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覇弓伝  作者: 橋本洋一
2/5

希望と絶望

「静香の病気が治るかもしれない? 本当か、権兵衛」

「うん。今度の市に薬師が来るって。とてもよく効くらしいよ」


 権兵衛が明るい声で言う。最近は暗い話しか聞いていなかったので、この知らせは目の前のもやを晴らすようなものだった。

 俺は「今度の市は明日だったな」と権兵衛に確認する。


「うん。買いに行くんだろう?」

「もちろんだ。静香の病気が治れば、皆の負担も無くなる」

「でも、弓矢兄ちゃんが買いに行くのは不安だね。サムライが攻めてくるかもしれない」


 それはそうだ。昨日あの小柄なサムライが来たばかりで警戒している最中だ。

 しかし子供たちに任せられることでもない。

 本来なら年長である権兵衛に行ってもらいたいが、静香の病気が悪化したとき、面倒を見られるのはこいつしかいなかった。


「急いで行って、すぐに帰ってくる」

「……それしかないか」


 権兵衛は少し不安そうだったが、俺は安心させるように肩に手を置いた。


「大丈夫だ。俺に任せておけ」


 権兵衛はにこりと微笑んで「任せたよ、弓矢兄ちゃん」と託してくれた。

 境内を歩いて本殿へ向かうと、治平太が子供たちと一緒に石投げの訓練をしていた。

 石を投げるくらいは子供でもできる。敵を怯ませることも可能だ。


「あ、兄ちゃん。静香姉ちゃんのとこに行くの?」

「ああ。治平太、あまり頑張り過ぎて投げられなくなるなよ?」

「そんな馬鹿じゃあないよ!」


 周りの子供たちが笑う中、治平太は口を尖らせる。

 俺は後で遊んでやると約束して本殿へ向かう。

 本殿の入り口で茜が子供たちとお手玉をしていた。

 俺は茜が見事に四個のお手玉を操っているのを見て「器用だな」と言う。


「弓矢お兄さま。静香お姉さま寝ているけど」

「そうか。ならいいや」


 市に行くことは別に言わなくていいか。

 俺は茜に「邪魔したな」と言って去ろうとする。

 その前に茜が「ねえお兄さま」と呼び止めた。


「少し、お話ししない?」

「珍しいな。みんなでか? それとも二人だけで?」

「二人だけで。みんな、ごめんね」


 子供たちは大事な話をすると思って、誰も文句を言わずに三々五々と別のところへ行った。

 俺はどんな話をするんだろうと茜が切り出すのを待った。


「前々から聞きたかったの。でも嫌だったら答えなくていいよ」

「なんだよ改まって」

「弓矢お兄さまは――」


 境内にそびえたつ大きな神木が、大きく揺れて葉が降ってくる。

 その葉を手に取った茜は、意を決したように言う。


「――人を殺しても何も感じないの?」


 いつか誰かに聞かれると、分かっていた問いだった。

 俺はしばし沈黙して「みんなには内緒だぜ」と茜に優しく言う。


「とても怖いよ。人を殺すって」

「……なのに、どうして殺すの?」

「みんなを守るため……いや、それは誤魔化しだな」


 茜は黙って俺の次の言葉を待つ。

 俺は深く呼吸をしてから「殺さないと俺が死ぬから」と答えた。


「死ぬのは怖い。人を殺す以上に。だから俺を守るために俺は人を殺す」

「お兄さまは……」


 茜は何かを言おうとして言葉を止めた。

 何も言えないことに気づいたのか、それとも俺のことを怖いと思ってしまったのか。

 それは判然としない。


「怖くても、俺は人を殺し続けるよ」

「どうして? 自分を守るため?」

「それに加えて、ここにいるみんなを守るためだ」


 茜のまん丸な目を見ながら、汚い俺は綺麗事を言う。


「俺が手を汚す代わりに、みんなが笑って過ごせるなら、とことん汚れてやる」

「…………」

「怖くて仕方がないけどな。あはは」

「……お兄さま、ありがとう」


 どこか吹っ切れた思いがあるのか、茜は俺にありがとうと言った。


「私、お兄さまの本音を聞けて良かった」

「そうか。なら良かったよ」



◆◇◆◇



 次の日。市へ向かうと評判の薬師の元へ向かう。

 薬師は気のいい俺よりも年上のお兄さんだった。

 薬が欲しいと言うと、静香の症状をよく聞いてくれて、それから薬を売ってくれた。


「あの、随分と安い気がするんだけど」


 俺が薬師の兄さんに確認すると「別にいいよ」と快活に笑った。


「医術は仁術ってね。人助けはしていて損はないから」

「……ありがとう」


 市から急いで神社へと向かう。

 あまり離れるのは心配だったからだ。

 急ぎ足で急ぐと、道の途中で休んでいるサムライがいた。

 近づくと前に来た小柄なサムライとその家来たちだ。


「うん? おぬしか。変なところで会うな」

「あんたは……」

「ああ。名乗っていなかったな。佐野太郎(さのたろう)時宗(ときむね)という。こちらは弟の小吉、そして家臣の孫六だ」


 痩せているほうが小吉で、大柄のほうは孫六か。

 俺は「どうしてここに?」と訊ねた。


「御屋形様に交渉しに行けと再度命令されてな」

「何度来ても無駄だ」

「わしもそう思う……うん? 孫六、どうした?」


 孫六が何か言いたそうなのを敏感に察知した太郎。

 すると孫六は「戦の臭いがする」と短く答えた。


「木々が焼かれる臭いがする」


 まさかなと思いながら、俺は嫌な予感がした。

 俺は太郎に挨拶も無しに急いで神社へ向かった。


 だけど、遠目からでも、分かってしまった。


 煌々と燃える神社。

 鳥居も燃えていて、真っ赤に彩られている。

 周りには百を超える兵がいて、ぐるりと神社を囲っている。


「嘘だろ、おい……」


 俺は信じられない思いで近づこうとする――首根っこを掴まれた。

 振り向くとそこには孫六がいた。

 険しい顔で俺の身体を押さえつけている。


「おい放せよ! みんなが――」

「もう間に合わない。全員死んだ」

「ふざけんなよ! まだ間に合う――」


 首の後ろを思いっきり叩かれる。

 酷い痛み、そして意識が暗転して。

 深いところへと俺は吸い込まれていった――



◆◇◆◇



 夜。気がつくと、全てが終わっていた。

 近くの川原で寝かされていた俺は走って神社へ向かった。


 鳥居は焼け落ちていた。

 境内も荒らされていた。

 子供たちも全員死んでいた。


「お、おい……みんな、どこにいるんだ……」


 まるで幽鬼のように神社を徘徊する俺。

 子供たちが焼けていたり、斬られていたり、射殺されていた。

 その中に、治平太がいた。手の中に石を握りしめていた。


「治平太……」


 権兵衛は斬り刻まれて死んでいた。最後まで戦っていたのだろう。


「権兵衛……」


 本殿へ歩いていくと、茜の死体を見つけた。

 うつ伏せだったのを起き上がらせると、痛みに苦しんだ顔をしていた。


「茜……」


 そうだ、静香は、どこだ?

 ゆらゆらと本殿へ向かう。

 人の話し声。

 そこには兵が五人、焚火をしながら飯を食っていた。

 その近くには、焼け落ちた本殿があった――


「あん? 見ろよ、生き残りがいるぜ」

「いっちょまえに弓なんて持ってやがる」


 下卑た笑い声。

 耐えきれない。

 もうすべてが耐えきれない――


「ちょっと待て。そういや、ここに凄腕の弓手が――」


 一人の兵がそう言った瞬間。

 俺はそいつ目がけて矢を放った。

 眉間に突き刺さり、血が噴き出るその様を、俺は――


「この野郎! やっちまえ!」


 兵が四人襲い掛かる。

 俺は刀を避けながら、矢を継いで放つ。

 普通ならそんなことできない。


 だけど、全てをまた失った俺は。

 そいつらを殺すためならなんでもできる――


「ば、化け物――」


 残り一人となった兵。

 騒ぎを聞きつけた兵が奥からやってくる。

 安堵の表情を浮かべたその顔に、俺は矢を放った。

 びしゃっと血が噴き出る。


 奥から出てきた兵士は二十人。

 何やら言っているが気にしない。

 どうせ俺はここで死ぬ。

 なら好きなだけ、暴れてやる――


「自棄になるんじゃない」


 そう言って俺に迫ってきた兵を一刀両断する男――孫六。

 なんであんたが。

 そう答える前に、孫六のほうから言う。


「ほっといたら死ぬ子供を見捨てるなんて、できやしない」

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