その99
(その99)
「…そう言う事か…ベルドルン」
ミライはシリィに抱きかかえられた老人が言葉を発した時、自分がベルドルンの言葉が包む霧の世界から引き戻されるのを感じた。
それはベルドルンが語った言葉が霧の様に自分の心を覆い始めたからだ。。
――忌み児とは…その心臓の一つ、竜の心臓の変異によって、体の一部が奪われた者なのだ…
ミライは不意に目を抑えた。
自分の不具。
失われた左目。
それは始めから無かったのか、それとも祖父が語ったように鳥どもの嘴で抉られたのか。
何故かベルドルンの語る言葉が自分の瞼を抑える薄い霧の様に覆ってくるのを感じた。それはやがて深い世界へと自分を運ぶ霧。
だが、それは老人の目覚めと共に自分を再び思索の世界から呼び戻した。
――起きなさい
ミライは誰かが呼び覚ます声を聞いた気がした。気がしただけかもしれないが、しかしはっきりと鼓膜の奥で響いたのは、何故だろう。
「おじい様…」
シリィの声が鮮明に響く。
ミライは呼び戻された世界を認識する。そこには胸から出血をしながらも、僅かに生気を取り戻した老人がいる。老人の瞼は開かれ、自分の向こうを見ている。
ベルドルン。
見つめる眼差しの奥に揺れる異形の戦士が映っている。しかしながらその異形の戦士もまた苦しんでいる。肉体の内に潜む自分を蝕む何かに。
「…ベルドルン殿」
ミライは話しかける。血臭混じる荒い息を吐く戦士へと。
「あなたはそれをいつどこで知り得たのですか…?」
ミライの問いかけはベルドルンが知り得た秘密への扉を探る問いかけ。彼は応えるだろうか。僅かな躊躇がミライの心を襲おう。誰であろうとも知り得た秘密の宝は隠し続けたいと願うものだ。それが猶更自分達の宿命ともいえる運命の輪を動かし続ける源であれば。
ベルドルンは歯ぎしりする。呻くような声にならない激痛に顔を歪めている。噛みしめる竜歯は何を語るのか。いや沈黙だけで全てを推し量れと皆に言っているのか。
だが、彼は言った。
――…あまり、私の時は…ない
ミライは重い扉を開けるべきだと思った。
だから言った。
「ベルドルン殿、あなたは言いましたね…が私の『決着』…戦いの向こうに辿り着いた先で…こそ、真実は開かれる、と違いますか」
ミライは蹲る孤独な空鷹を抱きかかえる。
「あなたは自分が知り得た秘密を背負ったまま、何処かにゆくのですか?あなたの決着とはそれではない筈だ」
言ってからミライは振り返る。
ローを
そして『風』を。
ベルドルンが顔を上げる。その視線の先に娘が見えた。
朧気かもしれないがベルドルンはそこに誰かを見たのかもしれない。
その誰かを呼ぶように、ベルドルンはレイピアを手にしながら片方の手を差し出した。
心臓の激しい動悸の中でベルドルンは声が聞こえた。幻聴かもしれない。だがその声はベルドルンの心を震わす。
――戦士に朝は来ないのよ、ベルドルン。
「シリィ(リーズ)…」