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6 妻との再会

 扉を振り返った私は息を呑む。

 波打つ赤銅色の髪と長い睫毛が縁取る若草色の瞳――二年前からずっと会いたかった美しい妻。


「リーナ……!」


 堪らず駆け寄ろうとした私に、彼女は流れるような所作でカーテシーをとった。


「お待たせ致しました、ヴァーロフ侯爵」


 親しみを一切感じない平坦な声と冷たい表情に、中途半端に伸ばした腕が固まる。

 二年という歳月が愛を薄れさせたのかと不安に身を竦ませていると、椅子を勧められた。私達は二脚ある長椅子へそれぞれ座り、机を挟んで向かい合う形になる。

 院長が退出して二人だけになった部屋の中、何とか仕切り直そうと口を開く。


「その……とにかく無事で良かった、心配していたんだ。この辺鄙な地までどうやって……」

「親切な方が荷馬車に乗せて下さいました。その後はずっとバロータの皆様のお世話になっております」


 エヴァンジェリーナは下ろしていた髪を後ろでひとまとめにし、肌は日に焼けていて労働者のようだった。そのせいか侯爵家にいた時より健康そうに見える。あの時は毒のせいで弱っていたのだから当然だが。


「昨日は私の都合でヴァーロフ侯爵をお待たせして……」

「リーナ、頼むからそんな呼び方はよしてくれ。夫婦なのだから」


 他人行儀な口調に胸がざわつき、つい言葉を遮ってしまった。

 いっそ怒鳴りつけて欲しいくらいだ。愛想を尽かされるより、何故助けてくれなかったと責められた方がまだマシだった。


「分かりました、フェリクス様。離縁状は出されていないようですが……捨てたのですか?」

「出す訳がない! 破り捨てたかったが母が隠してしまったんだ。私が署名しない以上、無意味な代物だが」

「そうですが、良うございました」


 彼女の唇がかすかに弧を描くのを見て、私は安堵した。やはり離縁状の署名はショックで発作的に書いてしまったものなのだ。

 自然と頬が緩む私へ、愛する妻が穏やかに語りかける。


「後は貴方さえ署名して下されば、離縁が成立しますわ」


 心からホッとした様子のリーナを前に、笑み崩れかけた頬が引き攣る。次いで、今まで溜め込んできた言葉が溢れ出した。


「私は離縁などしない! 下町の医師に会って全て聞いてきたよ。何もかも母の仕業だった……リーナ、どうして、どうしてなんだ? 何故あの夜、何も言ってくれなかった!?」

「どうしてと言われましても、フェリクス様にとって私は不貞を働く人間なのでしょう? そう思われていたから真偽を問われたのでは?」

「違う! 突然のことで驚いていただけだ! あの日は領地から戻ったばかりで、疲れきっていて……」


 話しながら言い訳でしかないことに気づき、声が尻すぼみになっていく。

 疲れていても離縁状を目にして動揺したとしても、妻は浮気などしないと断言すれば良かったのだ。だが過ぎたことを考えてもどうしようもない。


「二年前のあの日からずっと、君を守れなかったことを悔やんできた……君との再会だけを夢見てきた。もう二度とあんな思いはさせないと誓うよ、リーナ」


 一緒に帰ろうと手を差し出すが、妻は静かに首を振った。


「何も心配することはない。母は領地にやった。毒を盛った侍女も追い出した。もう君を傷つける者はいないんだ。義父上と義兄上の誤解もとけて……」


 言い終わるのを待たず、リーナは再びかぶりを振る。


「私は戻りません。夫にとって信用できない妻を家に戻すべきではありません」

「だから、驚いただけだと言ったろう!」


 ただ机に手を置いたつもりが、思いのほか大きな音が立った。妻の肩が僅かに跳ねたのに気づいて咳払いする。

 再会を果たした今、自分が思っている以上に気が立っていたらしい。


「声を荒げてすまない。その、確かに母の話を一蹴しなかったのは私が悪い。何より私の屋敷で毒を盛られながら気づけなかったのだ、許せることではないだろう。だが、やり直すチャンスをくれないか、リーナ。これで全て終わりにするなんて嘘だろう? 結婚生活、いや、出会ってから十年以上の歳月を、たった一度の出来事で!」

「……一度ではありませんよ」


 そう呟いたリーナは酷く暗い眼差しをしていた。


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