その97
(その97)
握りしめる。
掌の汗を。
ロビーはそれしかできなかった。空から舞い降りて来る空鷹。
咄嗟に浮かんだのは野を跳ぶように跳ねる小動物達の事だ。彼等は自分達の小さき王国で生きている。しかしそれは平和ではないのだ。危険は自らの背にある。そう彼らは空を支配していない。そして自分達を襲う最も困難で避けることができない『死』は突如空からやって来るのだ。
――そう今の俺の様に
ロビーは視界一杯に広がる何かを見た。あれは長剣。その切っ先は自分へと伸びている。
竜の背に跨るものを見た時、自分は信じられなかった。何故、あんな所に人が居るんだ。
あいつは何者だ?
何故あんな所にいるんだ?
矢継ぎ早に疑問が浮かんだが、答えは瞬時に閃いた。
(あいつが竜を動かしているのではないか?)
そう思うと自然に腕が上がった。
茶色のマントを翻すと弓を番えた。それを放つ。それは空で弾かれたように見えた。
しかしロビーは狙いをつけながら思った。
――尋常なやり方ではあいつは撃ち落とせない。だが落とさなければあの竜に言いようのされるままだ。
(…ならば)
大型の谷鹿を狙う時のように、騙し矢と隠し矢を放つ。
同じ軌道で二度だ。
一つやは騙し矢、ふたつ矢こそ、獲物を射抜く殺人の矢。
そうすれば谷鹿の様に騙し矢を避けて首を下げて戻る首を射抜けるように、あいつの剣の払った隙に矢を撃ち込むことができる。
そうあいつは尋常じゃない、異常だ。
――だからこそ、自分に出来る事をする、最高の技術で。
しかし
その結果が今自らに牙を向いている。
迫り来る長剣の切っ先が陽光に煌めきながら。
ロビーは手を上げて頭を覆った。観念するしかない。
もう、それしかできない。
(ええい!!ままよ!!)
踵が浮いた。
ずしりとした重さと共に荷台が激しく上下に揺れる。激しい揺れの中で自分の運命が回転する
ロビーは衝撃で荷台から外に投げ出された。投げ出されて、地面に激しく身体をぶつけた。
躰をぶつけながらも咄嗟に手を動かす。長剣がえぐったであろう己の肉体を探る。
だが、
(…切られていない)
瞬時にそれが分かるとロビーは弓を手にしたまま地面を転がり荷台から離れた。
(やっこさん、俺を仕留め損ねたか!?)
転がる身体に服が汚れた。
ミレイの叔父から借りた服。転がる脳裏の中でマドレー叔母の皺が刻まれた優しい眼差しが浮かぶ。服を着た自分を懐かしく見つめる柔らかい眼差し。
俺はシルファへ行く。
この服を着て。
若者の夏は短い。だから思いっきり見て来るのさ。
シルファの繁栄を。
叔父や叔母が青春の輝きでその眼に見て来たように。
だが
いまはそんなことは気にはできない。
『死』が迫りつつある。
ロビーは素早く起きると手にした弓を構える。
構えると背に手を遣った。
矢がそこにあると言わんばかりに。
荷台に降り立った空鷹。
それは弧を描く長剣と共にそこに佇んでいる。その姿は今や誰にもはっきりと分かる。
それは若者だと言うことだ。
その光景を荷駄の影に潜む者たちは激しい息遣いの中で感じ、また騎乗している騎士達は兜の中から驚きを持って眼で見ている。
だそこに居るのは人である。
彼等が何よりも恐ろしいのは岩壁で蹲る巨竜だった。
それはベルドルン。
それこそあの暴れ竜なのだから。
その暴れ竜は動かない。
――死んだのか
誰もがその言葉を発しない。答えを知りたくとも、知りたくない。もし生きていれば…誰もがそう脳裏に思い浮かんでいた。




