その83
(その83)
――竜とは人間なのか??
ミライの心奥に響く声無き驚きは自分に触れる手を通じて、瞬時に自分自身の深部にも聞こえた。
――『空を飛ぶ化け物を弓で射落としたと思ったら…何、あんた…、一体あんた何者なの?』
だからかもしれない。
瞬時に思い出された言葉も反射的に心を駆け抜けた。まるで自分を突き飛ばす様な突風の様に。
風は沈黙をシリィの心の内にもたらしたかもしれない。しかしそれは瞬きをするほんの僅かでしかなかった。
移ろいゆく季節を愛でるような時の過ぎようではない。まるで自分をどこかにさらう様な、獣の嘶きを伴った強奪者の吹き起こす風。
祖父から聞いたことがあるその風は遥か北方の王国シルファで信仰されている風神が巻き起こす様な荒々しい風に違いない。
――だからこそ、
祖父が呟く様に側に立つ若者に語りかけた言葉がまるで自分をどこかにさらう風神が起こした暴風として自分を引き裂くように感じたのだ。
「ミライよ、良く見るがいい。この姿こそ、竜人族としての最高の力を出せる姿。つまり竜へと変身した竜戦士の姿よ」
――竜人族
――竜戦士
重なり合う言葉がシリィの眼前で交わり姿形を網膜の内に捉える。肉体が緊張するのが分かるほどに、その姿は異形だった。
半獣半人…
「なぁ?ベルドルン」
(…ベルドルン?)
鼓膜奥に響く祖父の言葉。
瞬時にシリィは立ち上がると、まるで風の纏う乙女の様に緑染まるマントを払い弓と矢を構えた。
その動きに音は無く、それは湖国の湖面を吹く『風』の様に、この世界の何事も無い存在となって自我に任せるまま『私』のようにごく自然に腕に力を籠めた。
シリィが捉える姿形が濡れている。
――いや、違う。
濡れているのは自分の眼だ。
そう認識した時には既に矢は自分の手元から音も無く放たれていた。
それは自分の思いを乗せ音も無く、風神が巻き起こす荒々しい風を巻き起こしながら。
放たれた矢一つが
一体何を語ると言うのか。
――『空を飛ぶ化け物を弓で射落としたと思ったら…何、あんた…、一体あんた何者なの?』
ベルドルンは何故か懐かしい言葉を聞いた気がした。
自分には見えていた。
若者の後ろから立ち上がり、まるで風の様に動き出す乙女の姿を。
その動きは自分が良く知る人の巻き起こす風と瓜二つ。
――君はそこにいたのか
懐かしい彼の地を旅した風を思いだした。
湖に浮かぶ国。
だが名は語らぬ。
しかし彼の地の言葉なら語れる。
そこの国では風を何と言ったか。
「ベルドルン。この国では『風』っていうんだって。風の事を」
振り返る君が見える。
――『風』
その言葉が終わらぬうちに自分の肉体を貫くような痛みが走ったのは分かっていた。自分はそれを成すがままにしてまでも、懐かしい人の声を聞きたかったのだ。
例えそれが太腿を貫かん迄の矢の痛みであったとしても。
「シリィ!!」
若者の乙女の名を呼ぶ声が月に架かる孤影の様に感じた。
――そうか、
そうだったな。
ベルドルンは僅かに顔をゆがませて、微笑んだ。
異形の姿として娘と相まみえる自分を何といえば良いか、探す言葉無く。
まるで貫いた矢は決別ともとれるような、また長年愛に飢えた人の歓喜と寂しさの混じった長い沈黙にも似た叫びの様に、自分の躰に突き刺さっている。
ベルドルンは手を動かし、太腿を貫いたまま刺し止まった矢を引き抜いた。長きの間止まった時間が傷口から噴き出して動き出すのを感じる自分がいる。
だが、ここは戦場。
死地である。
戦士としての魂が揺れ動く。
ベルドルンは矢を手に取ると、それを時の支配者へと投げ返した。それは目にも止まらぬ速さで娘へと飛んで行く。
決して戻らぬことを後悔などはしていない、一人の父として。戦士として私は生きているのだと思いを乗せ、僅かに二人の間に娘を庇う影に過去の自分に似た希望を感じながら。
バァァアアン!!
矢が轟音と共に霧散する。
それぞれの思いをその場に残して。