちはぞっとしたのか、俺を化け物みたいに見つめる。


 やがて城方が降伏を願い出た。

 俺と孫六が本陣に戻る頃には領主の山崎は首を刎ねられていた。

 太郎は「おお、よう戻ったな、孫六、弓矢」と嬉しそうに言う。


「これで新条家の勢力も損なったと言えよう。おぬしたちの手柄だな」

「俺はあまり何もしていない。ただ射殺しただけだ……」


 そう言って、俺は本陣の中で座り込んだ。

 慣れない鎧と初めての戦で疲れ切っていた。


「そういえば、おぬしは初陣だったな。しばし休め」


 太郎の気遣う声。

 俺は小さく頷いた。


「兄上、捕らえた領主の子と妻はどうする?」

「御屋形様からすでに指示は出ている。楽にしてやれ」


 楽にしてやる?

 それはつまり、殺すということか?


「お、おい。まさか、女子供を――」

「殺さねばいつかわしたちを殺しに来る。おぬしのようにな」


 太郎はあくまでも笑顔を崩さなかった。

 なおも抗議しようとした俺に「これが君の選んだ道だよ」と小吉が制した。


「禍根は根から取らないと。それほど復讐とは恐ろしいんだ」

「…………」

「君だって復讐のために生きているんだ。そして復讐のために殺している。そのくらい、分かっていたと思うけど」


 俺は何か言おうとして、だけど何も言えない自分に気づいた。

 復讐がすべての俺に言えることなんて、何もないのだ。


 即刻、領主の子と妻は首を刎ねられた。

 子供はまだ七才だった。

 その首を俺はじっと眺めた。

 そして神社で殺された子供たちを思い出す。


 だけど俺にできることなんて何もない。

 射殺すだけしか能がない俺には、何もできないのだ。

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