舞台 【月夜譚No.1】
長い黒髪を櫛で梳く彼女の姿は、艶やかだった。舞台に立つ前はいつもそうして、時折僕の方を見遣ってはにこりと笑うのだ。
舞台の上の彼女はきらきらと星屑のように輝いて、その役その役に応じた表情を見せる。明るく快活な笑顔、失望し悲しみに暮れた涙、ずる賢く裏の感情を持つ悪女。その一つひとつが、僕にはとても素晴らしいものに見えた。酷く尊いものに思えた。
恋慕を抱いたことは一度もない。美しい彼女には、似合いの男などごまんといるのだから。舞台裏の忙しない作業の中で、少しでも彼女の姿を見られるだけで幸せだった。
僕は裾からそっと公演中の舞台を覗き込んだ。綺麗な衣装を纏った女優が、高らかに歌声を響かせている。物語の終盤のハッピーエンドを讃える歌なのに、僕には虚しい響きに聞こえてしまう。この劇場いっぱいに、寒風が吹き荒れているような気がしてならない。
彼女はもう、ここにはいないのだ――。