バレンタインの真実
ギリギリですが、バレンタインをテーマに書いてみました。
喜んでもらえると嬉しいです。
2月14日。
バレンタインデー当日。
俺はまた去年通りの普通の1日だった。
彼女いない歴が実年齢の俺にとって、普通の1日で会ってくれと願っているということだ。
中学高校の時はこれでも「もしかしたら」という思いは持っていたが、いい加減20を越えればそんな都合のいいことが起きるはずがないことをわきまえている。
それはいい。
いや、よくないんだが、もう諦めた。
それよりも、俺と同じ立場のあいつら、陰キャ童貞4人組のほか3人にもし抜け駆けされるようなことがあれば、それこそ魔の日となってしまう。
それは阻止しなければ…。
などという他愛もないことを考えていると、何事もなく4限が終わり、今日の講義がつつがなく終わった。
そう、いいことも悪いこともなく。
今日は実習の予定はないから、このまま帰るか、4人で「今日もいつも通りの日」を祝って駅近くの居酒屋に飲みに行くかと言ったところだったのだが…。
「三枝君、ちょっといい?」
この学年1と呼び名の高い美しい女性、河合愛美が俺たちの所に近寄ってきた。
いや、訂正しよう。
この明智薬科大学でトップの美人、その美しい黒髪も、切れ長の目も、スーッと通った鼻梁も、ふっくらと柔らかそうな唇も、その口元にひっそりと佇むホクロも、唇に負けない柔らかそうで穴の開いてない耳たぶも、小さな卵型の顔の輪郭も、細く白い頸筋も、ニットのセーターを押し上げる胸のふくらみも、はいウエストに絞められたくびれも、白いジーンズに包まれた細く長い脚も、見る者を捉えて離さない。
入学式で見てから、ついつい目で追ってしまう。
だが、実際に我々4人が河合愛美と親しく話すような間柄ではない。
この大学に入学してもう3年近くになるが、実習のレポートと、もすぐ始まる後期定例テストの過去問の入手以外で話したことはない。
加えて言えば、陰で俺たちが女子比率の多いこの薬科大学という恵まれた状況ですら「陰キャ童貞4人組」などと呼ばれていることも知っている。
そうだよ!
陰で呼ばれてるはずなのに、本人たちが知ってるこの状況はホントに悲しすぎる。
泣いちゃうぞ。
というような俺らに、この世界は自分のためにあると本気で思ってそうな美人が声を掛けてくるからには、絶対裏がある。
裏がないはずがない!
「ねえ、三枝君、借りていい?」
ああ、そんなかわいい調子で言われたら、俺らが拒否できるはずないじゃないか。
うん、ちょっと待て。
河合愛美は俺達「陰キャ童貞4人組」に声を掛けているよな?
字見、大串、三枝、平岩。
これが4人の名字。
この中で三枝はっと、あれ、俺しかいない、よね?
「えっ、俺?」
俺はつい素っ頓狂な声を出してしまった。
間違いなく、河合愛美のその切れ長の目は俺を見てる。
ターゲット・ロックオン。
「そうだよ。この中で三枝君は君だけでしょう?」
非常に魅力的にほほ笑まれた。
瞬間、3人の目から間違いなく人を殺せるほどの圧を持った視線が俺に突き刺さった。
「ここじゃ、恥ずかしいから、ちょっと付き合ってくるとお嬉しいな。」
少しはにかむように、小首をかしげるように俺を見つめてきた。
こんな視線を向けられて抗うことができるだろうか、いやできない。
その言葉は突き刺さった3人の視線をいともたやすく抜き去り、俺はふらふらと立ち上がった。
「みんな、悪い!そういうことで!」
俺は他の3人のジェラシーのこもった瞳に軽く手を振って、圧倒的な存在を持つ彼女の方に近づく。
河合愛美はそれを確かめ、他の3人に「ごめんね」と微笑を残して、俺の前を進み、講義室を後にした。
俺はまるで夢遊病者のようにその後をついていく。
つい白のジーパンを押し上げているヒップに目が奪われてしまう。
校舎と武道場を繋ぐ渡り廊下の影。滅多に人の来ない場所。
そこまで一度も俺の方を振り返ることなく歩く美人。
そこまで来ると綺麗にターンして俺にそのきれいな目を……、いや、かなり剣呑な瞳が俺を見ている。
今日は2月14日。
人が言うところのバレンタインデー。
女性が意中の人にチョコレートと共に想いを伝える日。
らしい。
俺の目の前には、この学校一と誉れの高い美人女子学生、河合愛美。
このシチュエーションなら、もしかしたら、と一般男子学生なら、思うはず、なのだが……。
その美女は明らかに冷たい目で、腕を胸の前で腕組みをし、仁王立ち。
この雰囲気は先程までの、俺の甘い期待を揺らがす。
「わざわざ、こんな人気のないところまで来てあげたのよ。私に言うことはないの?」
この低く冷たい言葉が、甘い期待を揺るがすどころか、完璧に粉々に砕いた。
愛の告白どころではない。
河合愛美が俺に何か言うことはないかと聞いてきている。
冷たい、いや、蔑むような態度で。
「い、いや、おれ、河合さんと喋る、ことすら、ないし……。」
美人の怒りの圧の凄さに、正直、ビビっていた。
いや、少しちびってさえ、いた。
だが、その怒りの意味が分からない。
今まで、見つめたことはあったかもしれない。
実習のレポートの話の時に浮かれてはしゃぎ過ぎたことがあるかもしれない。
だが、実習のレポートの期限は年明け、冬休みが開けてすぐだ。
それ以降、河合愛美と接触した記憶はない。
「しらばっくれる気ね。そちらがその気ならいいわ。あなた、今朝8:45分の電車に乗っていたわよね。」
「ああ、乗ってたよ。それに乗ってないと1限に間に合わないし……。」
さらに怒りが込み上げているようだ。
「そんなことは聞いてない!あなた、いや、お前が私のお尻を触っただろうって言ってんの!」
憎しみを込めた顔と声が、俺の耳と目を襲った。
俺が、河合真美の、女性の、お尻を、触った?
何を言われてんだ、俺は…。
「解ってんのよ!本当にいけ好かないやつね!人がいないところなら謝るかと思えば、何!その態度!ホント、信じられない!」
俺が痴漢をした?
河合愛美の言葉がぐるぐる回る。
言葉は解るが、意味が頭に入らない。
「今だって、いやらしい目で私のお尻、見てたでしょう?視線は感じてたんだから!」
そりゃ、前を歩いてるんだから、目に入るよお。
「待って、待って、ください。」
おれは凄まじい怒りと憎しみのプレッシャーに、思わず丁寧な言葉を使ってしまった。
「俺は、ぼくは、そんな、そんなこと、してない、ません……。」
言葉がぐちゃぐちゃになった。
うまく言葉が出てこない。
だが、これだけはわかった。
冤罪。
これは冤罪だ!
「ホントっ!信じられないんですけど!人が何も言えないと思って、恥ずかしさに耐えているのに、あんなにいやらしい指を使って……。絶対許さない!」
「ち、違うよ!俺、ぼく、そんなこと、してない……。」
「嘘おっしゃい!そんな古臭いバーバーリーのコートを着てる人なんて、あんたしかいないでしょう!」
古臭い、コート。
確かに俺のコートは古い。
所々、ほつれたりすり切れたところをお袋が修繕したものだ。
古いのも当然。
このコートはお袋が結婚前の親父に送ったものだ。
もう20年以上の代物なのだ。
さすがに古く、傷んだこのコートは両親が捨てようとしていた。
それを捨てるのであればもったいないので、譲り受けたのだ。
学生にはブランド品でも、これくらい傷んだものがちょうどいい。
薬学部はやはり裕福な人が多い。
それでも、これくらいのものが自分にはちょうどいいと思っていた。
そう両親に言ったとき、親父もお袋も喜んでくれた。
本当は自分たちの記念のものを息子が使ってくれることが、嬉しかったに違いない。
そう思うと、自分だけでなく、両親をも馬鹿にされたようで、悔しくて、泣きそうになった。
「何よ!今にも泣きそうな顔をして。泣きたいのはこっちよ。謝れば許してやろうと思ったけど。本当に頭に来たわ。」
「違う、俺は、やって、ない……。」
何とか人違いであることを言おうとするが、自分の心に両親の喜んでいる顔が浮かび、悔しさで、言葉が出ない。
何かを言おうとすると、涙が零れそうだ。
「ふん!謝る気はないという事ね。人知れず、ことを大きくしないようにと思ったけど、もう遅いわ。泣いたからって、もう駄目よ。せいぜい楽しみにしてなさい。」
河合愛美はそう言い残して、俺の前を横切り、校舎に向かって歩いていく。
俺は何かを言うべきなのだが、ただ、涙をこらえるのが精一杯だった。
河合愛美が歩いていく先に小柄の人影が現れた。
彼女は軽くその人影の肩を叩いたような気がした。
入れ替わるようにその人影が俺に近寄ってきた。
同級生で同じ実習班の坂井優衣だった。
背が低く、子ネズミのような女の子だ。
子犬とか子猫でなく、子ネズミ。
それは前歯が特徴的だから。
決して不細工なわけではないが、今すれ違った河合愛美と比べると、どうしても見劣りがする。
愛嬌のある顔だが、この学校の女子が比較的おしゃれに気を遣う子が多いだけに、野暮ったい服装や化粧気のない雰囲気が災いし、他の女子より低く見られがちだ。
だが、元気がよく、よく気の付く性格は、実習班ではなくてはならない存在だった。
そんな坂井優衣が小さな紙包みを持って、俺に近づいてきた。
「三枝君、何かあったの?さっきの河合さんだよね。」
うなだれるように沿て立ち尽くしている俺に、坂井優衣は優しく声を掛けてきた。
「ねえ、こんなところで立ってないで、そこのベンチに座ろう、ね。」
俺は坂井優衣の言われるがままに、近くのベンチに腰かけた。横に彼女も座る。
「ねえ、どうしたの?河合さんと、何があったの?」
「オレ、河合さんに触ってないのに、痴漢なんかしてないのに……。」
俺はついさっき河合愛美に言われた痴漢の冤罪について話した。
さらに、今着ているコートのことを、両親の想いを、話し始めたとき、ついに涙腺が崩壊し、涙があふれ出てきた。
そのまま何とか涙を抑えようと、手で顔を覆ったとき不意に、背中に感触があった。
坂井優衣が、その小さな手で俺の背中をさすっていると気付くのに、少し時間がかかった。
「私は信じてるよ、三枝君。君がそんなことをしない人だって。」
その言葉に、俺は坂井優衣の胸に縋りつくようにして、泣き出してしまった。
7年の月日が過ぎた。
今日は優衣との結婚式。
あれからほどなくして、俺は優衣と付き合い始めた。
あの時持っていた紙袋はバレンタインのチョコレートだった。
大学を卒業後、優衣は病院薬剤師になり、俺はそのまま大学院に進んだ。
まだ大学院の修了式は終えていないが、博士論文は無事受領され、製薬会社の研究にも就職は決まっている。
俺は現役で大学に入学しているが、優衣は一浪で3月生まれ。
この3月初旬が春で、俺と優衣が同年齢というタイミングだった。
その後、河合愛美は一切何もしては来なかった。
だが、俺は極力、彼女とは関わらないように過ごしていた。
優衣がいてくれたので、そういう意味でも助かった。
あの後、河合愛美に呼び出された後の「陰キャ童貞4人組」の他3人から事情聴収は苛烈であった。
河合愛美とは、ああいうことがあったからさして、口には出さなかったが、優衣と付き合うことになったという報告の方が衝撃的だったようだ。
そんな3人も平岩以外は彼女もでき、幸せそうで、平岩も俺たちの結婚式の後の2次会を楽しみにしていた。
ただ、二人の披露宴の招待者の中に、微妙な名前があったのだが、優衣には結局聞けないまま、この日を迎えた。
3月にしては暖かな日が差す日曜日。
キリスト教式の結婚式の前、待合室に背の高い黒髪の女性が颯爽と現れ、優衣に近づいてきた。
「おめでとうございます、優衣先輩。」
「ありがとう、愛美。来てくれて嬉しいよ。」
そこでニッコリとほほ笑むのは、間違いない!
河合愛美だった。
俺の顔がかなりおかしかったのだろう、優衣も河合愛美も腹を抱えて笑っていた。
「種明かしは、式の後ね。ね、優衣先輩。」
結婚式の俺は出来の悪いロボットだった。
言われたことをぎこちなくこなすロボット。
なぜ、どうして、何が起こった?
そんな言葉が、俺の頭の中を回っていた。
式が終わり、待合室で仲間3人が驚愕の顔で河合愛美を見つめていた。
今、その河合愛美が、俺と優衣のもとに来た。
「ごめんね、三枝君。あの時はあんな酷いことを言って。」
いの一番に謝られた。
「優衣先輩から、なんとかして三枝君と付き合いたいって相談されてね。」
なんでも優衣は河合愛美と同じ高校の先輩後輩だったようだ。
かなり親しい間柄であったが、もともとは国立大学志望だった優衣が希望大学に受かることが出来なかったため、同じ大学に入学することになった。
だが、入学式の時に初めてそのことが分かったのだが、河合愛美のいたグループが、どちらかと言えば田舎臭いと自分で思っていた優衣にとっては、敷居が高すぎた。
だったので、大学以外でよく遊んでいたらしい。
これは後で知ったことだが、就職先は同じ病院なのだそうだ。
つまり、冤罪なのは承知、というかそもそも痴漢には遭っていないのに、俺を犯人扱いして、落ち込んだところを優衣が慰める、という古典的な方法が取られたのだ。
ただ、泣き崩れるほどとは思わなかったらしい。
さすがにやりすぎたと思ったのだが、後日謝りたいと優衣に言ったら、「近づかないで。下手をしたらあなたに取られてしまう」と言われたそうだ。
この話の時は、優衣が真っ赤になって両手で顔を隠していた。
という事で、今日、結婚式でのネタ晴らしと、謝罪になったのだ。
「本当にごめんなさい。痴漢の冤罪もそうなんだけど、コートが三枝君の両親の思い出の品だという事、あとから先輩に聞いて、すぐに謝ろうと思っていたの。本当にごめんなさい!」
そういう河合愛美は本当に綺麗だった。
うちの嫁さんの次ぐらいには。
「ああ、いいよ、もう。君のお陰で、こんなに可愛い女性を妻にもらえたんだ。感謝してる。」
「そう言われればそうね。じゃあ、その代わりにいい男、紹介してよ。」
そういう河合愛美の左の薬指にはプラチナのリングがしっかりとハマっていた。
結衣の招待状での違和感は、河合愛美、いや、大石愛美と書いてあったからなのにこの時に初めて気が付いた。
完
久しぶりに短編を書いてみました。
また、自分の長編の中に組み込まれるかもしれません。
よろしかったら、評価、感想、お願いします。