井筒山城
太郎が仕える井筒一党が本拠地にしている、井筒山城と呼ばれるそれは、小高い丘に築城されていた。城の周りには田畑が一面に広がっている。百姓が汗を流しながら伸び伸びと農作業をしていて、かなり治安の良いところなんだなと思った。
太郎は名の知れた武将らしく、すれ違う百姓たちは深々とお辞儀をする。その度に太郎はどこどこ村の何某だなときちんと名で呼ぶ。頭がいいのかそれとも努力しているのは定かではないけど、呼ばれたほうは嬉しいのだろうな。
城の正門に着き中に入ると、サムライが大勢いた。嫌悪感で一杯になるのを必死で抑える。自分もそうなるのだと分かっていても、それだけは捨てられないみたいだ。
太郎と小吉、孫六の後ろに続いて城の評定の間に通された。
しばらく待つと城主である井筒監物直実が入ってくる。
この人が御屋形様かと俺はぼんやり思う。
「佐野太郎。貴様、手柄を取り損ねたそうだな」
俺たちが平伏する中、御屋形様はまるで巷の悪ガキのような口調で言う。
しかし嫌味ではなくどこか面白がっている様子だった。
太郎は「申し訳ございませぬ」と謝罪した。
「何を言っても、言い訳に過ぎません。処罰は何なりとお申し付けくださいませ」
「ふん。小賢しい。聞いたところによれば、あの神社には子供しかおらんかったようだな?」
「ええ、おっしゃるとおりです」
「なれば根切りでもすれば良かったではないか」
根切りは皆殺しのことである。
俺は思わず顔を上げた。
すかさず小吉が「無礼だぞ」と注意する。
「うん? 貴様、初顔だな。太郎、どういうことだ?」
「ははっ。実はこの者、弓矢と申しまして、件の神社の生き残りでございます」
「……なるほどな。だから俺の発言に怒ったわけだ」
改めて御屋形様と呼ばれる監物の顔を見る。
口にはちょび髭を生やしている。歳は三十くらいで、太郎より五つか六つ、年上だろう。口調が悪ガキのようで、一城の主とは思えない。痩せているが弱々しくはない。
「しかし、新条家の者共が根切りをしたのだろう。恨むのは俺ではない」
「…………」
「ふふふ。それでも納得はいかんという顔だな。まあいい。太郎よ、処罰として三日の謹慎を申し渡す。十分反省するように。それとそこの小僧が仕えるのも許可してやる」
「お慈悲感謝いたします」
御屋形様は太郎の返答に満足したらしく「新条家の攻略はしばし待て」と言って奥の間に去っていった。
太郎はふうっと溜息をついて「冷や冷やしたわい」とこぼした。
「おぬし、どうやら御屋形様に気に入られたらしいな」
太郎がからかうように言ったのを、俺は本気で捉えなかった。
だから何か返そうとしたとき「おっと。大事なことを忘れていた」と御屋形様が戻ってきた。慌てて姿勢を正す俺たち。
「新条家に組する領主を攻めるのをお前がやれ、太郎」
「かしこまりました。三日後ですね」
「いや、兵の準備にちと時間がかかる。四日後だ」
それから御屋形様は「そこの小僧」と俺を指さす。
「貴様は何ができるんだ? ああ、直答を許す」
「……俺にできることは弓しかない、です」
御屋形様は腕組みをして「なら見させてもらおう」と言う。
「たまには余興も良いだろう。生憎、孫四郎の奴がいないから勝負はさせられぬが。おい! 的を用意せよ!」
御屋形様の気まぐれで、俺は弓の実力を見せられることになったらしい。
面倒だなと素直に思う。
しばらくして的の準備が整った。
白黒の円が交互に書かれていて、中心が黒い。
俺の後ろの上座に御屋形様が座り、太郎たちはその傍で見ていた。
「それでは見せてくれ」
「あの的の中心を狙えばいいのか……」
距離は三十間ほどで大した距離ではない。
いつも通り、俺は矢を継いで弓を弾くだけだ。
一点に集中して――撃つ。
「おお、見事!」
御屋形様の声がする。
当然だ、ど真ん中に命中したのだから。
続けて二の矢、三の矢と撃つ。
しかし歓声は上がらない。
外したわけではない。むしろ逆だからだ。
「……これほどまでとは」
太郎の困惑の声が聞こえる。
俺は四本目の矢を放った。
風を切りながら、矢は真っすぐに放たれて――中心に当たる。
そう。俺が放った矢は全て中心に当たっている。
先に当たった矢を切り裂いて、当たっている――
「よ、四本継ぎ矢……!」
御屋形様が呆気にとられる声がした。
五本目を撃って、それも矢を引き裂きながら中心に当たるのを確認して、俺は御屋形様に向かい合った。
「いかが……でしょうか、御屋形様」
御屋形様は俺の問いに答えず、太郎に対して「この者は何者だ?」と問う。
太郎は「神社を守り続けた少年です」と答えた。
「だからわしたちは、交渉するしかなかったのです」
「左様か……」
御屋形様は再び俺を見た。
そして身震いしてから何も言わずに黙って去ってしまった。
俺は太郎に「やりすぎてしまったな」と言う。
「おぬしなあ。もう少し腕を落とせとまでは言わんが、やりすぎだぞ。御屋形様は案外、その、そういうところがあるのだから」
臆病なところがあるのか。
俺は井筒一党の先行きに不安を感じた。
◆◇◆◇
城の中にある太郎の屋敷に住むことになった。
小吉と孫六も住んでいるようだ。
遠慮せずにくつろげと太郎は豪快に笑った。
「ただいま戻ったぞ」
「お帰りなさい……あれ? また増えるんですか。それならそうとおっしゃってくださいよ」
玄関で出迎えたのは太郎の妻である小梅だった。
彼女は二十歳を少し超えたくらいで、背には赤ん坊がいた。
赤ん坊は小太郎というらしい。
「ご飯の準備をもう一膳、増やさないといけませんね」
「すまぬな小梅」
夫婦の会話を聞いていると、両親のことを思い出す。
だけど太郎と違って俺の父のほうの立場が上だった気がする。
時刻は夕暮れになっていた。
小梅と侍女たちがせわしなく調理をしている。
「俺も手伝ったほうがいいか?」
「なんだ。おぬし料理ができるのか? ……まあ子供だけで暮らしていたのだ。できて当然か」
その推測は当たっていて、子供たちの面倒を見るために静香に教えてもらったのだ。
しかし太郎に「それよりおぬしに手伝ってもらいたいことがある」と言われてしまった。
小吉と孫六、そして俺が座ると「新条家に組する領主をどうやって攻めるか。これより軍議を始めよう」と太郎が地図を広げて言う。
「領主の軍勢は五百。わしたちに与えられたのは三百。籠城でも野戦でも不利な状況だ」
「まあ今の情勢を考えると、三百しか与えられないのは当然か」
小吉の言葉に太郎は頷いた。
すると孫六が「裏門から攻め入るのはどうだ」と意見を言った。
「裏道なら少ない軍勢でも登れる」
地図を指さしながら言うと「敵も相当警戒しているはずだ」と太郎は残念そうに却下した。
地図をよく見ると、側面の東西を山に囲まれていて、正面と裏門にだけ道ができている。
「正面から攻めても数の差で勝てるとは思えない。さて、どうする?」
「……側面から攻めるのはどうだ?」
俺の言葉に「側面は崖だが、登れるのか?」と小吉が問う。
「ここには何度か、敵兵からぶんどった物を売りに来たことがある。側面、特に西側は鬱蒼とした林があるけど、登れないことはない」
「なるほど。では側面から火矢を放ち、城内が混乱したのを見て正面と裏門を攻める作戦としよう」
どうやら四日後の戦の話し合いは済んだようだ。
その後、小梅さんが作った料理を食べて、久しぶりに風呂に入った。
そして暖かな布団に潜り込む。
だけど警戒心はあるようで、なかなか寝付けなかった。
安心して眠れるのはいつぐらいになるんだろうか。