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2 不貞の真実

 不貞の相手に宛てた手紙には睦言など見当たらず、次の診察日時について書かれていただけだった。

 すぐに封筒の住所に向かうと、古いが手入れのされた一軒家で一人の老女が出迎えた。


「ああ、こいつぁ私宛だよ」


 老女はこちらの身分を知っても臆する様子なく、貧民街の住人らしい野卑な口調で話し出した。


「私も医者なんでね、亭主が戦争で亡くなってから患者を引き継いだんだ。ゴタゴタしてたら宛名を変えるのを忘れちまって、そのままさ」

「なら妻はあなたに手紙を? ここに来ていたのか?」

「おや、何も聞いてないのかい?」


 老女は何年も前に、孤児院への定期往診の際に慰問に来ていたリーナと知り合ったという。


「何ヶ月か前に若奥様が侍女もつけずにやって来てね、診察と血の検査を頼まれたんだ」


 渡された診断書に目を走らせ、私は絶句した。


『長期間に渡る毒物の摂取により内臓が衰弱している』


 怪しい町医者の診察など当てにならない、と突き返す前にもう一枚の診断書に気づく。同じ血を別の医者――私も知っている貴族――が検査したもので、結果は同じだった。侯爵家の妻とは知らず、ただ検査しただけらしかった。


 リーナは不貞などしていなかったし病気でもない。

 だが長期間ということは、恐らく侯爵邸で毒を盛られていたということだ。ならセミョーノフ医師の診断は? 母は知っているのか? 妻はどうして何も話さなかったのだ!?

 いくつもの疑問が浮かんで立ち尽くす私に、老女が尋ねる。


「毒を和らげる薬は持たせたけど、具合はどうだい? 屋敷に味方がいないのなら今すぐ出るよう言ったんだけどね。領地に行っている夫を待つってきかなくて」

「……ここに来ていないのか?」


 途端、老女がすぅっと目を細める。鋭い眼差しに息を呑みながらも妻の行方に心当たりはないかと聞けば、「屋敷に戻れ」と言われた。


「どっかから毒が出てくる筈だよ。それに最悪、若奥様も――」


 物言わぬ体でね、と。


 ** * * *


 すぐさま侯爵邸に戻った私は、裏庭の隅まで掘り返す勢いで屋敷中を捜させた。

 暫くして毒薬の入った数本の瓶が侍女の荷物と母の部屋から発見された。エヴァンジェリーナは見つからなかった。


 母を問い詰めると、何ヶ月も前からリーナの食事へ毒を盛っていたとあっさりと白状した。母が認めたことで実行犯の侍女も言い逃れできなくなり、泣きながら自白した。診断書を作ったセミョーノフ医師も荷担しているのは間違いない。


 母は先代ヴァーロフ侯爵である父が亡くなった時、自分の気に入った令嬢を侯爵夫人にすべく計画を立てたという。

 若くして侯爵位を継いで慌ただしくしていたとはいえ、私は家に目を向けなかったことを悔いた。急死した父を恨みたくなった。


 父が亡くなったのは流行り病の為だ。二年前の戦争では近隣諸国の人々が国境を越えて行き交う内に各国に疫病をもたらし、銃剣や鉛玉より大勢の人間を死なせた。

 幸いヴァーロフ侯爵家には潤沢な資金があり、妻の実家であるチュカーリン伯爵家にはいつくもの薬草畑がある。侯爵家の金で作られた伯爵家の薬が互いの領地で被害をおさえてくれた。それをきっかけに起ち上げた共同経営の薬専門店は、今も領民の命を守っている。


 父が助からなかったのは、市井の愛人宅で病をうつされたからだ。

 さほど愛情深い家庭ではなかったから悲しみは薄かったが、広大な侯爵領を担う責任が重くのしかかった。リーナはそんな私を慰めて支えてくれたのに、他ならぬ私の屋敷で毒を盛られていたのかと思うと胸が張り裂けそうだった。


 ふと、妻は不甲斐ない夫に愛想を尽かして消えたのではないか、という可能性が頭をよぎる。

 だが同時に、私へ「愛している」と笑いかけるエヴァンジェリーナの笑顔がいくつも浮かび上がった。人目憚らず私への愛を口にしていた彼女が、何も言わず出奔したなど有り得ない。


 私が眠っている間に母の手でどこかにやられたのかと思ったが、母も使用人たちもリーナは自ら署名して辻馬車で出て行ったのだと言った。屋敷中の人間が母に脅されて口裏を合わせているとは考えにくい。彼らの雇用主は母ではなく私なのだから。


 ひとまず母を部屋から出さないよう執事に命じていると、従者が肩で息をしながら部屋に入って来た。


「チュカーリン伯爵と、チュカーリン伯爵令息がご到着です」


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