その78
(その78)
祖父の問いかけに少年は急にはっとする。それはまるで自分が常に思い続けているある『解』への核心に触れることだったからだ。
――この世界に生きる存在全ては同朋ではないか。
少年はそれで押し黙る。そう、この世界に生きる全ての生命も運命さえも我らは全て同じ空の下にある。
だからこそ具師は不具を完全なものと成す為に、あるのではないか。それは人間だけでなく、あらゆる動物さえも。
ミライは祖父を見つめる。
ミライは知ってる。
祖父が静かに家の庭に落ちた足を折った鳥の為に、小さな装具を作ったのを。
大きな人間が小さな鳥の為に背を曲げて、汗を流し、装具を作り出す。
この世で尊いものがいくつあるのか少年はまだ知らぬ。しかしながら直感で分る。
祖父の成すべき術はこの世界で尊い物のひとつであると。
だがらこそ、まだ誰にも言わないが願っている。
自分も祖父と同じように具師になりたいと。
「さぁ、ミライ。行くぞ。早くこの岩道を抜け小さな草原に向かわないと、な」
(そうだった)
ミライははっとして自分の思いから覚める様に真顔になると、歩き始めた祖父の後を追うように岩道を昇ってゆく。
その祖父の背に朝陽が映えた。
――朝が始まる。
ミライは思った。
今日はひょっとすると自分にとって初めての具師としての仕事になるのではないかと。
力が籠る手を握りしめた時、空から影が祖父の背に落ちた。
ミライが空を見上げると先程の風鷹が空を旋回しているのが見えた。
(…風鷹)
黒髪の下の瞳がはっきりと姿を捉えて離さない。
(もしお前がどこかで傷付いてしまった僕の所へおいで。君を僕が助けてあげる)
「ミライ」
自分を呼ぶ声に視線を戻して祖父の背を見る。
「この世界の美しさを感じるだろう?特に空を行くものたちのその翼にはな」
言って僅かに後ろを振り返る祖父の横顔が僅かに微笑する。
「そうだね。祖父ちゃん」
今度は声を出して少年は頷いた。
それを見て祖父は手を軽く顎に遣った。それから杖を天に翳す。焔杖と呼ぶその杖が空の一点を指す。まるでそこに誰かが居るのを指しているかのように。
「空には遥か古代の頃から生きている気高き存在の子孫らが未だ数多生きてる。風鷹だけじゃない」
祖父が続ける。
「ミライ、お前が知る空の一族を言ってみろ」
(えっ!!)
僅かな波動を心感じながら少年は考える。少年の沈黙が思考を巡らせているのだと空は知っていのか、優しく陽を降り注ぐ。
「…そうだね。まず呼び鳥のモック。それから雨や雷を伝える雷鳥、あとは大鷲…、あとは…」
一瞬躊躇して少年が言葉を詰まらせるように言う。
「…伝説だと鷲竜なんかもいるだよね」
「ほう、鷲竜を知っているか」
祖父の僅かな嘆息に少年は頭を掻く。
「まぁ僕はまだ見たことは無いけどさ、この前祖父ちゃんの書庫で見たのさ。鷲竜の絵を。だからいるんだろう?この世界のどこかには」
乾いた笑い声がする。
「こいつ、あれほど勝手に書庫の書物を見るなと言っておいたのに」
しかしながら祖父に少年を怒る様な様子はない。禁を破るのは少年由来が持つ活発さと、未知なるものへの興味からだろう。それが少年を育てるための大事な要素であるのだと知っているのかもしれない、だからこそ声音になじる様な感じは微塵もない。少年に祖父が言った。
「ミライ、お前がそうした事まで興味があるのならば言わねばならないな。この世界に生きるもっとも気高き存在のことを…」
(気高き存在…?)
少年が祖父へ目を向ける。
祖父は空へ向けられた焔杖を手元に引き寄せると振り返り、今度はそれで地面を強く叩いた。
それからゆっくりと唇を開くと静かに、しかし力強く言い放った。
「それはな、竜よ」
――『竜』
見引かれた少年の眼差しは時を経た若者の眼と寸分も違わない。
ミライは自分へと振り返って力強く言い放った祖父の言葉を忘れていなかった。だからこそ今現実にその銀色の輝く翼を見た時、思わず声をだしたのだ。
それはあまりにも大きな驚きにかき消されてしまった。だがミライは再び四肢に力を籠める。
そう、目の前を横切ったそれを存在を認める為に。
ミライはシリィの手を握り、手にした焔杖で銀色の翼を指して叫んだ。
「あれは竜!!」
ミライは空で旋回してローに迫りくるその存在を認めると同時にシリィの手を離すと、シリィを庇うようにマントで覆い、地面にしゃがみ込んで叫んだ。
「危ない!!ロー!!」
危険が予測し得ない速度でローに迫りつつあった。
「ローぉおお!!」
ミライはもう一度叫んだ。まるで自分の中で芽生えた震えを消す為に。
(あれが…)
――暴れ竜ベルドルン!!
ミライがはっきりとその姿を震えの外に捉えた時、激しい轟音が鼓膜の奥に響いた。