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竜と老人  作者: 日南田 ウヲ
48/122

その48

(その48)



 夜風が吹いている。

 それは段々と強くなっている。

 ローは一人、蝋燭の僅かな灯が灯る室内で銃を手元に引き寄せ、誰も使うことのなくなった木杖と椅子に何を語るでもなく、一人見つめて耳に響く風の男を聞いていた。

 その音の中に帰る者の足音が混じっていないだろうかと懸命になっている自分に苦笑しないではいられない。

(飛び立った若鳥の羽音がいつまでも聞こえると言うのか…?)

 しかし

 待たねばならない。

 戻るものが居るのだから。

 自分はここで彼等の戻るべき灯にならなければ。

 もし、訪ねて来たものがいれば何と答えればいいか?

 若鳥の行方を。


 コツ…


 コツ、コツ…、


 僅かにローは顔を上げた。思わず椅子を蹴って立ち上がった。

(リーズ…?)

 耳を澄ます。


 コツ…


 コツ…、コツ…


(いや、違いう。これは庭先の石畳を突く音…)

 ローは明かりを手に取った。片手に銃を持つ。それからゆっくりと窓際に寄りながら万一に備え、装具の足音を消す様に忍び歩く。

 不審者かもしれぬこともあり得る。

 夜の訪問者などろくな目的がないものが多い。

 賊徒は言わぬが、それに近いものもいないわけではない。

 音をたてぬよう撃鉄に触れる。


(誰だ…?)


 コツ、


 コツ…、


 音が止んだ。

 相手の息吹が扉の向こうから消えて来るのが分かる。

(男…か、女ではないな?吐く息の量が多い)

 そこまで考えた時、扉を叩く音がした。


 小さく二度。


 それから何かがずれる音がした。それは布だ。

(おや、この音…)


「夜分だが、居るかね。ロー」

 はっきりとした男の声がした。その声はローが見知った者の声だった。

(おお…)

 小さな驚きが声を一瞬押しつぶしたが、ローは足音を立てて勢いよく扉を開けた。

 開けるとそこに杖先に灯る炎がフードを上げてこちらを見る顔を照らし出す。

 照らし出された顔の眉間が緩む。

 見れば片方の手には大きな包みを持ち、背に大きな麻袋だけでなく腰にも小さな袋を下げていた。

 男の黒く大きな瞳がローを見つめる。それから微笑した。

「夜分失礼。ロー」

「トネリ」

 ローも微笑して銃を下ろす。トネリと言われた男の目が銃を見つめる。

「旅の終わりに立ち寄った。夜の不審者と思われても仕方ないな」

 それから笑う。

「そうか、まぁ入れ」

 ローが手招く。

 杖を突きながら、トネリが扉を潜る。腰に下げる袋や背に背負う袋に目を遣る。

 特にその背に背負うものが大きく一段と大きい。かなりの道具が入っているその身なりを見てローが言う。

「沢山の道具を持っているじゃないか。どうやら遠くまで行っていたようだな。それに背に背負う者も多いようだ」

 トネリが振り返る。

「ふふ…、特に背に背負うものは大きなものよ。道中拾い物もあるからな」

 笑いながら、杖をかざす。炎が少し大きくなる。

「成程、我ら山岳の者にとって捨てるものなど何もない」

 ローがまじまじと杖を見る。明かりが先程より大きくなり、部屋を一面に照らす。

「そうとも、捨てるものはない。ちなみにこの杖はシルファで見たランプの原理を利用して作った杖さ」

「ほう…」

 眉間に皺寄せ、声を出して見つめる。

焔杖(イシュタリ)とでもいってこうか」

焔杖(イシュタリ)?」

「北の辺境を旅した預言者イシュトが記したヨコブ記にも似た杖の記載がある。北の平原を行くイシュトが出った土地の賢人より授かった炎で暗闇を照らす杖、まぁ恐らくそいつは遥かドラコニアの工芸職人が作ったものだろうがね」

 言ってからローを見る。

「まぁお前さんみたいな竜人族にとっては造作もない工夫品だ」

 言い終わると豪快に笑った。その笑いに呼応するように炎が燃えて明かりが照らし出され、部屋が明るくなった。

 ローが竜人族の『忌み児(いみご)』であることは面前で笑う古き友人は知っている。自分が初めてこの山岳王国随一の具師を訪ねたとき、彼は自分を見るなり耳もとで囁いたのだ。


 ――お前の婆さんの言い伝えを俺は知っている。

 ならば答えは明快なのだ。

 お前は伝説の竜人族。

 それも特別な存在。

 忌まわしき稚児だったということさ。


 その時の言葉の振動を今でも自分は覚えている。それ以後、二人の間ではこのことは公然の秘密となった。


「トネリ…」

 ローの声にピタリと友人は笑い声を止む。

「そうだったな。これは俺達だけの秘密だった。いや、あとは娘のリーズとな…。それでどうした娘は?もう寝ているか?」

 トネリの最後の言葉にローが黙る。その黙り方に何かを感じたのか、トネリが眉間に皺を寄せる。

「何かあったのか?」

 トネリの言葉にローは答えず黙っていたが、やがて大きな息を吐くと呟くように言った。

「…現れたのだ…」

 風の音に消え入りそうなあまりにも小さな声にトネリが耳を寄せるように聞いた。

「…どうした?」

 大きな息を吐くとローは言った。

「トネリ…、現れたのだ。我らの前に遂にあの竜人族(ドラコニアン)が…」

 ローの大きなはっきりとした言葉がトネリの鼓膜を響かせた。

「伝説の…なぁ」

 ローが頷く。

「まぁ俺にすれば伝説とは言え、古代神話、伝承、各地の風土諸記には語られている種族だ。別に彼らが実在していたとしてもそれ程驚かぬが…」

 言ってから腰の袋を外してゆく。

「お前達家族にとっては、衝撃的だったろうな。亡くなった婆さんの言い伝えが、自分達の隠れていた真実へつながったのだからな」

「そうだな」

 ローがトネリの背追っている大きな麻袋に手を掛ける。手に麻袋の重さがズシリと伝わる。

「何だ。以外に重いな」

 トネリが笑う。

「慎重にその隅に置いてくれ…ああ、そうだその盛り上がりの部分を上にしてな」

 言葉に従いローが装具の足を動かしながら慎重に隅に置いた。

「大事なものか?」

 ローが振り返る。トネリが歯を見せて笑う。

「ああ、拾い物にしては大事なものだ」

 杖を側に置くと椅子を引いて腰掛ける。

「茶を入れたい所だが…」

 ローが対面に座り椅子を引く。トネリは何も言わず炎の明かりで照らされる友人の眼を見る。

 茶色の瞳に映る自分の姿が揺れているのが分かる。

 トネリは顎に手を掛けて無精ひげをなぞりながら言った。

「つまり…、リーズは出て行ったという訳か…、その竜人族の人物と…」

 ローは首を縦に振る。

 それを見て深沈な表情をして暖炉の火に照らされ床下で揺れる友人の影を見つめた。

「あれ程の器量の良い娘だ…、となれば相手は相当の若者だろう。恐らくそれもお前すらも見惚れするほどの武人としての腕を持つのだろうな」

「それは認める。ワーグの群れなど恐れる足らん」

 ほぅ、と小さい嘆息をトネリは漏らして顔を上げる。

「名は?」

「ベルドルンと言う」

 トネリは音もなく口を動かし、何かを探ろうとする。

「知っているのか?」

 ローの答えに「いや」と言う。

 しかし「ただ…」と言うと、トネリは友人を見て言った。

「竜人族の言語に詳しいわけではないが…、ベルドというのは我らの言語で『剛毅』という意味だと俺は記憶している。それに「ルン(RUN)』は竜人族の男子に伝わる敬称語と聞いたことがある。父親が『ルン』であればその息子は「ン」を代々使うとか…」

「詳しいな、トネリ。さすがは具師、いや辺境の賢者トネリと言うべきか」

 トネリは鼻で友人の言葉を吹く。別に嘲笑した風ではない。友人のからかいには昔からそうして応じて来たのだ。だからローもそれには馴れた表情で声無く笑う。

「だが…」

 言って息を吐いた。

「竜の血が竜を求める。因果ともいうべきか…」

 その時、不意に隅に置いた麻袋が揺れた。思わずローが視線を送る。麻袋が少し揺れると何か声が聞こえた。思わずローがトネリを険しい表情でトネリを見た。

「おい、まさか…、生き物じゃないだろうな」

 険しい友人の表情に渇いた笑いでトネリが答える。

「おい、トネリ。困るぜ。狼の子とかワーグ何て…」

 トネリがそこまでで手を振り、ローの言葉を切る。

「いや違う。しかし不思議だ。もしかしたらこの児にも何か縁があるのかもしれんな。今夜の訪問はお前から届いた手紙や竜人族の事…」

 そこまでいうとトネリは立ち上がり隅に置いた麻袋の口紐を解くと、そこから大きな包みを取り出した。

 それを大事に両手に抱えてローの前に運ぶ。

 その包みが杖先の炎と暖炉の炎でたらされてゆく。

 その包みは中で何かが動いていた。

 ローは驚いて言葉を出す。

「おい、こいつは…?」

 トネリは包みを手で優しく触るとにやりと笑った。

「拾ったのさ、遥か北のランブレットの石碑の向こうにある森で」

 その包みを僅かに開くとそこから赤子の顔が覗いた。

 ローが思わず覗き込む。

「赤子だ…」

 トネリが無言で頷く。だがローはそこで

 再び驚いた。

 驚いて顔を上げて友人を見た。

 そう、その赤子にはあるべきものが無かった。

「こいつは…」

 そう言いながら友人を見た。

 赤子には左目が無かったのだ。

 それはまるで何かにくりぬかれたように。


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