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召喚されて冷遇されたけど、聖女(クッション)として王子に抱きかかえられるようになりまして

作者: 永野水貴


 ――言葉が通じないというのはたいへんに不便である。

 それも、たとえば道端で見知らぬ外国人に一単語もわからない言語で何かを聞かれたとかいうのではなく、一単語もわからない外国に一人で放り出されたときのことを思い浮かべてほしい。


 まったく文化圏の異なる国に放り込まれることは異世界に行くことと同義だと誰かが言っていた。けだし言い得て妙というやつだ。

 たぶん、地球上のどこか、母国から遠く離れた反対側の国などにいきなり放り込まれた人間が、わたしの気持ちをわかってくれるだろう。


 突然異世界へ放り込まれた、ごく平凡な日本人のわたしの気持ちを。


「※※※※※?」


 耳元で声がして、ぞくっと体が震えた。現実逃避を決め込んでいたわたしは強制的に引き戻された。――いや、そもそもこれが現実だと言っていいのかどうか。


「いや、あのう……さぼっていたわけではなく……」


 ごにょごにょとそんな言い訳が口をついて出たが、相手は答えなかった。

 ぎこちないからくり人形みたいにわたしがおそるおそる斜め上に目をやると、すぐ側に、灰緑の目があった。

 くっきりとした二重に、瞳が大きくてきらきらしている。


 そのきらきらに当てられ、心臓が悲鳴を上げた。灰緑の目を縁取るのは、けぶるような濃い灰色の睫毛だ。

 わたしを見る目にはあきらかな温度がある。思いやりとか、優しさといった感じの。

 ――決して、特別な意味ではなく。

 たぶん、瞳が大きめだから余計にきらきらして見えるのだろう。

 彫像みたいにきれいな鼻梁、ほんの少しだけ小さめな唇。ダークチョコレートを思わせる濃い色の巻き毛が優雅だった。

 見れば見るほどおそろしく整った顔の男だ。


「※※※※※?」


 そのおそろしく整った顔の男が、低い声でつぶやく。なんだか甘い響きで、しかも優しげな抑揚。十代の女の子なら一撃で落とせてしまいそうな威力だ。

 がちがちに心の鎧を着込んだわたしでも、ぐらっときてしまう。

 言葉の内容がわからないから余計に勘違いしやすいというか。たぶん、大丈夫か、みたいなことを言ってくれてるんだとは思う。


(いや、というか……!)


 ――顔とか声という以前に、そもそもが近い。圧倒的に近いのだ。


 なんせわたしはいま、この三次元離れした顔の男に抱きかかえられている。それはもう、がっちりと。ソファーに腰掛け、開いた男の足の間に座らされ、後ろから両腕を伸ばされて抱え込まれているのである。


 わたしは強く脇をしめ、腕を体にそわせ、両手は膝の上でぎゅっと握って固まっていた。()()()というか()()()()()というか、それらしきものになることに徹する。


 ――ちなみに、この顔のいい男も腕でわたしを抱きかかえているものの、その先の両手はがっちりと組み合わされ、不用意にわたしに触らないようにしている。

 そんなところが妙に律儀だ、とわたしは意識を半分飛ばしながら思う。


 この部屋は広い。どうやら王宮の一室で、調度品はちょっと変わっているが豪華といってよく、つまるところこのようにくっついて座らなければいけない理由はない。――()()なら。


 状況的に誤解しても仕方ない要素は大いにある。ありまくりである。

 だが気を引き締めなければいけない。こちらは押しも押されぬアラサー日本人女子、立派な社会人である。――まあ、いまはちょっと、だいぶかなり特殊な立ち位置に置かれてしまっているのだけども。


 成人女性として最大限に理性と常識をはたらかせていても、某キラキラSNSやアイドル動画でもお目にかかれないような美形に抱きしめられているとあれば、緊張するなというほうが無理である。

 しかも会話もなかなか成り立たないものなので余計に気まずい。――いや、会話できたとして、この状況で何を話すのかというところではある。


 そんなふうに、この高貴なイケメンの腕の中で人型クッションの役割を果たすわたしと、心配そうに覗き込んでくる高貴なイケメン――というなんともよくわからない状態が続いていたとき。


 部屋の扉が、控えめに叩かれる音がした。

 するとわたしを抱えていた腕が離れ、灰緑の目が扉に向く。


「《入れ》」


 高貴なイケメンは短く言葉を発した。その言葉は幾度となく聞いたから、なんとなくわたしにも意味がわかるものだった。

 静かに扉が開けられると、侍従らしき男と、その後ろからメイドというか使用人女性というか、そういった女性がしずしずと入って来る。


 侍従らしき男はまず主――つまりわたしを抱えていた高貴なイケメン――に恭しく挨拶をしたあと、目を動かしてわたしを見つけ、露骨にいやそうな顔をした。こう、主の服に毛虫がくっついているのを発見してしまった、というような。


 ……まあ、これくらい「顔で語る」をされると、言葉が通じなくてもわかりやすくていいんだけど。


「※※※※、《ラマーディ殿下》」


 わたしにしかめ面を向けてきた男は言った。ラマーディ、というのがどうやら名前らしいこと、それにいつもくっつく音がおそらく敬称であることはなんとなくわかってきた。

 ――わたしを抱えているこの高貴なイケメンの名は、“ラマーディ”なのである。


 で、この侍従男は、ラマーディを呼びに来たのだろう。そろそろお時間です、的な感じで。


 なので、わたしは精一杯気を利かせて、言われる前にラマーディの足の間から立ち上がり、そっと距離を取った。

 灰緑の目のラマーディは優雅に立ち上がり、わたしにむかってにこりと笑った。


「※※※※、マドカ」


 爽やかな声。

 ――マドカ。わたしの名前。

 たぶん、お礼を言われたのだと思う。そう思うことにする。


「ど、どういたしまして……?」


 わたしはおそるおそる言った。

 ラマーディはわたしに背を向け、あのしかめ面の侍従――去り際にもわたしに忌々しげな目を向けてくることを忘れなかった小舅男――とともに部屋を出て行った。


 入れ替わりとばかりに、女性たちがやってきて、有無をいわさずわたしを取り囲む。着替えるためである。

 よくわからないが、ラマーディがわたしを抱き枕にしていったあとは必ずそうなる。ただ着替えるだけでなく、なにか確かめられているような気がする。

 ――なにか間違いが起こらなかったかどうか、というような。穿ち過ぎかもしれないけど。


(……わかってるっての)


 釘を刺さんばかりにいやな目を向けてきた侍従を思い出し、心の中で毒づく。

 これは必要な()()()()に等しいものであって、特別な意味はないのだ。だからこそラマーディも礼儀正しく、いつも感じが良くて爽やかなのだ。これはビジネス、といわんばかりで。




 ――嘘みたいなほんとの話。

 わたしは真倉マドカというごく平凡なアラサー日本人だった。女である。独身である。恋人らしき存在は六年前にいたきりだ。あのとき結婚という言葉がちらついていたはずだが、いまはもう思い出せないくらいである。


 熱しやすくさめやすい性格で、これといった趣味もなく、休日は動画を見たり家事と昼寝(たまに友達と買い物)で一日が終わるという生活をしていた。

 仕事は地元の小さな会社で事務員をやっていた。


 つとめ先は人間関係は悪くないどころかだいぶよかったのだが、人手が足りなかった。そこへ運悪くごたごたがあり、ガラにもなくわたしも連日残業はい残業、休日出勤なんてことをしていた。

 体力があるほうではない。むしろ、学生時代にたいへんゆるいテニス同好会に入って以来だったので、がた落ちだった。ので、ものすごい勢いで疲弊した。


 ろくに眠れず、顔色は悪く、目は開いていても気を抜けば意識がもうろうとする始末。休むわけにはいかないという一念でがんばっていたのだが、そのうち、もうとにかく寝たい、いますぐここで寝たい、何が何でも寝たい――それしか考えられなくなって、ブラックアウト。


 意識が落ちる寸前、高いところから落ちていくような感覚があった。でも眠気がすべてを塗り潰してしまった。


 そして次に目を覚ましたと思ったら、まったく見慣れぬ場所にいた。

 体の節々に痛みを感じながらわたしが起き上がったとき、そこはわけのわからない複雑な図形と文字らしきものが描かれた床の上だった。


 なんだこれ、と頭が真っ白になった。

 ――どう考えても夢だ。だが外国と思うにしては現代離れしすぎている。


 フリーズしかかると、人の声が聞こえた。そっちに顔を向ければ、何やらいかめしい顔をした、見たこともない衣装とまったく耳慣れぬ言葉をまくしたてる中年男性たちがいた。

 彼らは興奮気味にわたしを見て何事かを叫んでいたので、正直ちょっと引いた。

 ――何か、映画の撮影現場にでも紛れ込んでしまったのではないかと思ったくらいだ。


 彼らはわたしに向かって大げさな身振り手振りをまじえて何かを喋った。

 が、わたしには一切わからなかった。かろうじてわかるいくつかの英単語を投げかけてみたが、まったく通じず。どうやらここは英語圏ではなく、英語もまるで通じないらしい。わたしの英語の発音がひどすぎた、というのはまた別として。


 それだけならまあ、不思議な衣装と独自の言語を持つ、遠い異国だと思えなかったこともない。


 が、ここがどうやらまったく異なる世界らしいと思い知るに至ったのは、魔法があったことだ。

 奇術とか幻覚ではない、本物の魔法だった。あ然とするわたしのまえで、宙に浮かび上がる光、炎、水、風。ついでに、黒いタールみたいにうごめく闇。


 それをちらつかせながら彼らは何かをわたしに必死に訴えるのだが、言葉がまったくわからなかったので――何もしようがなかった。


 元の世界に帰りたい、帰して、というわたしの訴えも、まるきり通じないようだった。


 そんなふうに意思の伝達がまったくできずに日々がすぎていくと、雲行きが怪しくなりはじめた。


 魔法陣らしきもので呼び出されてからというもの、わたしはそれなりに丁寧に扱われていた。手入れの行き届いた大きな部屋に移されて、いわゆるメイドさん的な女性たちが身の回りの世話をしてくれたし、自分のアパート部屋よりよほど豪華な暮らしをしていたくらいだった。


 が、入れ替わり立ち替わりやってきては必死の顔で何事かを訴えてくる人たちに何も答えられずにいると、彼らは失望と疑い――そして怒りのようなものを滲ませるようになった。言葉がわからないのだと言っても、わたしのその言葉が彼らには通じない。


 やがて小さい窓に鉄格子がついたような部屋に移されると、お世話してくれる女性の数も減った。――心なしか、メイドさんがわたしに向けてくる目も冷たくなった気がする。

 部屋は狭くなり、着替えの回数は少なくなり、服は質素なものに変わった。

 食事も露骨に品数が減った。ベッドがあきらかに硬く小さくなったのは結構ショックだった。

 そして部屋から出ることはできなかった。


 衣食住なんとかなってるだけまだまし――と思うこともできたが、それでもやはり待遇が悪いほうへ変わったというのは、不安でしかないことだった。


 ――もしかしてこれ、軟禁というやつでは? ちょっと扱いが丁寧なだけの囚人というやつでは?


 不安でいたたまれなくなり、ここから出して、と日本語で叫びながら、扉を叩いた。もうなりふり構っていられなかった。でも、反応してもらえたのははじめだけ。

 どうやら部屋の外には見張りだか看守的立場の人がいるらしく、一、二度だけわたしの叫びに反応したものの、泥酔した人間の不明瞭な言葉を聞いたみたいな顔をして、以後は無視。


 そんな状態では食事が喉を通るはずもなく、眠れるはずもなく、体は重いし頭ももやがかったみたいにうまく考えられないし、息をするのも億劫に感じるようになった。


 ――そのまま行ったら、もしかしたらわたしは死んでいたかもしれない。


 固いベッドに横たわってすすり泣き、日頃は気にもしなかった両親の顔とかが急に浮かんで、お父さんとお母さんに会いたいなんて思ったとき、重く閉じられた扉が開いた。


 すぐに反応できないくらい、わたしは弱っていた。


 入って来る足音。ものものしい人の気配。鈍くなった頭と体でどうにか起き上がると、メイドではなく護衛と思しき男を連れた人物は、わたしの側に来て止まった。


 わたしを見下ろす、灰緑の目。深い霧の、その向こうにうっすらと緑が浮かぶかのような冷たく神秘的な目だった。

 テレビや映画でも見たことのないような、彫りが深くて整った顔立ち。身に纏うものも、これまでに見たどの異世界人よりも豪華できらびやかに見えた。


 ――けど、目の下の隈や、彫りが深いだけに顔に落ちる影が濃く、老けているようにも見える。なんだか少し痛ましく感じた。


 年はわたしとあまり変わらないように見えたけど、光の加減でもっと上にも見える。


 低い声が交わされた。やがて、一方後ろに下がった護衛の男のほうが、わたしに厳しい声を投げかけてきた。相変わらず言葉はわからなかったけど、たぶん、起きろとか失礼だとか、そういう類のことを言ったんだと思う。


 言葉がわからない以上に、起き上がる気力がなかった。だから反応できなかった。

 すると声をかけてきた男たちが近づいてきて、胃がひきつるような感覚がした。怖くなって体が震える。

 なんとかベッドの上に体を起こして後ずさろうとしたとき、灰緑の目の男が片手を上げた。

 わたしに近づいてきた男たちはぴたりと止まり、数歩下がる。


 制止された男たちのほうは眉をひそめ、何事かをつぶやいている。なんとなく、時代劇の侍従を思い出した。若様、とか言って諫めようとする、あの感じ。

 けどそれにも構わず、灰緑の目の人は、自分の腰帯に下げていた何かを手に取った。


 そして、それをわたしに差し出した。


 大きな手が差し出したのは、一握りほどの細長い果実だった。艶やかな緑色をしていて、美しいけど、食欲をそそる色には見えない。

 侍従たちがまた何か不機嫌そうな声を発する。今度はわたしに対して。受け取らないことに怒っているのかもしれない――何をされるわかわからないと怖くなり、わたしは震える手を伸ばした。


 当の灰緑の目の男は特に気分を害した様子もなく、ただ悠然と構えていた。


 わたしが差し出されたものを受け取ろうとしたとき、強い眩暈がした。弱った体ではまともに踏みとどまれずに、意思を裏切って倒れてしまう。


 意外なことに、灰緑の目の男がとっさに抱きとめてくれた。


 いい香りがした。少し甘さがあって深い、お香にあるような落ち着く香り。すっごく品が良くて高そう。

 ――でも、なんだか重そうだった。顔に疲れが見えただけじゃなくて、まとっている空気が重そう、となぜか直感した。

 けど、お湯の中で錠剤の入浴剤が溶け出していくみたいに、その重さが和らいでいくのがわかった。どうしてかはわからなかった。


 ぼんやりした頭に、護衛の男たちが気色ばんでいるのがわかった。


 ――すいません、とつぶやいて、わたしは彼から離れようとした。


 でも、わたしの腕をつかむ手が離れてくれず、それが結構強い力だったので、怖くなって顔を上げた。

 見えたのは、大きく見開かれたけぶる緑の目だった。

 そうやって間近で見たとき、ふいに気づいた。


 二次元みたいな男の顔が、先ほどよりも少し若く見えた。

 目の下や鼻にあった色濃い影のようなものが、薄くなっているような気がした。


 驚いて、目を丸くしたまま灰緑の目を見てしまった。


 向こうの目も驚愕して大きくなってるのは、わたしのほうがよほどひどい顔をしているからか――なんて思ったとき。


 彼は勢いよく、それはもう躊躇なく、わたしをぎゅっと抱きしめた。

 とっさに、わたしがカエルみたいな「ぐえっ」という声を出すくらいに。

 ――たぶん、普通の状態だったらひたすら混乱していたと思う。


 でも消耗しきっていたので、驚きも動悸も控えめだった。


 固まって人形みたいにぎゅうぎゅうハグされていると、がばっと彼は身を起こした。わたしの腕をつかんだまま。

 そして、あ然とする護衛の男たちに険しい声で何事かを命じた。


 護衛たちは驚きと疑いがまじったような顔をしながら、慌ただしく出て行く。

 わたしはひたすら、灰緑の目の男にホールドされたまま。

 なんだかこの人、いきなり元気になってない? なんて思ったりして。

 ――それで、一気に状況が変わった。




 霧の向こうにおぼろげに浮かび上がるような、なんともいえない薄緑の目がわたしを真っ直ぐに見つめている。

 彼が何事かを強く命じ、護衛の人間達が慌ただしくどこかへとそれを伝え――わたしに関する何かがやりとりされたらしい。


 それで、わたしは灰緑の目をした人に連れ出され、あの緩やかな独房じみた部屋から客室へと戻された。いや、はじめのころに与えられていた部屋よりもっと広くて、扱いも丁寧になった。


 つまり、この灰緑の目の人はわたしを連れ出し、丁重な客人扱いに戻してくれた恩人ということになる。


 わたしに向き合って座りながら、彼は、自分の手を胸に当て、《ラマーディ》と繰り返し告げた。

 あまりにもじっと見つめてきてこちらの反応をうかがうものだから、わたしはおずおずとその単語を復唱してみた。

 すると、灰緑の目が和んだ。


 ラマーディ。それがこの、灰緑の目をした人の名前らしい。


 それからまたなにかわからない言葉をゆっくりと繰り返し、じっとわたしを見た。

 相変わらず言葉がわからないのでだいぶ困惑したけど、彼――ラマーディは胸に手を当てる仕草を繰り返しながら、やはり同じような言葉を繰り返した。

 それでなんとなく、わたしの名前を聞かれているのかと思った。


 鈍い動きで自分の胸に手を当てながら、真倉マドカ、と自分の名前を繰り返した。

 聞き慣れない名前であるせいか、ラマーディは不思議そうな顔をしていたんだけど、マドカという名前が言いやすいようで、マドカと呼ばれてわたしがうなずくと、嬉しそうな顔をした。

 ――不覚にも、きゅんとしてしまったのは秘密だ。


 ラマーディに救い出されてから、身の回りの世話をする人たちはまた増え、態度も恭しくなった。ここに呼ばれたばかりの頃に見た、不思議な衣装を着たいかめしい顔の中年男性たち――なんとなく、神官とか僧侶とか、そのへんの宗教人っぽい――もやってきた。彼らはやっぱりいかめしい顔をしてラマーディと何かをやりとりしていたように見えたけど、結局、宗教組が折れたようだ。


 どうやら、わたしは再び丁重に扱われるべき存在になったらしい。恭しい、とさえいえる態度で接されるようになった。まあ、相手の本心がどうであれ。

 ラマーディが同情してくれたから――というだけではないようだった。


 どうやらわたしには、とんでもな能力があるらしい。――というか、そうでないとラマーディの行動に行動が説明がつかないので。




(わたしは枕、わたしは枕、真倉の枕……うえ、激寒)


 現実逃避に回想することも飽きて、頭の中で一人ノリツッコミをした。悲しいけど、そうでもしないとちょっと冷静さを保つのが難しいので。さすがに。


 ――わたしはいま、絶賛ラマーディのクッションになっている。抱き枕ってやつだ。


 いつも通り、ソファに座ったラマーディの膝の間に座り、縮こまっている。灰緑の高貴なイケメンが抱えやすいようにというのもあるし、緊張しているというのもある。


 もちろんラマーディ本人も、不埒な動きなどというのは一切見せない。後ろから伸びてきた腕は、いつも通り、わたしのお腹のあたりでがっちり両手を組み合わせ、必要以上に触れないようにしている。律儀。常にこの鋼鉄の両手組みを崩さないので、ラマーディの固く潔癖な意思がうかがえるような気がする。


 沈黙。聞こえるのはかすかな息の音だけ。

 ……気まずい。相変わらず言葉が通じないので雑談ができない。

 暴れまわっている鼓動の音が聞こえませんようにと祈ることしかできない……。


 別のことを考えよう。


 ラマーディはたぶん、王族とか、それに近い高位の貴族なのだと思う。似たような服を着た、顔のパーツとかがところどころ似ている人たちが何人かわたしに会いに来た。

 みな、ラマーディほど優しくもなかった――というかだいたいは、うさんくさいものを見るような、あるいは白けた目をしていたわけなんだけど。


 ともかく、その全員がえらそうで、お付きの人がいた。人に傅かれることは当然で、人に命令することに慣れているという感じ。


 まともに考えても、異世界人を召喚するなんてことは結構大がかりなプロジェクトという気がする。関わっている人間もそれなりの権力を持っている――と考えるのが妥当じゃないかな。たぶん。

 なんのためにそんなことをしたのか、なぜわたしなのかというのはいまだにわかっていない。


 ――わかっているのはともかく、わたしはラマーディにとっては役立つ存在らしい、ということだ。


 わたしは彫像よろしく固まったまま、先ほどちらりと見たラマーディの顔を思い返した。

 はじめて間近に顔を見たときの、目の下の隈や疲労の影みたいなのは明らかに薄くなっていた。肌も色艶を取り戻し、イケメンぶりがもう眩しいくらいである。

 食事と睡眠をしっかり取ったんだろうな――などと現代日本人の常識的な感覚で考えればそうなのだが、どうやら違うらしい。


 ラマーディは、どうやらわたしという抱き枕(クッション)をこうして抱えると元気になるらしいのである。


 わたしは何回かクッションになり、その都度、ラマーディが一層明るい雰囲気と肌の色艶を増して去っていくのを見ている。

 それだけでなく、ラマーディが何か普通の意味とは違うもので()()()()()とき、抱き枕になって接触すると、重くてだるい空気みたいなのを実際に感じるのだ。どろっとした液体みたいなのが、ラマーディから流れ込んでくるというか。


 流れ込んできてもすぐに消えるし、いまのところそれで体調を崩したり異変が起こったりというのはない。どうやらわたしにはあまり害がないらしい。


 で、ひとしきり流れ込んできたあと、ラマーディはいっそうきらきらした笑顔でわたしにお礼っぽいことを言う。実際、元気になってるみたいだった。

 重いどろどろを消し去る、みたいな力がわたしにはあるらしい。消しゴムというよりはスポンジ……なのか。


 ――色々考えてみた末、“浄化”という言葉が浮かんだ。そして一番しっくりきたのは、グッピー(華やかなのがラマーディに似ている)とかの水槽に投入される浄化装置というか、そういった類のものだった。

 とにかく魚の水槽の水質改善に役立つアレである。


 はじめて会ったとき、ふらついたわたしをラマーディは抱きとめてくれたが、そのときに彼は気づいたのだろう。だから、あんな驚いた顔をしていたようだ。


 ――ちなみに、ラマーディの親戚だと思われるえらい人たち何人かに会い、握手したり腕をつかまれたりと、とにかく接触させられた。いかにもいやそうな顔とか渋い顔をされたりしたが、それはまだいいほうで、いやいやながらハグらしきことをされたときにはさすがに硬直したしこっちの気分も悪くなった。ここが現代日本なら確実にセクハラ案件だ。

 ……ラマーディは礼儀正しいし優しいし、恩人だし、とにかく顔がいいのもあって、緊張はするけどハグされるのはいやではない。むしろ役得まである。まあそれはともかく。


 親戚にはラマーディのときのような反応は起こらなかったし、わたしもなにも感じなかった。いや、正確に言うと何人かはうっすら反応があったと思うのだが、ラマーディほどはっきりしたものではなかった。

 どうやらわたしの水質改善能力もとい浄化(?)の力は、ほとんどラマーディにしか発揮されないらしい。……わたし個人の感情でそうなっているんじゃないと思いたい。


 ともかく、ラマーディ本人にはもちろん、ラマーディの味方と思われる友人(?)とか配下の人にはわりと恭しく扱われるようになった気がする。全員じゃないけど。

 ……ごく普通の日本人女性の身からすれば、だいぶお姫様扱いというか、聖女様みたいな扱いをされてると思う。


「マドカ」


 耳元で聞こえたその一言に、色んなものが吹っ飛ばされた。ぞわわっと背が粟立ち、思わずびくっとしてしまったのは不可抗力だ。

 おそるおそる――礼儀を保ちながら――顔だけで振り向く。


「な、何でしょうか……?」


 思わず日本語で返してしまった。

 ラマーディはにこっと感じ良く笑って、


「※※※※、マドカ」


 わたしの名前を呼びながら、何かを言った。でもなんとなく聞いたことのある響きの言葉だったから、たぶん――ありがとうとか、そういう類のものだと思う。

 ……ときめいていない。断じてときめいてなどいない。

 この距離で超イケメンに優しくされたら不可抗力で動悸がするというだけで、別に特別な意味はない。たとえ紳士的にハグされようと、日々の衣食住を保証してくれ、実際に優しくしてくれようとも――。


 ラマーディには、恋人っぽい存在がいるのだ。もしかしたら、婚約者かもしれないけど。


 悶々としているうちにやはり扉が叩かれた。そうしてあの感じの悪い側仕えと、いつものお世話してくれるメイドさんたちが入って来る。

 感じの悪い側仕え男はやっぱりわたしを忌々しげに睨み、ラマーディに何かを呼びかけた。


 わたしはそそくさと立ち上がってラマーディから離れた。高貴なイケメンは優雅に立ち上がり、やっぱり優雅に別れの挨拶をくれた。


「※※※※」


 いい声だった。ニュアンスはなんとなくわかるんだけど、言葉の意味がわからないのが残念だ。

 側仕えと共に部屋を去っていく彼をぼんやりと見守り、わたしは入れ替えにやってきたメイドたちに囲まれた。

 ……やっぱりちょっとうるさい鼓動の音にため息をつきつつ、いつ日本に戻れるんだろう、ともう何度目かわからないつぶやきを胸の中でこぼした。


 ラマーディにとっても、この状況はあまりよくない気がする。

 たぶん、彼は結婚していない――と思うが、特別な相手っぽい存在はいるのだ。


 わたしはこの部屋から基本あまり出ない(閉じ込められているわけではない)。

 だからまあ、部屋の外で何が起こっているのか、たとえばラマーディが日頃どういうことをしていて、どういう人間関係なのかは知らない。……けど、先日、部屋の大きな窓からぼんやり外を眺めているときに、見てしまった。


 大きな窓から見えるのは見事な中庭で、宝石みたいな大きな花がたくさん咲いていた。

 それも十分目を引くのだが、もっとわたしがびっくりしてまじまじ見てしまったのは、そこに美しい少女がいるからだった。


 薄くピンクがかった金色の長い髪は柔らかいウェーブを描き、目の眩むような精緻な刺繍の半袖に長いスカート、細い両腕の白さはほとんど光みたいだった。その肘上や手首、指に、色とりどりの宝石が描かれたブレスレットやバングルやリングやらがはめられていた。まわりに、少女よりももっと年上で質素な格好をした使用人みたいな女性たちが恭しく控えていた。


 ここからでは顔がはっきり見えたわけではないけど、後ろ姿や、ちらっと見える横顔がそれはもう女優さんみたいで。いや、お人形。

 あんなに若くて綺麗でお人形みたいな人いるんだ、なんてびっくりして凝視してしまった。

 年は十代後半、二十才の手前という感じだろうか。


 ――美しい少女が何かに気づいた。

 その目線の先を追うと、すらりとした長身の男性が近づいてきて、どきっと心臓がはねた。


 ラマーディだった。


 わたしの位置からは、斜め下に少女の後ろ姿が見えるので――少女に向かって行くラマーディの前面が見える。

 ラマーディは、感じ良く笑っていた。いつもの、あの誤解してしまいそうな笑顔で。


 少女に近づいて行き、お互いに挨拶する。ただの挨拶というには距離が近い。

 ……兄妹、というには二人はまったく似ていないと思う。


 やがて少女が白い手を差し出すと、ラマーディが恭しく手を取った。そして口元に引き寄せると、唇を落とした。

 ――あの灰緑の目が、いたずらっぽく少女を見ていた。


 軽やかな少女の笑い声が、風に乗って一瞬聞こえたような気がした。

 絵になりすぎる二人だった。わたしが入り込める世界じゃない。


 どくどくと、耳の音でいやな鼓動の音がしていた。

 ――自分が、一瞬言葉も出てこないほどショックを受けていることなんて認めたくなかった。


 ……あの優しく礼儀正しいラマーディが、どうしてわたしだけに優しいなんて思いこんでいたんだろう。


 心臓がうるさく暴れ、苦しいくらいなのに、わたしは二人から目が離せなかった。楽しげに談笑し、やがて二人が腕を組んで去っていくまで――ただ、窓辺に立って傍観していた。


 ……いま思い出してもいやな気持ちになる光景だった。ラマーディに恋人がいようといまいと、結婚しようとしていまいと関係ないのに。


 メイドさんたちにお風呂入れてもらったり、着替えさえてもらったりしながら、わたしは自分の今後について思いを馳せた。ともかく一番大事なことは――。


(……早く帰んないとね!)


 意識を失ってここへ来る前、勤め先の多忙っぷりはとどまるところを知らなかった。わたしが抜けたらどうなるか。いや、そもそもこんだけ無断欠勤が続いてたら――などと考えると、今度は別の意味でたいへんいやな気持ちになった。

 向こうの世界はどうなっているんだろう。知りたいような、でも知りたくないような。


 思わずうめきながらも、メイドさんたちが用意してくれたお茶とお菓子で気を紛らわした。

 わたしの“水質改善パワー”でラマーディの調子は日に日によくなっているみたいだし、完全に回復したらお役御免となって元の世界に戻してもらえるんじゃないかな。たぶん。

 ――そうでも思わないとやっていられないので。

 この年になって、身の程知らずな恋に破れ、みたいなことは絶対にやれないから。




 ◆




「ずいぶん回復されたよう。とても喜ばしいですわ、ラマーディお兄様」

「ありがとう、ファラウラ。――ちなみにその“喜ばしい”は、“また思う存分爪とぎができるようになって嬉しい”の意かな?」

「あら。推察力も回復しておられますのね、嬉しいことです」


 淡い赤みを帯びた長い金髪に、可憐を具体化したような少女――ファラウラは、外見に似合わぬはきはきとした物言いで返し、にっこりと笑った。その笑顔に詩人が典雅な作品をいくつも捧げたという話だが、性格が一致しているとは限らない。


 だがラマーディはそんなファラウラが嫌いではなかった。可憐な少女そのものといった性格と、思いのほか弁舌が立ち、やや皮肉屋な面を併せ持つところも見ていて飽きない。自分と気質が似通っているというのもあるのだろう。


 花々がひときわ咲き誇っている庭の四阿で、ラマーディはファラウラと二人、向き合うようにして座っていた。少し離れたところに、互いの侍従が置物のように控えている。


「お兄様が元気になってくださらないと困るのです。……羽虫がそれはもううるさくて」

「懲りないからこその羽虫だろうさ。まあ、少し羽虫に同情を覚えないでもないがね。美しい花の実体がどんなものかもわからずに、引き寄せられては叩き落とされるという」

「まあ。お兄様ったらいつの間にそんなに日和見……もといお優しくなりましたの?」

「お前ともあろうものが気づかなかったのか? 元からだ」

「元気になって冗談までお上手になりましたのね」


 ファラウラはころころと笑い、ラマーディもまた肩をすくめた。


 ラマーディとファラウラは、異母兄妹だった。特にファラウラは母譲りの容貌であるためか、ラマーディとはほとんど似ていない。

 絶世の美貌と称された母から生まれたファラウラは、結婚適齢期を迎え、既に求婚者が山をなすほどだった。そこに、ただその愛を乞おうとする者も加わる。

 それこそ羽虫のように群がる男たちから少しでも遠ざかるため、ファラウラは異母兄を虫除けに使うことを決め、ラマーディはその提案に乗った。


「お兄様がお優しくなったのも、異世界から来た聖女さまのおかげかしら」


 したたかな異母妹が軽やかな声で言い、ラマーディは頬杖をついた。


「さてな。相変わらず何を話しているかはわからん。……が、お前よりは遥かに従順だし、言葉が通じないことを抜きにしても、一歩部屋から外に出したらたちまち宮廷人に食い殺されそうな気はする」

「あら、まるで雛鳥ね。それでは今、お兄様は籠の鳥を飼っていらっしゃるのね」

「黄金にも代え難い鳥だ」


 ラマーディが冗談めかして言うと、ファラウラはまた明るい笑い声をあげた。

 ――存外、冗談でもない。ラマーディは声にならない声でそうつぶやいた。


 魔力汚染。


 この数年、ラマーディを悩ませ続けた問題がそれだった。この国の王族は、己に備わった魔力を用いて、この世界を創った神イシャーラの秘技を再現できる。

 容易な言葉で、それは魔術と称された。


 イシャーラの秘技は使えば使うほど魔力を消耗し、疲労となって術者にのしかかる。それが行き過ぎると命を落とすこともあるが、神の御業をみだりに使う愚か者には当然の結末と考えられていた。


 だが希に、魔術を使っても()()()()()という奇病が発生する。それは理論上は、無限に魔術が行使できるという夢のような状態だ。

 しかしなぜ奇病と恐れられているかといえば、魔力を消耗しない代わりに()()()()()からだった。


 魔力の汚染とは、変質を意味する。汚染された魔力では、まったく意図しない魔術が発現される。イシャーラの秘技を正しく再現できないのだ。

 ――忌々しい暴れ馬のようなものだ、とラマーディは憎むような気持ちでしばしばそう表現した。


 別の魔術に変わってしまうというだけならまだいいが、敵を攻撃するはずの魔術が、術者自身に降り注ぐなどという致命的な現象も起こる。


 なぜそのような魔力汚染が起こるのかは解明されていない。

 だが主神イシャーラのごとく無尽蔵な魔力を使うことができながら、イシャーラを冒涜するかのようにでたらめな技を発現するというのは、聖と邪、清浄と汚濁を等しく併せ持つようなものだった。

 ゆえに、この魔力汚染が起きたものは非常に難しい立場に置かれた。身分が高くなければ、命を奪われる可能性も十分にある。


 ラマーディは、高貴な身ゆえに命を奪われるにまで至らず、しかし微妙な立場に置かれた。

 魔術を無尽蔵に使えるといっても、使えば使うほど汚染は進む。

 そして、その汚染は進行か停滞することはあれ、回復することは決してなかった。

 ――“浄化の聖女”マドカが現れるまでは。


「……でも、いつまでも籠の鳥を飼うわけにもいかないのでしょう? このまま行けばお兄様も完治するでしょうし、あの異世界の方の力はきわめて限定的というお話ですけど」


 ファラウラの無邪気な声に、ラマーディは思索の海から頭を引き上げる。

 そうして、卓の中央に置かれた小鉢に手を伸ばし、焼き菓子の一つをつまんだ。口の中に放って、少し間を置く。


「私の目の届くところに置く。また、彼女の力が必要になるときが来るかもしれない」

「それは……そうですね。敵に利用されるようなことがあってはなりませんし」

「そういうことだ」


 指先にわずかについた粉を、手元の手巾で拭う。


「本当にそれだけですの?」


 少女らしい真っ直ぐな疑問に、ラマーディは瞬きの間よりも短く、動きを止めた。

 ――脳裏に、石像のように固まる女の姿がよぎった。縮こまるように膝の間に座り、まるで触れてはならないと言い聞かせるような姿だった。


 ラマーディの口の端が持ち上がった。


「何を期待しているのかな、我が《棘の花(ファラウラ)》は」

「だって、見方によってはまったく意味が違ってくるんですもの。丁重な扱いで部屋に閉じ込めて、誰にも見せない、触らせない――甚だしい寵愛ぶりですわ」


 ラマーディは声をあげて笑った。


「さてね」

「わたくしという恋人がありながら、不誠実な方!」

「おや、私を愛してくれていたのかい?」

「お兄様と結婚だけはいやですわ! 心労が重なることがわかりきっていますもの!」

「ひどいな。お前の棘が私の繊細な心を傷つけた」


 ラマーディが軽やかに言うと、ファラウラは明るい笑い声をあげた。




 ファラウラが侍女を連れて四阿から去って行いった後も、ラマーディはもうしばし残り、戯れに手折った花を指で弄んだ。

 これまで気配を消して控えていた側近が、静かに近づいてくる。


「よろしいのですか。ファラウラ様の仰ったような誤解をしているものも、一定数存在しているように思われますが……」

「――()()か?」


 ラマーディが端的に答えると、側近の男は珍しく絶句した。不意打ちを受けて言い淀む側近に、ラマーディは声なく笑う。

 そうして、指で花弁を回した。


 腕の中で、見事なまでに硬直していた聖女の姿を思い出す。言葉が通じなくても、困惑したような顔や、耳まで赤くなる表情は何よりも雄弁だった。


 ――ラマーディにとって“浄化の聖女”は無二の財産であり、天運そのものだった。

 ファラウラに言った言葉は嘘ではない。

 それゆえに、下手に関係を結ばないよう、距離を見計らっていたのも事実だった。


 浄化される過程で、このままいけばいずれ完治し、聖女が自分にとって不要な存在になることは理解していた。

 否。貴重な治療薬の一つとして手元に置いておくのはいい。

 だが下手に思いを寄せられ、こじれるのは面倒で厄介だ。治療に必要なあの体勢も、どうあっても相手を思い上がらせ、誤解を招いてしまう。かといって横柄に突き放せば、肝心の浄化を拒まれるかもしれない。


 ラマーディは礼節を保ち、ほどよく距離をとどめながら、感じのいい振る舞いをした。

 それは確かに功を奏した。


“浄化の聖女”マドカは、ラマーディにとって珍しく感じられる人種だった。

 拒まない代わりにいつまでも身を固くし、必要以上に目を合わせないようにすらしている。言葉が通じないというのは大きな要因であるが、それにしてもあの聖女が何かを要求したり、媚びたような視線を送ってくることは一度もなかった。貞淑や清楚を装っているなどと考えるには、少々幼稚で露骨すぎる。

 しいて言うなら、医者を前にして虚勢を張っている子供のような印象に近い。


 その姿を思い出すと、ラマーディは小さく噴き出しそうになる。

 同時に、狩りをするときのような好奇心、高揚に似たものを覚えるようになっていた。――あるいはマドカが珍獣のような存在だからだろうか。


 物思いに耽り、手折った花を漫然と見つめながら、ラマーディはなおも思考を遊ばせる。


 浄化の力を受ける中、いち早く気づいたことがあった。

 ――どうやら、接触面が増えるほどに浄化の力は強く働くらしいのだ。

 だからこそ、ラマーディは異世界から来た女を抱えるという体勢をとった。


 あるいは更に接触の多い体勢になれば更に治癒が速くなるのではないかと思ったが、どうやら効果が及ぶ量には限度があるらしかった。より密着するような抱きかかえ方をしても、それ以上治癒の効果が高まることはなかった。

 浄化の力が多く流れ込んできても、一定以上を受け取ることができない。そんな感覚だった。

 ――おそらく、受ける側のほうに、一日に受けられる浄化や範囲に限度があるのだ。


 そしてそれを繰り返したいま、異母妹が指摘したように、ラマーディはかなり回復しつつあった。

 ――裏を返せば、最大効果を狙って浄化の力を受けずとも十分に事足りるということだった。


 あれほど密着しなくても、十分に効果が得られるのだ。


 ふ、とラマーディの口元が再び緩む。


 あの珍妙な聖女は、そのことに気づいてもいない。ただひたすら、縮こまって耐えている。おそらくは医療行為的なものだと察して、あの体勢でなければならないと頑なに思い込み続けているのだろう。

 いつまで経っても懐かぬ籠の鳥。閉じ込めて利用するにはこの上なく都合がよかった。


 だが、ラマーディはそれに物足りなさを覚えていた。あるいは飽きた、と言い換えることもできた。


 ――頑なにこちらを見ない顔を振り向かせたい。あの体が柔らかく解れ、自分に振り向くのが見たい。

 あの黄金にも代え難い鳥は、どんな声で囀るのだろう。


(さてどうするか)


 小さな鳥を手の中に捕らえる幻影を浮かべながら、ラマーディは微笑を浮かべていた。


 

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