サムライになる
所詮、徴兵された人間なので、命がけで戦おうだなんて思っていない。
だから孫六が七人ほど斬り殺したら、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。
俺はそれを呆然と見つめていた。孫六の強さに驚いたわけではない。
ここで死ねなかった。
また生き残ってしまった。
そんな思いが俺の心を貫く――
「……大丈夫か?」
血ぶるいして刀を納めた孫六が俺に近づく。
強面だが目だけは優しげで、それがちぐはぐに見える。
いや、そんなことはどうでもいい。
「なんで、俺を助けたんだ?」
「……子供は見捨てられない。先ほどそう言ったはずだ」
「だったら――」
自分でも分かっていた。
これは八つ当たりだって。
自分にできなかったことを相手に押し付けているだけだって。
「だったらなんで! こいつらを助けてくれなかったんだ!」
死んでしまった子供たちを指さす。
もう何も言わない。そして動いたりしない。
そして二度と生きてくれない。
「この神社は五百の兵に囲まれていた。逃げそうと思っても不可能だ。何より俺が死んでしまう」
「なんだよ、死ぬのが怖いのか」
「ああ。殿のために死ねないのは怖い」
サムライのような言葉に俺は何も言えなくなった。
続いての孫六の言葉を聞いて、ますます何も言えなくなる。
「お前は、死ぬのが怖くないのか?」
茜との会話を思い出す一言。
身体中が恐怖と屈辱で震える。
「……ああ、怖いさ。だけどよ、みんなを守れなくて、生き残ってしまった……そっちのほうが怖い」
俺は涙を流していた。
火傷の跡をなぞるように、雫が垂れていく。
「こんな光景を見たくなかった。大事な人間が死ぬのも嫌だ。みんなは、俺を……」
「ならばこの場から去ろうではないか」
後ろの声に振り返ると、佐野太郎と小吉が立っていた。
太郎は「こりゃひどいな」と焼けた木片を拾っている。
小吉は「兄者、あまり余計なことを言わないほうがいい」と冷静に言う。
「小吉、わしは余計なことなど言わん。孫六、その子を連れてここから去るぞ。新条家の本軍がやってくる」
「承知」
「おぬしも来い。まずは命あっての物種だ」
太郎の言っていることは正しい。
新条家とかいうサムライの本軍がやってきたら、矢がいくらあっても大将には届かない。
玉砕覚悟で迎え撃っても兵を数人殺せるだけだ。
「…………」
「沈黙は同意と見なすぞ。さあ来い。わしについてくるのだ」
俺は――頷いた。
もはや頼れる者なんてなくて、目の前の小柄な男について行くしか道がない。
それがとてつもなく心寂しくて、不安なことだと俺は感じていた。
◆◇◆◇
俺らは神社からかなり離れた川原で休むことにした。
孫六が火を起こして、それをぐるりと囲むように座った。
俺の右に孫六、左に小吉、そして正面に太郎だ。
「さてと。一息ついたところでおぬしに訊きたいことがある」
「……なんだよ?」
「わしに仕える気があるかどうかだ」
唐突に訳の分からないことを言う太郎に、俺は「よく分からねえんだけど」と返した。
太郎は気分を害さずに「仕えれば三食は食える」と自慢げに言った。
「わしが仕える井筒一党は大大名、小畑家の主流派だ。いずれ天下を取った後、重職に就けるであろう。その家臣であればおぬしにも芽が出る」
「つまり、俺にサムライになれって言うのか。俺から全てを奪った、サムライに」
「奪われたのなら奪い返せばいい。そう考えるのは単純かな?」
単純な考えは嫌いじゃない。
だけど、俺はサムライが嫌いだ。
家に火を放って両親を殺し、今また子供たちを死に追いやったサムライが――
「よく考えてみよ。このまま一人きりで生きていけるのか? ええっと、名前は……」
「弓矢だ。そう言えば名乗っていなかった」
「そうか。それで弓矢は文字通り、弓手の才がある。それを活かすにはサムライしかない。それ以外に猟師をすることもできるが、何もないおぬしが一からやるとなると難しい」
太郎の言っていることはもっともだ。
俺には弓の才しかない。
できることと言ったら、射殺すだけだ。
「そもそも一人きりで生きていけないのだから、あの神社にいたのだろう?」
「……そうだけど、サムライには」
「なりたくないか。頑なだな。嫌悪感があるのだから当然だが」
太郎はふうっと溜息をついて、小吉と孫六を見た。
小吉は首を横に振って、孫六は黙ったままだ。
それから沈黙が続いた。うんざりするほどに。
「わしは少し、卑怯なことを言う」
いきなりの宣言に俺は何を言い出すのかと耳をそば立ててしまう。
そして――
「子供たちの仇を討つのであれば、サムライになったほうが早いぞ」
その考えはしなかった――というのは嘘だ。
というより、太郎に誘われたときに考えてしまったのは否めない。
もしサムライになれば、神社を攻めた新条家とやらの武将が分かるだろう。
敵同士なのだから殺せるときも来るはずだ。
「おぬしのような子供を復讐に走らせるのは心苦しい。だがな、おぬしのことを思えば――そのほうがいいと思ってしまった」
今の俺には生きる目的がない。
もちろん、死ぬ理由もないけれど。
多分、どっちつかずのあやふやな状況なのだろう。
まるで自分のことのようではない考え方だが、そうでもしないと心が壊れそうだった。
人を射殺すときと同じように、少しずつ壊れていきそうだった。
だからこそ、太郎の言うとおり、生きる目的が必要だ。
「おぬしは子供たちの仇を討ちたくないのか。それだけの力があるにもかかわらず、見て見ぬふりをするのか」
太郎の言葉が矢のように突き刺さる。
「今一度、子供たちの死を思い返してみよ。親しかった子供たちの死にざまを」
思い出すのは治平太、権兵衛、茜。
そして静香の死――
「さあ、どうする。サムライになるのか、それとも別の道を歩むのか」
サムライとして生きるのか。
それとも全てを投げうってしまうのか。
二つしかない選択に、俺は――
「……心を動かされてやるよ」
そうは言っても、選んだのは俺自身だ。
太郎でもなく、俺がはっきりと道を決めた。
誰のせいにもできない、修羅の道――
「俺はサムライになる。そして俺の居場所を奪った奴に復讐してやる」
「そうか。ならば道を示してやる」
太郎は俺の選択を笑ったりしなかった。
かといって喜んだりしなかった。
強いて言えば虚しさを感じているようだった。
「兄者。つまり弓矢の面倒を見るというわけか」
「小吉。何か反論でもあるのか?」
「いや。結局、私が面倒を見ることになるんだろうな、と思っただけだ」
苦笑する小吉は俺に向かって「よろしくな」と言う。
俺は何となく頭を下げた。
「小吉、孫六。しばらくはお前たちで鍛えてやってくれ」
「兄者はどうするんだ?」
「神社を取れなかっただことの言い訳を考えねばならん。御屋形様にな」
気がつくと、朝日が差してきた。
山間から徐々に上ってくる日輪。
少しの眩しさに目がくらんでしまう。
俺は子供たちとの生活を思い返した。
治平太とはよく川で釣りをした。
権兵衛とは一緒に山菜や薬草を採りに行った。
茜はいつも俺のことを心配してくれた。
そして静香は俺に居場所を作ってくれた。
他の子供たちも同様だった。
傍に居てくれたかけがえのない存在だ。
子供たちの仇を取るだけじゃない。
子供たちへの恩義のために、俺は復讐する。
そのことを朝日に誓う。
「それでは、行くぞ。弓矢」
太郎が俺を促した。
本拠地の井筒城へ向かうらしい。
俺は小吉や孫六とともに、太郎の後ろに着いた。
さようなら、子供たち。
そしてありがとう。
俺は、復讐を果たすために、サムライになる。
それは生きるためでもあるんだ。